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4/4

リオンくん視点

やっと書けたリオンくん

これでようやく完結です



 昔から、絶妙に運が悪かった。


 ものすごい不幸というわけでもなく、ほんとにちょっとだけ、小石につまずく程度の不運。


 僕の絶妙な運の悪さは生まれる前からすでに予兆があったので、かなり根深いものだと思う。


 なぜか両親とも女の子が産まれると確信していて、女の子用の産着やおもちゃしか用意していなかったのが、最初の不運。


 名付けは祖父が顔を見て決める予定だったらしく、女の子の名前にならなかったのは幸いだったけど、名前負けなところはなかなか不運かもしれない。獅子のように雄々しくなれないのは両親を見ていればわかるから。


 子供の頃から、家族で魚釣りに行けば必ず誰かの釣り針に服が釣られたし、ピクニックに出かければ高確率で途中で雨に降られた。


 落とし穴にはまることこそないけど、よく段差には躓くし、学年一位になるのに、いつもあと一点足りない。


 これは普通に意味不明だけど、女の子と間違われて変質者に追いかけられて、男とわかった途端に「そんなややこしい顔してんじゃねぇよ!」と逆キレされたりもした。


 ほんと、数え出したらキリがない。


 普遍的な幸せの中にある、ちょっとの不運。


 たぶんそういう星の下に生まれついているんだと思う。


 不幸のどん底に生まれなかっただけ感謝してはいる……けども。


「……あの、アドニス兄上?」


「静かにっ、今いいところだから!」


「……」


 だからさ、このくらいの不運はきっと、ご愛嬌なんだよね。


 いや、そう思ってないと、やってられないって。


 熱い抱擁をしてくるアドニス兄上と、涙を堪える奥様の間に挟まれ、今日も僕――リオン・クロッカスは、心を無にして変態夫婦の新婚生活を盛り上げるためのスパイス役に徹している。





 僕の家はフェザー伯爵家の遠い遠い親戚ではあったけど、ほとんど平民と変わらない暮らしをする名ばかりの下級貴族の家だった。


 あんまり裕福ではなかったけど、家族仲は悪くなかった。下に弟がふたりいて、食事は常に奪い合いだったけど、それなりの暮らしをしてたんじゃないかな?


 いわゆる平凡な家庭。


 だから急にフェザー伯爵家から遣いが来て、王都にある学院に通わせてもらえるという話を聞いて、驚いたと同時に疑いもした。


 ほら、うまい話には、必ず裏があるから。


 そうでなくとも僕は絶妙な不運を引き寄せる性質だから。


 そして実際、裏はあった。


 大奥様はアドニス兄上が結婚できるのかをとても不安視していらした。


 それを聞いて僕がまず思ったのは、杞憂じゃない? だった。


 いや、だって。仮にも社交界の華だし。


 女性を差し置いて華を背負ってるアドニス兄上が、結婚できないはずがないって本気で思った。


 だって、女性たちが放っておかないんじゃないの?


 結婚できないんじゃなくて、したくないだけでは?


 兄上は見目も優れているし、ほかの貴族たちのように傲慢でもなく、なにより超絶お金持ち。なのにそれらを鼻にかけることのない気さくな人柄。


 大奥様はなにを不安視しているのか、そのときはまったくわからなかった。


 年に一、二度顔を合わせるアドニス兄上は、遠縁でしかない僕ら兄弟にも優しい。とはいえ金銭感覚がまったく違ったので、やたら高価なプレゼントを気前よくくれたりもする、常識外れなところも確かにあって。


