大河
翌朝、蛇肉の影響か、十数年ぶりに実に爽やかで力がみなぎるようだった。実際、カリマを見れば魔力量は回復どころか、総量に変化があるようにも見えた。ここに生息するものを食えばそれだけで基礎能力の底上げが見込めるということだろうか……、いや、まだ決めつけるにはサンプルに偏りがありすぎる。そもそもクーシーの大蛇ですら魔力の回復は見込めていた。底上げとまではいかなかったが、食べたものがクーシーのものの進化した末の姿か原種かならありうる話だ。
一寝入りして魔力もみなぎると気付いたことがある。魔力探査をしてみると、微々たる差ではあるが、北へ行けば行くほど、巨木に宿る魔力量が多くなってきている。まるでグラデーションだ。進行方向は間違っていないようだ。
しかし、この巨木群をすでにもう体感では数十キロは移動しているが全く薄暗闇のままだ。開けたところに早く行きたい。陽の光も月明りも感じないと何日たったかも寝た回数でしか判別がつかなくて参る。中間区域の深奥部に入れば少しは景色が変わるだろう。だが北部のほうがどうなっているのかはあまりわからない。あくまでもこの巨木は南部の平野の植生が恐ろしく成長した姿というのが定説だからだ。
ずっと不安が止まない。
変わり映えのしない景色というのがここまで気が狂いそうになるものだとは思いもしなかった。
時折遭遇するのはやや大きめの件の蛇とスライム状のあの生き物。入り口の方で出会った連中より弱い気がするのはきっと深部に行けば行くほどに彼らのえさになるようなものもなかなか出くわさないからか、飢餓状態に陥っているようだった。この地が与える魔力だけで彼らは自分の寿命まで生かされているのだろう。そして、慢性的な飢餓状態と魔力の飽和は彼らから狩りという概念を奪い去ったのか、俺たちに対して攻撃的な個体は奥に進めば進むほど少なくなっていた。
そして確かに奥へ進むほどに体がだるくなるほどに魔力が体に溢れていく感覚があり、俺たちは結構な頻度で魔法を使って放出していく必要があった。その度に俺の魔法は徐々に全盛期に戻っていくようだった。火力の限度幅の上昇、出力範囲の精密な制御、詠唱の重ね掛けによるリスクの低下、全てが全盛期に近い。そこだけはこの代わり映えのしない旅路の中で唯一の救いだった。
「タツオ、やはり凄まじい火魔法だな」
「ああ、少しずつ全盛期に近づいている気がする。これはこの土地の力ということかもしれん」
「……ん?」
「どうした、カリマ」
「この前の『盛炎』は納得いくものではなかったということか」
「そうだな。精度も火力制御もゴミ以下だ、この地域の特性がなければなおさらだな」
「……」
カリマが「あれで……?」と小さくつぶやいたように聞こえたが、すぐに咳払いしたため、あまり聞き取れなかった。
実際、あの時の『盛炎』は明らかに暴発ともいえるものだった。中間区域の豊富な魔力にあてられたようにして威力の制御がうまくいかなかったと仮説を立てることができる。今のこの感覚はようやくこの土地の魔力が体になじんできたのかもしれない。
魔力の供給過多、これは時に致命的になるというのは師匠に口酸っぱく言われた。
肉体が許容できうる魔力は個人差があるものの、許容量を溢れた魔力は魂をむしばむと言われており、精神に異常をきたしたり、感覚や知覚がゆがんだり、魔法が制御不能になったりと実害が出る。
仮にこの魔力過多の状態にパニックでも起こそうものなら、魔法の大規模な暴発などが起こり、複数人の調査では集団パニックが引き起こされ、それはもう筆舌に耐えがたい惨事が起きた可能性もある。俺やカリマはそういった訓練や講義を受けた経験があるから、ある程度の魔力災害、魔法災害に対処できる力があったのだろう。
