群れ
北部の土地、何とも久しぶりだ。クーシー征討以前に二、三度軍都の方を訪ねたことはある。王都のある南部は王都然とした自尊心に溢れた雰囲気だったが、こっちはこっちで国の半分以上を護っているその誇りを前面にしたような、そして南部以上の過酷な環境がさらに加速させたような独特の厳格さがある土地だった記憶がある。あとは“アイツ”がいることか……。
いや、都市部に入ったわけではないからまだ感慨に浸るには早いか。
「また駆け抜けるのか?」
カリマが俺の横顔を覗き込んできた。
「そのつもりだが、例の大群との戦闘は避けられないだろうな」
「そうか……」
「心配はいらん。一個体ごとにはそんな力がないからグールの群れか何かだろう」
「グールの群れ……本当に心配いらないのか」
「最悪燃やし尽くせばいい」
俺の言葉にカリマは引きつったような笑顔を見せた。何なんだ。
北の中間区域は明らかに植生が違っていた。大河一つ挟むだけでこれだけ変わるなんて俺の元居た世界では明らかにあり得ないが、魔法の世界ではありうる。
なぜこんなことが起こるのか、大陸の友人にひとり研究者がいた。彼の仮説は現状最有力とされ、典範教会も聖典の解釈に貢献するものとして歓待している。あの大河が神の結界だというものだ。中間区域についての調査は全くなされていないものの、大河の存在は大陸にもあり、ロッツェ王国だけではなく、中間区域を有する国々の建国王にあたる存在の手記に書かれている。
大河は神の結界、そして滲み出る魔力が中間区域を特異なものにする。しかし、この仮説が出た当初は、大河とはいえ世界の中ではあまりにも小さな要素が神の結界と言い切れるのはなぜか、だとか、中心を通っているからだけじゃないのか、とバッシングを受けていた。それに対してはあまりに明朗であまりに簡潔な答えが用意されていた。
聖なる結界が世界の中心を通り、全ての生命と魔法の根源たる水や魔力を清浄なものとして海や陸を通じて送り出していく。その何と美しい恩寵であることか、と。
確かにこの目で見て、澱みのない魔力と清らかな水を湛える大河は美しかった。自分の目で確かめなかったあの男があんな文章を書けたのは実におかしな話だ。
そして、神の結界に隔てられた南北。その違う光景の中を俺たちは駆けていった。踏みしめる土の感触、森や風のにおい、明らかにすべてが違う。陽の光を遮るような南の中間区域と違い、そこかしこにひだまりができている。感動すら覚える光景だが、明らかに大群との距離は近付いている。そして俺は読み違いに気付いた。
あれはグール……じゃない。あれは……何だ?
カリマもようやく異変に気付いたらしい。
「タツオ」
「ああ、あれは……小型キメラの群れだな」
説明をしようと思えばできるものではある。やはりこの中間区域の魔力が原因だろう。単体で弱い魔獣や生物同士がこの豊富な魔力に耐える器になるべく、密集し、結合する魔法を身に着けるように進化していったのだろう。群れになっているのも、きっとさらに結合を繰り返してより強大な存在になろうとしているのかもしれない。
そうなると厄介だ。攻撃力自体はかなり低いのだろうが、使ってくる魔法の手数は未知数と言ってもいい。そうなれば、火力でねじ伏せるまでか。どうせ奥の手を出すまでもない。今の俺は全盛期にかなり近い出力は簡単に出る。
数百メートルに迫ると、小型キメラの内容が見えてきた。
主にグールやスライム、その他大型の虫などが合わさっているのだろう、半透明の肉体にグールの内臓や眼球が透けて見え、虫の手足が生えたようなグロテスクな見た目の連中。俺たちの接近には気づいている様で、しっかりと群れを成している。
「俺が焼き払う。消火を兼ねてとどめを刺して回れ」
カリマに指示を出すと、わかった、と返事が来る。
こういった相手に「盛炎」では間に合わない。あくまでも、「盛炎」は数メートル範囲に絞った焼却を目的としているため、火力と言うよりはやはり地理的優位を作るための下準備のようなもの。もっと高火力、広範に向けた攻撃となると、上級魔法以上のものになるだろう。
そうなると詠唱はより長く、準備も必要だ。……となると……。
「乞い祈みまつらくは、ひとえに深潭の炎を我に与え給え。神威をもって不浄なるものに示し給え。」
基礎詠唱をしている段階で俺の掌にはバランスボール大に膨れていく白銀の光の球が、まばゆく辺りを照らしていく。
「死灰をもって清浄となす。『劫火』」
詠唱が完了すると同時にバランスボール大だったものはみるみるその大きさを増していく。さすがにこれをぶつければカリマにも俺自身にも被害が及ぶ、となれば制御が必要だ。
「『凝集』し、『減衰』せよ」
この調整が難しい。その球が野球ボールくらいに小さくなるのを確認すると、大群に向けて走りこむスピードを上げた。
ちょうど大群が数メートルに迫ったところで俺はその掌の光の塊を地面に叩きつけた。制御は完璧のはずだ、後方のカリマには一切被害は及ばない。