 そして絶妙に不運な僕は、プレゼントもやっぱり絶妙に変な品物で。


 不細工な金のカエルの置物をもらったときは、本当に、めちゃくちゃいらなかった。


 純金製で、売ったら相当な価値になるとしても、子供の僕にはただただ置き場に困ったし、弟たちに腹を抱えるほど大笑いされた。今ではいい思いだ。


 プレゼントのセンスは別としても、兄上は子供が嫌いと言うわけでもなく、言い寄ってくる女性たちにも平等に紳士的に接しているので、女性が嫌いというわけでもない。


 正直疑問しかなかったけど、大奥様が学院に通うための学費を全額出してくれると太っ腹なことを言うし、我が家は僕がいなくても弟がふたりもいる。


 だから、まあ、いいかな、と。心はすぐに王都に行って学べるという魅力にぐらりと傾いた。


 将来のことを考えると兄上の元で学ぶのは自分にとってもいい経験になるはずだ。そう思って僕は深く考えずにうなずいた。


 それからは昼間は学院で学び、それ以外の時間は兄上から学び、それなりに充実した日々を送っていたかな。


 ――そう。兄上の性癖を知るまでは。


 前々から怪しいところはあったよ。……うん。見ないふりをしていただけで。


 兄上の本棚にぎっしり詰まっている本は、どう見ても女性向けのロマンス小説で。


 大奥様のだと言い張っていたけど、すべて兄上の部屋にあったし。


 しかも使用人たちが噂するには、どうやら話の内容にある種の偏りがあって。


 僕が学院に行っている昼間、暇さえあればそれらを「ふふふふふ……」と笑いながら読み漁っていることも屋敷内では周知の事実だった。


 変わった趣味だなー、とは思いつつも、実害がないので僕がとやかく言うこともなかった。


 だって、後々実害を被るなんて思わないじゃないか。


 あんな超弩級の変態だなんて、誰が予想するの?


 ほんとにさぁ、そういうことは隠さず先に言っておいてよ、大奥様。


 嘆息しながら執務室のドアを開けると、兄上が奥様に靴を磨かせている光景が目に飛び込んできた。


「……」


 キュッ、キュッ、と、革靴を磨く音だけが室内に響いている。


 僕は一瞬のうちに色々計算をして、そっとドアを閉ざし、見なかったことにした。


 どうせこの後、磨き方があまいとか、逆に擦りすぎて傷がついただとか、とにかく適当な難癖をつけて、そのまま執務室で子作りに励むに決まっている。


 なので黙ってドアに立ち入り禁止の札を立てかけておいた。


 これで間違っても醜悪な現場を目撃してしまう憐れな使用人は出ないはず。


 我ながらいい仕事をしたなと思いながら、鼻歌交じりに自室に戻って、学院の課題に取り組んだ。


 夫婦の営みの時間は、つまり僕の自由時間。


 ずっとこもっていてくれていいんだけどなぁ。




 学院はとにかく田舎の小さな学校とは全然違って、学ぶ内容が多い。


 人間関係という意味でも、学ぶべきところが多かった。


 だけどその経験がまったく役に立たないことも確かにあって……。


 その筆頭が、奥様――ステファニー・フェザーだ。


 僕が兄上の執務机の整理をしていたときのこと。


 なんか背筋がぞわぞわっとして、おそるおそる振り返ると……奥様が物言いたげにこっちを見ていた。


「!!??」


 床拭きをしながら、めちゃくちゃこっちを見てる!?


 なんで……? いや、心当たりはありすぎるくらいにあるけどさぁ……。


 無視しようと思ったけど、それはそれで喜びそうだし、だからと言って素直にこっち見ないでと伝えたら、もっと喜ばせることになりそうで、選択肢がない。


 というか、なにが正解か、わからない。


 このときばかりは学院で学んだ勉強も、人間関係も、まるで役に立たなかった。


 対貴族用のマニュアルはあるのに、対変人用のマニュアルはなんでないのかな。そっちの方が需要あるよ。僕限定で。


 というか、なんでアドニス兄上、今部屋にいないんだよ。奥様の扱いにめちゃくちゃ困るんだけど。ひとり置いてかないでよ。


 これが野生動物なら、目を合わせたまま後退してその場をそっと離れるけど、あいにく目の前にいるのは野生動物ではないし、これでも伯爵夫人だし。


 内心冷や汗を流しながらそんなことを考えていると、床を拭きながら、奥様がじりじりと迫ってきた。


「ひっ、こっ……」


 慌てて口を塞ぐ。つい、怖っ、って本音を漏らしてしまうところだった。


 幽霊並に恐怖の対象ではあるけど、さすがに僕の立場で礼を欠く態度はまずいとわかる。何度も言うけど伯爵夫人。雑巾片手にお仕着せ姿だけど、伯爵夫人。言われないと誰も信じないと思うけど、伯爵夫人!


 アドニス兄上からは、適度なマウントを取って気持ちよく嘆かせてやってくれと言われているけど……ほんと勘弁して。


「あ、あの……」


 ひぃっ! 話しかけてきた!?


 思わず後ずさったけど、背中が壁にぶつかり、それ以上動けずに焦る。この部屋から脱出するためのドアは奥様の背中の向こう側だ。


 ま、まずい、逃げ道がない……!


 なるほどこれが背水の陣か、と、どうでもいいことへと現実逃避しそうになった。


 いや、僕だって、本気で危害を加えられるとは思っていないよ?


