ロッツェ王国聖堂騎士団副団長
俺の問いにやたらと威勢のいい、ハスキーな女の声が返ってきた。
「騎士団の者だ!」
ちょっとからかってやるか。
「それだけじゃわからん。帰れ」
「……ロッツェ王国聖堂騎士団副団長、カリマ・ギグーである。直ちに門を開けよ」
副団長?ずいぶんとお偉方が来たもんだ。……いや、あの時にいたか?いたかもしれんな。
俺は門を開けてやった。
「何だ、忘れ物でもしたか」
「今般のヴィルアゼル遠征において、同行することとなったから来たまで。いつ出発するご予定か」
「んなもん、俺の勝手でいいってんなら収穫物を出荷してからだ。再来週のマンドラゴラ出荷後だな」
俺がそう投げやりに伝えてやると、女騎士は俺の胸倉を掴んで凄んできた。
「貴様。勅令の重大さを理解しているのか」
「知ってるさ、でも俺の生活はそれと同じくらい大事なんだよ。ほら、離した離した」
女騎士は俺から手を離すと、舌打ちをしていた。
「……にしてもまあ、こんな爺さんと二人旅ね。左遷ってやつじゃないのかね、副団長さんよ」
かかか、と俺は笑いながら、晩飯の準備を始めた。
「勅令なのだ、仕方あるまい」
「お前、飯は食ってきたのか」
堅物な彼女に俺は飯を作ってやろうか、と提案すると、少し堅い顔のまま小さくうなずいていた。
こういう寒い日はポロネギのスープと俺は決めている。
“英雄”をやっていた時期の人間関係の中でも今でも有効な人はありがたいことに少なからずいて、クーシー諸島で知り合ったオリーヴ農家のホアキンが年に二度大量に送り付けてくれるオリーヴオイル、コイツがこのポロネギスープには欠かせない。
まず、鍋にオリーヴオイルをひと回しして、そこに白い部分を薄切りにしたポロネギをたっぷり入れてやる。色づかないくらいに火を入れたら、前日の昼間に市場で買ってきた、ロッツェ王国の南部の国土の三割か四割を占めるほどの広大さを誇る平野であるエイオース平野で獲れた大猪のモモ肉を塩漬けにしたもの、同じくエイオース平野で採れるキノコ数種、たっぷりの生姜、そして最強のスパイスとして俺のマンドラゴラの葉を乾燥させたものを入れてから水で煮込む。
そういえば、俺のもともといた世界のマンドラゴラが実在したのか、どんな形だったかなんていうのは全く記憶にないが、この世界のマンドラゴラは実に素晴らしい植物だ。
複雑に細かい根が絡んで形成される根は見た目こそグロテスクだが、魔力回復や神経系の病気に対する薬効などかなり重宝される。夏には目に眩しいくらい鮮やかな紫の花を咲かせ、その花弁を乾燥させれば好事家向きの香りではあるがとても良質なハーブティーにもなる。そして、葉は生と乾燥させたものとで風味が断然違う。生で食べるならば若葉のほうが風味としてはいいから今の時期には向かないが、乾燥させたものは非常に香りがいい。一番近いのは柑橘系のさわやかさがある。
スープが煮込まれると、大猪の臭みをポロネギと乾燥マンドラゴラ、生姜が消していき、部屋中に何とも食欲をそそる香りがしてくる。
副団長様め、今唾を飲みやがったな。
「もうすぐできる。パンがあるからそれを浸して食え」
この世界のパンはやたら硬い。下手な店で買ってしまえばナイフが通らないこともある。だからこそ、自分で作るなり、信頼のある店で買うなりしないとだめなのだ。
パンとナイフを騎士に渡してやり、スープをかき混ぜる。肉も柔らかくなってきたようだ、そろそろいいだろう。
アツアツのスープを出してやると、彼女は目をそっと瞑りながら祈りをささげていた。さすが聖堂騎士団副団長、敬虔なことだ。俺も簡易的なものながらしてやることにした。信心はそこまでないにしても、彼女の横顔を見ればその祈りが正しいことであるような気がしたからだ。
「美味しい……」
祈りを終えた彼女は一口スープをすすってから呟くと、もう一口、もう一口と口へスプーンを運んでいた。
「当たり前だ、多少魔法を使って調理の進みが早くはしているがな」
「そんな魔法が……」
「生活魔法だ、何も戦ったりするのが魔法の本質じゃあない」
スープにパンを浸してから食べると、彼女もそれをマネして食べる。すると目を丸くして、また無言で食べ進めていく。
「そんなに騎士団の飯はまずいのか」
俺の単刀直入な質問に彼女はむせそうになった。
「ん゛ッ、な゛、なぜそう思うのだ」
「やたら喰いっぷりがいいからよ、うまい飯にあたってねぇのかなと思うじゃねぇか」
「……美味い不味いではない」
「素直に言えばいいのによ」
また無言で食べ始めた。スープがなくなっていくのを見て、彼女のボウルにスープを追加してやった。
その後も彼女は満足いくまで食ったのだろう、食後には顔色も少し良くなり、不機嫌そうだった顔もどこか柔和になったように感じた。
「というわけで、今日のスープで分かったかもしれんが、俺は自分の作物に誇りがある。お前らが陛下に仕えることに誇りを持っているのと同じだ。……再来週まで待ってくれるか」
食べ物をダシにしているのは正直気は引けるが、堅物相手にはこれくらいしか説得は思いつかなかった。
「……わかった。ただし私からも条件がある」
「何だ、無理なものだったら却下するぞ」
「……収穫、集荷を手伝わせてくれ」
「はぁ?そんなことか。人ではあるに越したことはない、助かるが……、お前、副団長だろうが、忙しくないのか」
