選ばれしジジイ
――――晩秋、ロッツェ王国、王宮。
「陛下!!陛下ッ!!」
大柄な男が王宮内を駆け回る。
「ギ、ギルドマスター殿?!どうなさったか!」
大柄な男の周りに何人もの騎士や使用人、文官が取り巻く。
それもそのはずだ、この男は王国のギルドを取りまとめるギルドマスター。国一番の豪傑とも称されるこの男が顔を青ざめさせて、目は血走り、息を切らしているのだから。
「何の騒ぎだ。どうした、魔王の亡霊でも見たか、ラウール。」
「へッ、陛下。……魔王の亡霊のほうが幾分……程度のいい報せかと」
ギルドマスターの言葉に王もまた顔色を変えた。
「まさか、あの依頼が……更改されたなんてことはないだろうな」
「……その、まさかにございます」
「……適任者は我が国にいるか」
そう言われるとギルドマスターは押し黙った。
「何か知っているようだな」
王の言葉にギルドマスターは渋々口を開く。
「依頼主が“彼”をよこせと申しておりまして……、その……、陛下!お言葉ではありますが、彼はもはやそういった過酷なものに耐えうる体では……。ここは我々が……!」
「黙れ、余に意見するか。知った風な口をきくなよ、これは……あの男を説得するほかあるまい」
王宮は緊張感に包まれた。
*
―――――ロッツェ王国、南部郊外。
今年のポロネギの出来は本当にひどい。これなら去年のほうがまだましだったかもしれない。温室のマンドラゴラもこれでは期待できないかもしれない。冷夏と日照不足がたたっているな。
「これなら元の世界に帰ってサラリーマンやっていたほうがまだよかったかね」
腰を手の甲でどんどん叩いて姿勢を正す。もう少し若かったなら、魔力で肉体強化を惜しみなくできたんだろうが、そもそも気力がない。
鬼塚龍王。リュウオウ、ではなく、タツオ。それが俺の名前。
本物のリュウオウだと思われて、たいそうな称号を持った男だとかなんだだとか言われながらもう40年近く前にこの世界に召喚された。
つまり、名前が強そうだから呼ばれたのだ。呼び出されたとき、俺はさらに運が悪かった。
帰りの魔法陣やら魔術具やらがなぜか木っ端みじんにぶっ壊れて、修復がほとんど不可能になってしまったらしい。……俺は当時高校生だったが、見知らぬ土地に片道切符で呼び出されて、「魔王を倒してくれ」と懇願されたのだった。今になって思えば、魔法陣や魔術具が修復不可能なほど損傷するなんてそんな馬鹿な話があるわけがない。完全に魔法の知識がないガキ相手に引き留める理由を苦し紛れででっち上げたのだとわかる。
さらになぜ魔王を倒さなくてはならないのかという理由について、当時はまともに理解もできなかったが、今ならわかる。“魔王”の住まう島周辺の資源だ。他国に対して高値を吹っ掛けたり、出し渋ったりとなかなか傲慢とも取れる態度だったために、武力行使に打って出たのだろう。俺を呼んだ理由は、あらかた「別世界の存在を取り入れればより強力な戦力になる」くらいの感覚だったのだろう。
しかし、当時の俺はそんなことを考える余裕もなく、がむしゃらでやった。
魔法の習得、この世界の情勢の勉強。
正直、勉強も実技も何もかも苦手で嫌いな劣等生の俺には苦行だった。
スライムやら何やら、弱い魔獣を倒せるようになるのに二年かかった。そして、中型の魔獣を倒せるようになったのも一年半かかった、大型となればさらに一年。俺の修業は四年半も要した。通常、この世界の騎士見習いでも戦場に送り出せるようになるまで二年とかからないと言われ、俺は落伍者のレッテルを貼られかけたこともあった。
そんな中でも、何とか、俺は魔王の首を討ち取るまでに成長した。その頃には召喚から十年も経っていた。この十年はどうやらその魔王の根城のある諸島の名前をとって「クーシー聖戦」だとか、「クーシー聖討」だとか呼ばれて、俺もこの土地を得たり、数年は英雄として扱われたりと、気持ちのいい毎日を送ることができていた。