 思ってはいないけど……生理的に、無理。僕になにも期待しないでほしい。


 引き攣りそうになる顔を必死に背けていると、そのタイミングでアドニス兄上が帰ってきた。


 これほど兄上の姿を見て歓喜したことはないくらいに、歓喜した。


 そんな僕を見て、奥様がなにやら悲嘆に暮れていたけど、意味はわからない。なんかさっきよりも生き生きしている。怖っ。


「どうした?」


「いえ、なんでもないです」


 ほっとしたまま僕は曖昧にごまかしたけど、残念ながらアドニス兄上はとにかく察しのいい変態。僕を見て、奥様を見て、すぐになにかのスイッチがカチッと入って、すっと表情を消して奥様を見据えた。


「ステファニー。まさか、リオンくんをいじめたりしていないだろうな?」


「そんなっ……! 誤解です、旦那様っ……!」


 あぁぁぁー……こっちのスイッチも誘発されて思いっきり入ったぁ……!


 奥様はどうやったらそんな一瞬で滲ませられるのかわからない涙目になって、憐れっぽく兄上の足へと縋りつく。はたから見たら彼女に対して同情や庇護欲が湧くんだろうけど、真実を知る僕にとっては、鳥肌ものだった。


 アドニス兄上がによによする口元を咳払いをして引き締めてから、床に片膝をついて奥様と目線を合わせると、いきなり前髪を掴んで顔を起こさせた。


 奥様は小さく悲鳴をあげるけど……うん。そこまで強くは、掴まれていないようにも見えた。本気でやったら髪が抜けるので、加減しているんだと思う。そのあたりの調整が完璧な兄上。できればもっと違うことに力を入れてほしい。仕事とか、仕事とか、仕事とか。


「リオンくんを追い出す気だったのか? 残念だがリオンくんがいなくなったとしても、私がきみを愛することはない。そう、言ったはずだ」


「っ……!」


 奥様はほろりと一筋、美しくも切ない涙をこぼすが……僕は声を大にして言いたい。愛されたら蛙化するじゃん、あなた。


 そして兄上、バレてないと思ってるかもしれないけど、全身から煩悩が溢れ出してるから。


 というか、本当に僕は、一体なにを見せられているんだろう……。


 運よく兄上が来たなんて思ってたけど、そんなはずはなかった。


 だって僕は絶妙に不運な星の下に生まれついているんだから。


「ステファニー、よく見なさい。この穢れのないリオンくんの美しさを」


 いや、見ないで。お願いだから揃って変な目でこっちを見ないで。あっち向いて。どっか行って。


「リオンくんの代わりに私に穢されるのは、誰の役目だ? 言いなさい」


「……わたし、です」


 はらはらと涙を流す奥様。


 兄上と僕はプラトニックな関係という設定らしい。奥様の想像の中の僕が兄上に穢されていなくてよかった。よかったけど、それでも複雑。


 いや、真実穢れない身だけど、なんか複雑。


「いいか? 何人たりともリオンくんに触れることは許さない」


 できれば見るのも許さないでほしい。


「リオンくんをいじめようとしたきみには、相応の罰を与える。……来なさい」


 アドニス兄上が奥様の髪をやんわりと掴んだまま立ち上がる。そして必死に謝る奥様を引きずって部屋を出て行った。


 去り際にこちらに向けてパチンとウィンクしたけど……え、どういう意味?


 ドアがパタンと閉ざされ、ひとりぽつんと取り残されたけど……いや、本当にどういう意味?


 わけがわからなかったけど、ステファニー劇場(悲劇)からも、アドニス劇場(喜劇)からも解放されたことを実感して深く安堵した。


 しばらく奥様とふたりきりにならないように気をつけよう……。


 正直幽霊の方が無害なだけましだと思う。


 早く転職したい気持ちもあるけど、やっぱりなにをするにもお金が必要で。


 ここ、給金だけはいいんだよなぁ……。


 大奥様には学費を出してもらっているし、兄上が勉強も見てくれている。衣食住、なにも困らず、使用人たちもみんな優しい。


 多少の不運を差し引いても、この暮らしを捨てる勇気は僕にはなかった。





 だけどいくら大きなお屋敷とはいえ、ひとつ屋根の下で暮らしていたら避けていてもいつかは顔を合わせてしまうもので……。


 普通にすれ違うくらいなら、まだいい。僕だって我慢するよ全然。


 だけど……うん。


 学院から帰宅してすぐ、兄上の執務室の前で両手にバケツで立たされている奥様を見つけて、これを斬新なデザインの置物と思えという方が無理な話だった。


 学院でもやらないよ、こんなベタな体罰。


「……アドニス兄上、あれは一体、なんですか」


「あれって?」


「どう考えても部屋の前の奥様しかないでしょう」


「ああ、あれか。あれね。……ふふふ。私の言うことを聞けなかったからね、今はお仕置き中だ。たまに紙クズとかを投げてやればとても喜ぶと思う」


 期待する眼差しを向けられても、やらないよ?


