阿呆と神竜の罰
所変わって、エインセ・エーデンブルグは城の自室でくつろいでいた。
城と言ってもあまり大きな城ではない。むしろ城の真似事かもしれない。
城の様相を成したただの家と言われてもおかしくない。
しかし外見は城を主張している。
自分たちは偉いとでも言うかのように。
お気に入りの青い礼服を着ながら鏡を見ているエインセ。金髪の質も悪くない。服も決まっていると自己評価。
エインセは将来のことに思いを馳せていた。
エリスとの結婚はそう遠くない。国の武力に多くの影響を与えるクラーレ家が手中になる。そう思うとエインセは笑顔を隠せなかった。エーデンブルグ家も国に対して外交などで貢献している。
そこにクラーレ家の力が加わればゆくゆくは国を動かすことも出来るかもしれない。
エインセは全能感に浸っていた。
元々はそこまでの野心は無かった。
フォトアと結婚して国に対してそこそこの影響力があれば良いと思っていた。
そこに現れたエリスの存在。エインセはエリスを蛇のようだと思っていた。美しい容貌だがぬるりと絡みついてくるような。
だが主導権を握るのは将来的に見れば自分だとエインセは考えた。
婚約してからというもの街を歩くのが楽しみだった。
今までも自信があったがさらに堂々と歩ける。威張りながら歩ける。エインセやエリスに逆らう者がいれば権力で潰せる。
権力。
そう、権力。
生きていく中で最も大事なものだ。エインセはそう思っている。
フォトアに未練があるかというとまったく未練はなかった。
あの小汚い手。
内気な性格。
特技もない。エリスと比べれば宝石と石ころみたいなものだ。
ブリッジ家には恨まれるだろうがまったく問題ない。あの家がエーデンブルグとクラーレに敵意を抱いたとて何もできまい。
早急だが国で最強の権力は自分にあるのかもしれないなとエインセは笑った。
国を動かせるようになったら何をするか。エインセは度々疑問に思っていることがあった。この国はもっと他国に対して圧力をかけてもいいはずだ。力はあるのだ。平和ボケしていないで他国の領土を接収するくらいしても良いはずだ。他国から接収をし領土を増やす。もしかすると大陸の制覇も可能かもしれないのだ。
しかしそれを変えるのは一苦労しそうだった。何しろ国一番の貴族のローレン家が他国を圧する方針を良しとしないのだ。
ローレン家の影響力は圧倒的だ。エーデンブルグとクラーレの影響力を合わせたとしてもローレン家には敵わないだろう。
エインセは考えた。時間がかかる。自分がローレン家を上回る力を得るまではローレン家には逆らわないほうが良いと思った。適当に頭でも下げておけば良いのだ。
いずれローレン家も衰退する。その時エーデンブルグとクラーレの時代が訪れる。
まずはローレン家に恨みを買うような真似をしないことだ。エインセは自分の立ち回りの力に自信があった。強者には媚びること。そして時期が来たら裏切ればいい。
フォトアの事が頭をよぎった。裏切られた女。馬鹿は裏切られる。
エインセは鏡を見ながらフッと笑った。ローレン家に媚びながら国一の貴族になるのは夢物語じゃない。
ブリッジ家の館にて。その日のブリッジ家の盛り上がりは凄かった。
何故かというと、ブリッジ家の主のエミールが大盤振る舞いをしたためだ。パーティーである。館の外からもブリッジ家で働く者や親戚などが館を訪れた。急いでこなければ間に合わなかった者たち。
それでもブリッジ家に駆けつけたのは、なにせなかなか飲めない果実酒や時期によってしか食べれない肉など……それら全てをエミールが奢ると言ったのだ。来ない手はない。美味しい物を食べるために大勢の人が館に集まった。軽いお祭り騒ぎである。
食堂は満席。まるでこれから何かの会議が始まるかのようだった。大盛況である。
机の上には、皿の上に肉や野菜や酒が並んでいる。普通のことではない。ご馳走だ。
故にブリッジ家の使用人たちはとにかく忙しかった。料理を運ぶ。料理を作る。料理を運ぶ。
客の中には子供もいた。子供は肉を見て目を光らせている。
そんな中フォトアは酒を注いでいた。食堂の隅。直角の赤椅子に座る父とツヴァイに。
フォトアは忙しかった。父エミールが酒に強いのは知っていたがとにかくツヴァイの飲むスピードが速い。グラスの中の黄色い液体を飲み干し無言でフォトアの前にグラスを掲げる。そうしたらすぐにフォトアが注ぐ。そしてツヴァイが何も言わずに飲み始める。その繰り返し。
フォトアはただ酒を注いでいるだけだ。だがそれにフォトアは心地よさを感じていた。
少しでもツヴァイの役に立ちたい。無言でグラスを掲げるツヴァイに酒を注げるのが嬉しかった。二人共言葉は交わさなかったが、その無言のやり取りがなにより気持ちよかった。
ツヴァイを慕っていたい。フォトアはそう思った。