「すでに今日から五年間は副団長代行職が立てられている」
「仕事のはやいこった。じゃあ、まず来週、ポロネギだ。それまでは旅の準備なり鍛錬なりしておけ」
「……相分かった」
そんなこんなで俺は退路を断たれたようだった。
実際次の週になると、毎日のようにカリマは来るようになった。収穫の仕方を教えればかなり的確かつ迅速に収穫を済ませていき、俺は自分自身年の割には早いだろうと自負していたが、やはり若さには負けるらしい。普段より数時間早く終わってしまった。
少し痛む腰をたたいていると、「こういう民草の仕事で汗をかくのも悪くない」なんて余裕めいたコトを言われてしまった。癪だ。だが、やはり誰かと仕事をするのはそこまで悪い気分はしない。40年前を思い出すようだった。大勢で乗り込み、その先陣を切ったあの日を。
翌週も律儀にマンドラゴラ収穫を手伝ってくれた。無論、ハイスピードで事が済んだ。
俺は回収業者に旅のことを伝えることにした。
「……まあ、そういうことだからな。数年は休耕ってわけだ」
彼はやっぱりか、という顔をして笑った。
「そうか、タツさんのことは誰も放っておかないと思っていたさ。くれぐれも無事でいてくれよな、死なれでもしたら俺の稼ぎが減る」
「よく言うぜ」
「ははっ、それは冗談としても、お互い元気でな。また酒でも」
「ああ」
案外、スムーズに取引の休止が決まった。これが勅令の力なのかね。
いろいろ出発の準備を進めていると、カリマが「衣服などの準備をどうするんだ、もう明日にでも出たいぞ」と騒ぎ始めた。
準備というのも俺は楽だ。生活魔法のオタクになった時期があるおかげで収納魔法を使えば衣類くらいは持ち運べる。もっと極めればよかったんだろうが、飽きっぽいせいで箪笥一戸分くらいの収納スペースを作る程度にとどまってしまった。まあ、無いよりはましだろうが。
「食料はどうするんだ」
「ヴィルアゼルとここの間には街道や宿場はおろか、街すらない、わかるな?中間区域だ」
「それくらいはわかる」
「大荷物を持って移動するのは極めて困難で危険でもある、中間区域はできる限り手ぶらで突破したい」
俺の言葉に彼女は、ふむ、という顔をした。
「収納魔法で衣類を運べ、食糧は現地調達、ということか」
「ああ。……お前、中間区域についてどれだけの知識がある?」
「私の知りうる限りだと……、ヴィルアゼルとエイオースの中間、強力な魔獣や森林が点在していて、街道整備をするにはあまりに危険とされている区域。しかし、そこを抜けると、中央にヴィルアゼルの森が広がり、東西の海岸線沿いに進めば軍事都市が二か所あり、ヴィルアゼル、中間区域、北方諸国に対する守りの拠点になっている……」
俺はため息しか出なかった。
「……あまりに中間区域の知識が浅すぎるな、騎士団の教育はどうなっているんだか」
「何だと?」
「中間区域と呼ばれる地域は確かに強力な魔獣がいるとされているが、それは部分点だ。実際はすべての魔獣が強大だと言われている。詳しい理由は知らんが、この世界の中央とされ、この世界の魔力の泉源とも言われる南北断絶帯の上にあるからともされているらしい。南北断絶帯について俺はよく知らんが、その上にある魔獣は成長がすさまじいと聞く。そしてその帯こそが南と北の動植物の生態を大きくわけている。そして、そここそ、神の住まう国、天上界に最も近い場所とも言われているそうだ。実際、今の学説では『神の結界』というのが定説らしい……とまあ、そんな地理の授業はさておいても、そんな場所を通るんだ。大荷物を持っていれば格好の餌食だ」
俺の言葉に彼女は唖然とした表情を一瞬見せた。
「……さすがだな」
「この国の騎士ならある程度この国の地理を脳に入れておけ、お前いま何歳だ」
「17だが」
「前言撤回だ、しっかりこれから学んでいけ」
17歳、ちょうど俺もそれくらいにこの世界に呼び出されたな。まさか進路が元英雄、さらには異世界の農家だとは思わなかったが。
にしても、大抜擢が過ぎる気がする。17歳で国内最強の騎士団の副団長を任されるとはどういうことだ。
「17歳で副団長か、上級貴族のご令嬢か何か後ろ盾でもあるのか」
「いや、私は平民の子だ」
どういうことだ……。
「……ますますわからん。……加護か?」
「さすが、察しがいい。風の神の加護、あると判明するや否や私は聖堂騎士団の養成所に9歳のころから入ることになったんだ」
「家族は、恋しくないのか?会えないだろう」
彼女は少し押し黙った。
「家族は私を家族として見てないだろうな」
「……?」
「騎士団に入る段階でもともとの名前を捨てるんだ。身命を賭すうえでしがらみを極力減らしていく必要があるからだ」
「そいつは……無機質だな」
「そうか?私はそう思わない。市井の暮らしを守る陛下、そして陛下をお守り給う神々、二者に仕えられることは信仰の一到達点じゃないか」
彼女は自分の今に誇りあるとばかりの穏やかな笑顔を見せた。
「……まあ、そういう考えもあるか」
騎士団の連中の価値観は理解できるようでできない。『敬虔』の一言で済ませてしまうのもどうかと思える。そして、この子はなるべくして今の地位に成ったのだともわかった。
「カリマ。明朝には出るぞ、しっかり体を休めておけ」
「相分かった」