「本当は生卵の方がいいが、さすがに食べ物を粗末にするのは、ちょっと抵抗があるからね」


 抵抗すべきポイントは別にある。


「だが、生卵濡れのステファニーか……。美し過ぎるが……くっ!」


 いや、苦渋に満ちた顔で胸元を押さえられても。


 厨房には、絶対卵を死守するようにって、後でしっかりと伝えておかないと。さすがにそれは掃除するのも大変そうだし、なにより鶏に申し訳ない。


 いや、兄上のことだから、掃除も含めて奥様の罰にしそうだ。


 奥様の掃除スキル、異常に高いからなぁ。


 兄上が言うには料理も絶品らしいし。


 僕は絶対食べないけど。


「まったくステファニーは、お仕置きという言葉を使うとすぐにお仕置きされに行こうとするから困るよ。私もそんなにお仕置きのバリエーションが豊富なわけではないからね。……やれやれ、また新しい道具を探して来ないと」


 このままだと夫婦の寝室にまた謎の道具が増えてしまう。「これなにに使うの?」「さあ?」みたいな使用人たちの会話、しょっちゅう聞くし。


「そろそろ許してあげたらどうですか? バケツをふたつも持たされて、奥様の腕が心配です」


「リオンくんは優しい子だな。だが大丈夫、バケツの中身は空だよ」


 いや、だとしても。


「だか……確かにそろそろ遊んでやらないと拗ねてしまうか」


 とても愛しげに妻について語る兄上に白い目を向けている間に、奥様に入室の許可が出されて、いつものように室内の掃除が開始された。


 普通に事務仕事を手伝ってもらえばいいのに。


 どんなにうるさい小姑でも、この部屋を見たら回れ右すると思う。めちゃくちゃ綺麗だから。


「しかし殺風景だな、この部屋は。片づければいいというものではないだろう、ステファニー?」


 小姑もびっくりのいびりっぷりだった。


「申し訳ありません、旦那様……。今すぐ、庭からお花を取ってきますので……」


「ああ、頼む」


 奥様が庭へと花を摘みに向かうのを見届けてから、兄上が口を開いた。


「リオンくん」


「大丈夫です。庭の薔薇の棘は全部取ってありますから」


 使用人たちみんなで、きちんと奥様が怪我をしないように気を遣っている。


 棘が刺さったら刺さったで面倒なことになりそうだし。


「違う、リオンくん。聞きたかったのは、庭にしっかりとカエルを仕込んであるかどうかだ」


 それほど重要な案件だとは思えないが、聞かれたので仕方なく答えた。


「……何匹か庭に放ったとは、聞いています」


「一匹でもいいから、ステファニーと遭遇してくれればいいのだが……」


 カエルもいい迷惑だ。


 全員水辺に逃げ込んでいることを願っている。


「ああ、リオンくん。ちょっとこのあたりに立ってくれるか?」


 よくわかないが、指示された窓辺に立つ。


「窓の方に背中を向けて」


「こうですか?」


 言われた通りにすると、真正面に立っていた兄上が僕の両肩にぽんと手を置いて、少しだけ腰を屈め、顔を覗き込むような形で見つめてきた。


「僕の顔になにかついていますか?」


「目と鼻と口がついている」


 そんなことを聞いているわけではない。


 なにが楽しくて男同士で顔を突き合わせていないといけないのか。


 かわいい女の子ならまだしも、男だし、なんなら変態だし。兄上の顔がいいのはわかるけども、それだけだ。


「……もういいかな」


 兄上が満足そうに身を離したので、首を傾げつつ、何気なく窓の外へと目を向けると、奥様が愕然とした顔でこちらを凝視しているのが見えた。その手から摘んだ花がはらはらと落ちる。目が合った瞬間、涙を堪えるように顔を覆い、走り去ってしまった。