こうして足を進めるほどに、この土地に踏み入った者たちの末路が徐々に見えてきた。魔力の過多によるパニック、そしてそのまま死ねば、魔力の豊富なエサとして魔獣たちが食い、低層の魔獣が強化される。強化された魔獣と土地の豊富すぎる魔力が再び入り込んだ者を襲う。深部に行くものがいないのはこういった危険が低層ですでに育まれてしまっているからなのだろう。考えれば考えるほどに納得がいく。建国王や三賢人などのここを通過できた人間は自分の魔力のたっぱをしかと理解していた、それだけの修練度のある人物だったということだ。俺たちが魔力に関するあらゆる研究体系を学ぶはるか前にその知識を……。いかん、気が遠くなりそうだ。
そんなことを考えていると、カリマが「あっ」と声を上げた。
「どうした」
「タツオ、聞こえないか?……ほら」
カリマの指摘に耳を澄ませる。木々が揺れる音の中、かすかに違う音がする。
ごう……ごう……とやや遠くから。
川だ。
それも大きい。ということはとうとうこの森にも終わりがあるということか。カリマもそれを察してか、こちらに、にっ、とうれしげな笑顔を見せた。「よし、行くか」とうなずいてやると、ずんずんと足取りを軽くしていた。
俺たちの足取りは常人に比べると早いほうだとは思う。かれこれ体感では100km以上の移動はした気がする。もしかしたら体感以上の移動距離はあるかもしれないが、定かじゃない。的確に移動距離がわかる生活魔法なり、魔具なりがあれば一番楽だが、生憎知らないし、こんなことになるなんて想定もなかったから仕入れる気もなかった。
「魔力をこちらの体にまで供給してこようとするほどのこんな土地なんだったら身体強化を全力でかけて駆け抜けたほうが早かったんじゃないか?」
カリマがもっともなことを言った。
「こんな土地だと知っていれば最初からそうしたが、知らなかったろ。たらればはナシだ。だけど今からでも遅くないだろ、走れるか」
「私は問題ない」
「よし、行くか」
二つ返事で俺たちは腿から足の爪の先まで魔力を十分に行きわたらせて、全力で駆け抜けた。
間違いない。このほうが圧倒的に早いし、いちいち魔法を小出しするよりはるかに効率よく児童回復と大量消費をかなえられる。数分、数十分と走っていけば行くほどに、木々が少しずつまばらになっていく。川音もより近付いている。
そして、走り出して三時間弱ほど経った頃、俺たちは数日ぶりに木漏れ日を見た。
「タツオ!陽の光だ!」
カリマの声とともに俺たちの視界の奥に水しぶきが見えた。
「見えるか、カリマ。川だ」
走りに数段ギアが入る。早くその光景が見たい。木漏れ日が広くなっていき、奥にごうごうと流れる水面と陽光のまばゆい世界がほんのり見える。
「カリマ、眼球や視神経を強化しろ。陽光に適応させるんだ」
すでに木漏れ日だけでも目つぶしに遭いかけているなかで、目を守らねばとすぐに判断して、カリマに伝えると、横で小さく頷いた。
明るさと暖かさが体に染み入るようだ。魔力強化をしていても眩しさで目を細めなくてはいけないほどに暗闇に自分が慣れていたんだとわかる。木々も完全にない川辺が目の前だ。
そして俺たちは驚くべき光景を目の当たりにした。
幅の広い川は早い流れにもかかわらずほとんど完全な透明で砂や泥が混じっているようには見えない。よく見れば、川底の地面と水の間に魔力が層をなしている。それだけ濃密な魔力があふれ出ている土地ということか……。
「カリマ、魔力を何らかの形で使っていかなければ死ぬぞ。これは危険だ」
長居はできない。自動的に回復をしてくれるメリットを生かして北部へと一気に抜けていくのも手だ。魔力探知を使って魔獣などの危険を避けながら、土地の魔力量の少ないところまで身体を強化して一気に駆け抜けていく。
そんなことを考えていると、カリマが何か言いたげな顔をしていた。