しかし、年数を経るごとに聖戦の代償というべきものが露骨になってきた。
まず、一番目についたのは社会情勢の悪化だった。
クーシ―諸島に抑留されていた捕虜や奴隷たちが解放されると、母国での犯罪行為が増加傾向になり、差別による迫害も目立つようになってきた。また、クーシー諸島出身者やクーシ―諸島の人間との混血の者たちも徐々にその迫害の対象になっていき、世界は徐々に分断されていくようだった。
世論が完全に分断されたと言える決定的な事件があったのは、終戦後8年目だった。
クーシー諸島出身の少女が誘拐されたうえに、惨殺されたのだった。
犯人はあっさり捕まった。“魔王”に自分の息子を殺された父親だった。王国内は圧倒的な同情ムードが漂い、迫害はより一層激しさを増した。
だが、その影響はその“魔王”を殺した英雄だったはずの俺にも及んだ。
迫害を受けている者たちによる俺自身への襲撃が戦後十年ほど続いた。もちろん、俺の精神も削れていった。昼夜を問わず、殺傷性のあるなしも関係なく、攻撃的な魔術具が家に投げ込まれることも多々あった。俺はその頃は不眠になるほど、ずっと魔力探査をかけ続けていた。
しかも、世界の状況が悪化すればするほど、政治学者の研究も進み、“魔王”と呼ばれていた男、クーシー諸島を統べていた首長、モ・モルポの評価も周辺国に対する強硬外交以外において全く問題のない、むしろ賢君であることがわかってきた。そして、さらに調査が進めば、他国に資源を出し渋っていた理由は、他国の想定以上に資源の量が少なかったからだとも判明した。量がないとなればすぐに強国が攻め込んできて属国にされる可能性を考えれば、そういう態度ではったりをかますのも理解できなくはない。
例の少女誘拐殺人事件の犯人の「息子を殺された」という証言もでっち上げのプロパガンダであることも判明した。
徐々に俺を英雄視する存在はごく少数になり、それもやや狂信的な者たちになった。その頃辺りから俺は自らの土地を要塞のように囲い始めた。それから俺は無駄に有り余った体力や手に入れた魔法、そしてささやかなコネを駆使してポロネギとマンドラゴラ農家に転身した。それからは特筆すべき点もないほど穏やかな隠居生活をしている。社会の傷は癒えないが、それでも時代の流れはその分断をあるべきものとしてステータスに変えていったのだろう。
とはいえ、今も時折過激派くずれみたいなやつが来たりするから、俺は面倒ながら薄く魔力探査を起きている間続けるようにはしている。
戦争が終わって三十七年。俺はすっかりジジイに片足突っ込んでいるような年になった。
蛙魔術具を作ってみようと思ったこともあるし、何ならそれを作りきったこともある。だが、それを使えなかった。別にこの世界に未練があるわけでもない。ただ、元の世界もきっと変化をしている。その変化に追いつくための気力が俺にはなかった。
「足りないくらいで満たされてんのかね、人生」
この世界、しいて言えば、茶がうまい。それだけでもいいかもしれない。
なんてあくびをしていると、来客が来たのが塀の奥に感じる。おかしいな、ポロネギの集荷は来週、マンドラゴラに関しては再来週のはずだ。
この魔力は騎士数名と……ラウールだ。堅物ギルドマスター。ガタイと筋肉以外に何のとりえもないヤツめ。
「何しに来た!」
塀の奥で「ほらな?」とラウールの声が聞こえたものだから、門に向かって大声で怒鳴り散らした。
「急を要する事案だ、開けてくれ」
忙しい、と断ろうとしたのをわかってか、ラウールはまじめな口調でつづけた。
「……王宮からだ」
騎士、ギルド両者が王宮から来る“急を要する事案”……。
……ああ!なんて面倒な王だ。もう俺は冒険しないと啖呵を切ったはずなのに。
王権振りかざして突入なんてされたら門の修繕費が面倒で仕方がないから、開けてやることにした。




