伝手
それにしてもおかしい。魔力探知をずっと使っているが先ほどの群れ以降何も検出できない。ヴィルアゼルの延長と聞いていた割にはおとなしすぎる。中間区域と言えば強力な魔獣がわんさかいるというのが伝承だったはず。さっきの『劫火』で威嚇してしまったのだろうか。
カリマもあまりの静寂具合に怪訝そうな表情で辺りを見回している。
「タツオ、何かおかしいな」
「ああ、わかっている」
植物と地面から立ち上がってくる魔力以外、一切生物がいない。虫一匹探知できないとはどういうことか。不気味だが、先を急ぐ俺たちにとっては僥倖だ。
俺とカリマは互いの顔を見あってから頷くと、一気に加速した。俺たちのできるトップスピードで移動していく。北部の大地は南部に比べて進みやすい。南部は平野とはいえ肥沃なためか、木々は根を太く張り、地上でも現れては絡み合って凸凹が実に多かった。北部は根が深くに延びているのか、腐葉土のふかふかした感触を踏みしめながらぐんぐん先へと進める。
俺たちの足音と風、それに呼応するように木々は揺らいで葉がさざめく。秋でも中間区域は潤沢な魔力で葉が枯れるのは遅い。元居た世界ではここいらは赤道だとかで熱帯雨林なのかもしれないが、この世界はそういうこともない。神の結界、その御業の影響があるのだろうが、俺のいた世界のようにしないことで何があるのか、俺は研究者ではないからわからない。
足音、風、さざめき、足音、さざめき、風、風、風。単調ながらもそれらしか聞こえない空間を駆け抜けていけば、木々の密度が徐々に高まっていく。
こんなにも簡単に中間区域を過ぎていいものか?俺の知りうる中間区域ではない気がするが、抜けてしまえるのならそれでいい。
「タツオ、この前言っていたツテとは合流するのか?」
カリマがいきなり質問してきた。ああ、そうだった。
「お前が大丈夫なら、の問題になるかもしれない」
「……?」
「元北部軍の総帥代行だ」
「?!」
「クーシー征討後の北部軍はモ・モルポ殺害の一件で肯定派と否定派とで分裂を起こして内戦寸前だったんだ。クーシー征討の際には北部軍の現場指揮官をしていた当時の大佐がその騒動を数カ月で治めたんだ。すると、当時の総帥はこの騒動を看過したどころか扇動したとして急遽処罰を受けることになり、総帥不在の時期が次期総帥任命までの約三年続く可能性が指摘されたんだ。だが、当時からクーシー征討に対してロッツェ王国より北にある小国群は否定的で、抗議の攻撃なども十分考えられる中で、指導者不在は格好の的もいいところだ、と国王陛下が代行職を立てることになり、急遽大佐が総帥代行を四年務めることになったというわけさ」
「昔馴染みとは言え……凄まじい人脈を持っているんだな、タツオ。……あの戦争を経れば当たり前と言えばそうか」
「まあ、軽い紹介となったが、北部軍のトップをしていた人物だ。当然、王都の人間にはかなり厳しい態度で接してくることになるだろう。覚悟はいいか?」
「北部に入る時点でそれは覚悟の上だ」
「いい面構えだ」
ジョゼット。彼女の名だったが、基本的に彼女は名前で呼ばれることを嫌っている。
『大佐』『総帥』、そして今や『マム』と呼ばせているらしい。しかし、俺や一部の人間が呼称で呼ぼうものなら、キレ散らかすといった非常に扱いにくい人物だ。
彼女の代名詞と言えば、治癒魔法と戦術力にあった。治癒に関しては、『脳みそと心臓さえ残っていれば生き残ることはできる』と言われるほどの高精度な治癒魔法を扱い、そのもととなる光魔法に関しても恐ろしいほどの火力と精度があった。戦術力や指揮官としての才能、それは『彼女が指揮に当たれば戦闘はスピード感がもたらされ、戦況もみるみるこちらに傾く』と言われ、軍神の名をほしいままにしていた。
同時に『南部は王都以外押しなべて不要』という極端な政治論を掲げるような一面もあり、北部の民衆はそれに賛同していたが、同じ軍部の中でも『さすがに王政に口をはさんでいるともとらえられかねない』という実に臆病な意見が噴出すると、ほとんどそれが直接的な理由となったのか、その数年後には総帥の座を退くこととなった。