叩きつけられた光は地面にぶつかった瞬間に横にも縦にも広く前方を輝かすと同時に、キメラの群れごと木々を急激に燃やし尽くす。悲鳴一つ上げる間もなく一挙に熱と光が目前の光景を押しなべてなぎ倒すように灰にしていった。
「やりすぎたか」
流石に反省していると、カリマが横で握っていた剣を落とし、ぺたんと座り込んでしまった。
「どうした、カリマ」
「……恥ずかしいんだが……その……、腰が抜けた。今のは何なんだ」
俺はカリマに詳しく説明することにした。
「火魔法の詠唱は省略の具合で出力の割合を決められる。完全に詠唱をすればそれだけ出力は最大に近づき、ただその呪文一つを唱えるだけならかなり最小限のものになる。そして、今回のは『劫火』という上級魔法で、詠唱は四割ほど。完全に唱えればこの中間区域の半分は灰になるかもしれない代物だ。というのも、『劫火』の完全詠唱は数千年前の建国王による大戦以来この国ではなされていない。基本的に火魔法のほとんどは火の神にささげる詠唱が主だが、上級魔法は太陽神にささげる詠唱であることが多く、その分火力が段違いになる。」
「なるほど……確か風魔法も……」
「そうだ、特に基礎元素魔法で言えば風魔法、火魔法、水魔法、光魔法は上級魔法の媒体が太陽神とかかわりを持っている。」
「私はまだ上級魔法は出したことがないんだ」
「基本出す必要はないからな。殺傷力の塊のようなものだ」
「それ以外の活用はないのか?」
「人間の脳みそがあまりにカタいのさ。どうすればいいかを未だにほんの少ししかわかっていない」
カリマの手を取って引き起こすと、そのまま数十メートルは見通しが良くなってしまった道のりを歩んでいくことにした。キメラの残党は生存本能からかさっさと逃げてしまったようだった。
やりすぎた、中級魔法程度でよかったものを。
相手の手数を警戒して一撃で終わらせようとしたのが良くなかった。完全に灰と化した部分を抜けると、外側は炭化して、内側が赤々と燃える木々が目立つようになってくる。延焼しそうなものをカリマが風魔法で吹き消すといった道のりになってしまった。
やはり火力は全盛期に近づいていても、制御の甘さに衰えを感じてしまう。あまりにもずさんだ。生活魔法ばかり使っていると、こういった戦闘向きの魔法の制御の感覚を忘れてしまう。
そんなことを考えていると、カリマが口を開いた。
「騎士団ではもはや伝説の人物と言われていたが……、老師様はそんなにすごかったのだろうか」
「ああ、現在使われている基礎元素魔法の通常運用以外の『失われた技術』と呼ばれる“冥術”も扱える人物だった」
「……!」
「俺もいくつか見せてもらったが、全く訳が分からん。一応“冥術”にまつわる書物なども読ませてもらったが、そもそも着想から過程まで明らかに異質だった」
「“冥術”については騎士団の養成所で少し話を聞いた程度なんだ。基礎元素魔法の通常運用以外の技術……とはどういうことなんだ」
「例えば、老師の扱っていた物で言えば、無媒体魔法だな」
「?!……ありえない」
「と思うかもしれないが、魔力から直で魔法を放つ技術が存在している」
「無媒体ということは、魔法陣も魔術具も詠唱も印もなく、ということ……だよな?」
「ああ、そうだ。完全に手ぶらで、ノーモーションで魔法を扱える」
「そんな技術が……」
「これはあくまでも“冥術”のひとつにすぎんよ」
そう、“冥術”はあくまでも再現が困難あるいは不可能な魔法技術の一体系だ。そして、“冥術”の使用においてなぜか共通する条件が存在する。『自分が使える“冥術”は口承ではなく、暗号にしなくてはならない』ということだ。自分の手数をおいそれと口にする奴はなかなかいないとは思うが、他人に簡単には明かさないという前提の下、“冥術”はその特異性を保っている、らしい。
「タツオ、お前も使えるのか」
「使えないこともない。まあ、いずれ目にするだろうよ、もしくはもう目にしたかもしれないけどな」
「えっ」
「冗談だ、行くぞ」
「えっ、あ、おい。どれが冗談なんだ」
カリマの動揺をよそに俺は歩みを進めた。この程度の冗談で動揺するのはやっぱりまだガキなんだなと思う。とはいえ、俺も老師の無媒体魔法を見たときには同じ反応だった気がする。
いきなり目の前に巨大な水の玉が現れたときには腰を抜かしたまである。しかし、今ならわかる。この世界でも俺が元居た世界でも理論上可能だと解明されたことは誰かしらが挑戦していき、必ず成し遂げる。ただ、一つ言うとすれば、魔法の場合、理論がわかっていても不可能なことの方が多い。圧倒的才能、もしくはそれを上回る効果的な努力、そこに集約される。“冥術”はあくまでもその可能と不可能とを隔てる壁そのものともいえる。俺は何とかそこにしがみつけた。それも多くの人の支えと多くの人の憎悪がここまで俺を育てたと思える。……老いかな。