 相変わらず生き生きしてるなー。


 その行動の意味はわからないけど。


「奥様が走り去って行きましたが」


「まったく……。ステファニーは花を摘んで来ることもできないのか。やれやれ。ちょっと生捕りにして躾けてくるから、リオンくんは休憩していていいよ」


 なんかまたやたらと長くなりそうな気配がしたので、ありがたく休憩を頂戴した。


 正直仕事よりも跡継ぎ問題の方が急務だから、存分に励んでほしい。


 嘆息してから窓の外へと視線を移すと、さっき奥様がいた場所の近くに、最近使用人として勤めはじめたばかりの女の子がいたことに気がついた。


 同い年なこともあって、そこからよく話すようになった笑顔のかわいい子。


 その彼女が、さっきまでの奥様と同じ表情をしてそこに立っている。


 え。なに……?


 窓を開けて声をかけようとすると、彼女は慌ててその場から逃げ出した。


 僕、なにかした……?


 気になって執務室を出て探すと、意外とすぐに見つかった。彼女はどこか落ち着かない様子で、そわそわしている。


「どうかした?」


「ごめんね、わたし、知らなくて……びっくりして」


「え? なにを……?」


「隠さなくても大丈夫。さっき旦那様と、キス、してたでしょう……?」


「は?」


 意味がわからず、ぽかんとした。


 キスなんてした覚えはまるでない。


 兄上からは親愛の意味での抱擁までしか受け入れていないし、それだって給金が上乗せになるから耐えているだけで。


 しばし首を捻って考え、そこで遅まきながら気がついた。


 奥様が泣きそうな顔で走り去って行った理由。


 あれは兄上と僕がキスしているように見えたからなのだと。


 兄上! なんてことを!


 しかも奥様以外に見られているし!


 ちょっといいなと思っていた子だったのに!!


 なんてことをしてくれたんだよ!


「わたし、応援しているから!」


「違っ、あれは演技で!」


「ごまかさなくてもいいよ! わたし、誰にも言わないから!」


 むしろ言ってほしい。僕が兄上の愛人役を押しつけられていることは屋敷の人ならみんな知っていることだから、きっと彼女の勘違いを懇切丁寧に訂正してくれるはず。


 勤めはじめたばかりの彼女はまだ、アドニス兄上の変態度合いも、奥様の変態度合いも、十分に理解できていないからこそ、見たままの光景を、見たままに解釈した。


 僕と兄上がキスしていたのだと。


「がんばってね!」


 善意しかない言葉に絶望しかない。


 くるりとお仕着せのスカートを翻して駆けて行く彼女を引き止めようと、慌てて一歩踏み込んだ瞬間、躓いた。


「わっ!」


 転びこそしなかったけど、その間に彼女は角を曲がって行ってしまった。


 追いかけようにも、きっともう遅い。


 むしろ否定すればするほど信憑性が増してしまう。


 というかもうすでに、彼女の中での僕は、アドニス兄上の秘密の恋人になってしまっているのだ。


 足の力が抜けてその場で膝をつく。


「……」


 そうだった。僕は絶妙に不運な星の下に生まれたリオン・クロッカス。


 こんなの、いつものことだ。


 こんなの……。


 こんな……。


「……っ、もおーっ!」


 天に向かって叫ぶ僕の前を、ぴょこん、ぴょこん、とカエルが通り過ぎて行く。


 ここにいたらだめだ。


 半永久的にステファニー劇場(悲劇)とアドニス劇場(喜劇)の犠牲になってしまう。


 やっぱり転職!


 どうか変態のいない場所に転職させてください、神様ー!




アドニスのウィンクの意味

(グッジョブ、リオンくん! グッジョブグッジョブ!!)


***

最後の最後までお読みいただきありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
心の底から変態共に振り回されるリオンくんが可愛そうだと思いました でもくっそ面白くてゲラゲラ笑いました ごめんねリオンくん。でも面白いんだ まあいずれ多分きっと幸せになれるよ
叙述トリック変態バージョン!信頼できない語り手(変態) めっちゃおもしろかったです! あとクズヒーローが清々しくて好きです。 義妹ちゃんとリオンくんもよかった。 あと好きなのは2話なんですが1話が巧み…
リオンくんマジ可哀想…。 大奥様先に言っておいてよは気持ちはわかるけど、大奥様も幼いリオンくんに「実はうちのアドニスが手の施しようのない変態でさぁ」とは言えんわな…。 まっとうな恋愛観の恋人ができるこ…
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