南部と北部の対立はジョゼの失言やらクーシー征討やら、そんな“チンケ”なものが原因ではなく、はるか前にそのルーツは存在している。一概にこれが最大の要因だ、と言えることがあるわけではない。むしろこまごまとした政治的な理由と地理的な理由とに分かれている。
まず、政治的な理由として、数百年前に興った議論が一つ挙げられる。それは地理的な理由にも結び付けられるものだが、『王都分立論』というものが提唱された時期があるという。
簡単に言えば、現国王や政治の中枢は南部で維持するとして、王権の継承権の順位が高いながらも、王家の本家ではない分家などの者たちが住まう、言わば第二王都を北部に設置すべきだというものだった。南部からの遷都がありえないとされたのは、南部の土地が肥沃で都市や農地の開発に向いているからだったが、それでは中間区域を挟んだ北部の統治は等閑になりかねないという意見から生まれたものだった。そして、これを提唱したのは北部出身の大臣だったのだが、当時のロッツェ王国は国力充分、周辺の島国も統合していたというのもあり、国王があまりにも“天狗”になっており、その大臣の意見を完全に無視し、職から外してしまったそうだ。
その後、大臣は内乱の準備をしてしまったがゆえに処刑され、北部における王家への憎悪は高まった。いつしか、北部において、「王家は排すべし、王権は敬うべし」というスローガンを掲げる者たちが団結するようになり、王家の弾圧と地下組織における主義主張の興隆が数十年おきに高まる土地柄になっていったのだ。そして、北部軍にもそのスローガンは遺伝子のようにしみついてしまったようで、反王家派や反典範教会派が少なからずいる、らしい。
この分断がもたらしたのは、聖堂騎士団と北部軍の戦闘力や魔法の実力の格差だ。白兵戦においては北部軍の圧勝が見えるほど、戦闘力は騎士団にないが、魔法の実力という点において魔法戦になれば北部軍に勝ち目がないのはクーシー征討の時から俺は察していた。
偶然、俺の時代には老師がいたために白兵戦にも対応できる騎士団の時代があったが、老師の死後は当然のように魔法特化になっていった。しかし、どうだ。カリマを見たときに俺は呆れてしまった。彼女は才覚こそあるが、それを活かしきれていない。
ここで俺は思わずカリマの方を見てしまった。
「どうした、タツオ」
「……いや、何でもない」
「何か言いたげな顔をしておいて何だ」
「騎士団の今の教官は何者なんだ」
「……知ってどうする」
「あまりに聖堂騎士団を弱体化させていると一言言いに行くだけだ」
しまった。ストレートに言いすぎた。
カリマの方を見ると、怒りに満ちた表情だが、その中に言い返せない悔しさがこもっているのか、無言のままだった。
「しかし、事実は事実だ。どんな顔をしても、今の聖堂騎士団は弱い。本来この国の魔法における最大戦力でなくてはならないはずだ。こんな生活魔法しか使っていないジジイに火力負けするなんて由々しき事態だ」
カリマは黙りこくったままだ。だが、誰かがこういった役目を果たさねばならない。王都を護るために存在しているこいつらが俺に負けるようなことがあってはならない。俺が鍛えることもできるだろうが、きっと彼女はそれを望まないだろう。参った。
「我々は……」
「ん?」
「我々は……最低限の力をもって王都に仇なすものをはねよけられれば良いのだ……!貴様のような……っ!」
「……俺のような、何だ」
「……何でもない」
「何だ、言ってみろ」
「……」
「言え」
「……」
「言えっ!!」
「貴様のような……人殺しとは違う」
「……そうか」
俺の言葉にカリマは少しうつむいて何か言いかけたが、「良い」と俺はその言葉を遮ってしまった。
別にそう呼ばれることには慣れている。実際殺したものは殺した、賛美されようが非難されようがその事実は変わらない。いまだに俺はモ・モルポの最期を夢に見る。それは俺だけが知っていればいいとも思うから、どう呼ばれてもいいと思っている。
だが、俺は典範教会や騎士団、北部軍のためにこの世界に呼び出されて、人を殺した、そのことだけは腹の底で恨むだろう。カリマひとりにぶつけることではないから今とやかく言うのはお門違いだと俺自身理解している。