「どうした、カリマ」
「タツオ、魔力探査しながら身体強化しつつ、なんて考えているんだろ」
「ああ、そうだが」
「土地から滲む魔力ばかりしか見えない、どうすべきなんだ」
「教わらなかったのか、探査の対象の選択」
「へ……?そんな技術が……?」
「はあ……、今の教官は誰なんだ。そんな初歩も教えないのか」
「初……っ、どう考えても高等技術じゃないか。それより剣技や個別の魔法を伸ばす方を優先すべきだ」
「へえ……、時代は変わるもんだな」
魔力探査に関して、風景全体の魔力の流れを掴む全容探査と、動物なら動物、静物なら静物といったように選択していく選択探査との大きく分けて二つの方法論がある。
俺が老師に世話になった時は魔力探査と言えば選択探査の練習ばかりさせられた。
選択探査のやり方自体は非常に簡単だ、視神経に魔力を集中させる全容探査の状態から、単にピントを合わせるように目を細めるなりそこのやり方はたくさんで、そして合わせた対象だけに意識を集中させる。その意識の集中、精度がモノを言う。
老師曰く、敵味方関係なく誰の魔力がどれだけの出力量なのか、そして出力時の瞬間的な情報でどういった威力になるのが想定できるのか、詮索探査を極めればそれくらいは手に取るようにわかる。それを理解したのは戦争も終わって数十年が経ってからだった。
今回で言えば土地の魔力、そしてそれを吸う植物を探査の意識から除外するだけでいい。しかし俺は驚くべき光景を反対の岸の奥に見た。
何かの大群がいる。魔力的に高密度だ。数十から数百はいるかもしれない。そして明らかに土地の魔力からは別に自律している存在。避けて通りたいが、横に広く分布している。
今までいた南部は平野の延長だったがゆえに生態系は比較的穏やかな方だったと言える。それに加えて、本来熱帯のはずのこの地域には昆虫などがかなり少数なのも進みやすかった要因の一つだ。きっとこの魔力の豊富な土地に耐えられる進化を遂げた種類が極端に少ないのだろう。
しかし、北部は世界有数の危険生物の宝庫ともいえるヴィルアゼルの森に接している、ということはその延長である可能性が高いのだ。仮にそうであれば、この奥に見える群体は何らかの危険生物の可能性があるということだ。そんなRPGのような展開になるとは。やはり海路を使いたかった。人生には試練がつきものなんてよく言われるが、こんな試練はいらない。
「タツオ、どうした」
俺がずっとだんまりこいていたから心配になったのか、そばで不安げな声で聞いてきた。
「奥に何かの大群がいる」
「……全然見えない、本当なのか?」
「かなり奥だ。……本当に選択探査ができないんだな」
「そっ、そんなに言うなら教えてくれてもいいだろう」
「全容探査の状態から、見たいところに対して集中するイメージを持っていけばいいだけだ」
「……それだけ?」
「あとは慣れだ」
それだけ聞くとカリマは目を細めたり、こぶしを握ったりして奥をじいっと見つめ続けた。多分俺の教え方はへたくそなんだろう、できているようには見えない。
「……いい、とにかく臨戦態勢は取っておけ。」
俺の言葉にカリマは不機嫌そうに頬を膨らせた。仕方ないだろう、できていないものはできていない。
それにしても、あの大群は何だ。距離感としてはそこまで近くはないし、個体一つ一つが有する魔力量もそこまで高いようには見えない。感覚的には……そう、鰯が大群をなして自らを大きく見せているような感じだ。もっと近くから分析すればどんな魔法を使うかもわかるだろう。
「よし、カリマ。行くぞ」
俺の言葉にこくり、とうなずくと大河を目いっぱいの身体強化で飛び越えた。カリマが先に着地したものだから、俺は彼女の手を取って着地した。
「年配者はいたわるものだからな」
「言うようになったじゃないか」