「ツヴァイ殿、なかなか飲みますな」
エミールは微笑している。彼が酒を飲むとなかなか絵になる。
「昔はなかなか飲めませんでしたが……慣れというのは恐ろしいものです」
ツヴァイは笑った。少し酔っているのか活発な笑い方だった。
「ああ、なるほど。昔は苦手でしたか……貴族として苦労されたのでしょう」
「そうですね……酒の席にはどうしても立たねばなりません。それに……」
ツヴァイは貿易の話をした。東の国から北の国。ツヴァイは国内だけを見ているのではなく国外の事にも詳しい。
ローレン家の影響力。ローレン家への王家の信頼は絶対。ツヴァイは何度も自分の国の王に直接会ったことがある。暗殺や毒殺を恐れる王に対してツヴァイは王と握手が出来るほどの関係を持っている。
そのような話をエミールにしていた。
それを聞いていてフォトアは少し切なくなった。
目の前のいる人。ツヴァイは自分より深く潜れる深海魚のような人。
手を伸ばしても届かない人……。
現実を見なくては。
右手を握った。
ツヴァイのことが好きだとフォトアは自信を持って言えた。
しかし海外の話を聞いて思った。
遠い。
遠い人……。
でも。
好きになる気持ちを間違いだなんて思わない。
遠いなら手を伸ばせばいい。
心の距離を嘆いても仕方がない。
距離があるなら歩けばいい。自分の足で。
フォトアは無言で酒を注いでいた。
力強い彼女の心は、静かな水面を揺らす波のようにさざめいていた。
静かな空間。ブリッジ家の食堂。召使いたちが忙しく皿を片付ける音だけが響いている。たくさんいた人達はもういない。
祭りのあとだ。
エミールとツヴァイはもう飲んではいない。赤い直角形の椅子に静かに座っている。フォトアもその椅子の隅に腰掛けていた。
ツヴァイとエミール。二人共大分飲んだ。しかし背筋はしっかりと伸びている。
「フォトアさん。今日は世話になりました。この恩はいつか返さねば」
ツヴァイがフォトアに微笑みかけた。
「い、いえ、そんな……!ツヴァイさんは助けに来てくれて……!私、本当に何もしていません!本当に……」
フォトアの本心だった。一方的にツヴァイに迷惑をかけただけだ。手紙で心配させてしまったのだ。迷惑しかかけていないのだと。
「これだけ酒をのませて頂いたのだから恩です。……あなたが注いでくれてから美味しかった」
語るツヴァイ。それもまた本心だった。フォトアは無言で酒を注ぎ続けてくれた。
エミールは二人の様子を穏やかな表情で見守っている。
「いえ!……いえ……美味しかったのは嬉しいのですが、やはり迷惑をかけたのは私です。私の方こそ、いつか恩を返させてください」
「頑固な方だ。お互い様ということにしましょうか……恩を返すというのであれば、舞踏会で一緒に踊ってくださいませんか?」
「それは……」
フォトアは口籠った。しかし心は強く動いていた。この運命の人を誰にも取られたくない。
醜い感情かもしれない。
それでも取られたくない。
好きなのだから。
「踊りは苦手ですが……ツヴァイさんの方こそ、良ければ私と一緒に踊ってください!」
フォトアは勇気を出して大声で言った。なんと勇気のいることだっただろう。
エミールは頷いている。それでいい、というように。
ツヴァイは満面の笑顔になった。
「嬉しい。決まりですね。良かった、約束が出来て……一つよろしいですか?」
「なんでしょうか?」
「気分は良くなりましたか?」
さらりというツヴァイ。
フォトアはハッとした。今気づいた。そう、『助けて』と送ったのは自分だ。ツヴァイは酒を飲みながらも時間が経つのを待っていたのだ。フォトアが落ち着くまで。そう思い至るとフォトアは少し涙ぐんだ。
だが泣いてはいけない。出そうなのは感動の涙だったがまた心配させてしまう。
「ごめんなさい……良くなりました。ツヴァイさんのおかげです。ありがとうございます」
頭を下げるフォトア。
「まったく問題ありません」
「本当に、助けてもらいました」
「当然のことです。ところで、エリス・クラーレと……エインセ?と言いましたか」
ツヴァイは無表情になりながら言った。
フォトアは二人の名前が出たことに少し驚いたが既に心の整理はついていた。
「二人が何か?」
「神竜を知っていますか?」
「神竜……?おとぎ話で読みました……確か」
神竜。善を良しとし悪を罰する。国の絵本でよく出てくる存在だ。フォトアは本を読むためその存在は知っていた。しかしおとぎ話での存在である。実在はしない。
「私は……結構信じているんですよ。神竜のことを……悪には罰が似合います。フォトアさん、舞踏会が楽しみですね」
ツヴァイは笑顔で語った。確かに舞踏会は楽しみだったが、何故神竜の話をツヴァイがしたのかはわからないフォトアだった。