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突き刺す悪意の影

 ツヴァイと会ったその日からフォトアの日常が変わった。

 フォトアは家のことを淡々とこなしながらツヴァイから送られてくる手紙を楽しみにしていた。

 エインセに裏切られたフォトアの心にツヴァイの手紙は確実に染み込んでいった。


 鏡を見ることも多くなった。少しでもよく見られたかった。

 自分らしくないな、と鏡の前で笑うフォトア。自分より綺麗な人なんてたくさんいるだろう。

 そう思いながらもフォトアは毎日鏡を見る時間を作った。

 

 ツヴァイから送られてくる手紙の内容に対しフォトアは、誠実で、そして不器用な手紙だと思った。

 フォトアのことを案じてくれているのがひしひしと伝わってくる手紙。

 手紙を待つフォトアは周りの者にローレン家の主と文通していることは隠していたが、どうやら文通が楽しいらしいと周りは思うだけで何も言わなかった。


 手紙のやり取りを続けて数日。フォトアは再び市場に行くことにした。

 気分転換。

 そして……、またもう一度偶然であるのではないかという期待。淡い期待。

 フォトアは青いワンピースを着て、前に持っていった茶の鞄を手に家を出た。


 市場への道は景色が違って見えた。

 吹きゆく風が。

 揺れる緑が。

 なんでもない道が。

 輝く太陽が。

 全て新鮮に感じられた。世界は美しいと思った。

 フォトアは足取り軽く市場へと向かった。


 市場にたどり着いたフォトア。前と同じく少し汗ばんでいる。市場の人は相変わらず多い。人混みが苦手な者は立ち寄らないだろう。

 フォトアは前回とは違う場所、装飾品の売り場を覗いてみようと思った。見学だけなら無料だ。装飾品は高い。


 フォトアが装飾品の売られている通路へと向かった。こつこつと石畳の音。茶色い屋台があちらこちらに並んでいる。

 たくさんの店員に声をかけられるフォトア。笑顔で応えながら道を進んでいく。


 その時前方をよく見ておらず人とぶつかってしまった。女性とフォトアがぶつかった。

 フォトアは慌てて謝った。ごめんなさいと。

 相手の女性はひどく機嫌が悪そうだ。短い銀髪。ツリ気味の目は鋭くフォトアを睨んでいる。嫌味なほど装飾品を身につけていた。


「ごめんなさい」


「前くらい見なさいよ。薄汚い……ん?あれ?」


 銀髪の女性はフォトアを見ながら目をパチパチさせた。この容姿は……。


「あなた、フォトア・ブリッジ?」


「え?そうですが……」


「あらあら……」


 銀髪の女は途端に機嫌が良くなった。笑みすら浮かべている。


「あんたがねぇ……なるほど、エインセは正解を選んだわ……」


「エインセ?」


 思わぬ人物の名に驚くフォトア。


「ああ、ごめんなさい。初めまして。私、エリス・クラーレ。エインセの婚約者よ」


 エリスは左手を差し出した。薬指に指輪が付けられている。

 フォトアは金槌で殴られたような気がした。


「なんて呼べばいいのかしら?フォトアさん?元婚約者さん?」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら饒舌に話すエリス。

 フォトアは足が少し震えていた。

 エリス・クラーレ。裏切ったエインセが選んだ女。

 幸せを奪っていった……。


「何黙ってるの?悔しい?残念でした、負け犬」


 エリスは言葉の凶器を突き刺す。

 フォトアは何も言い返せない。


「本当に黙っているのね。あ、いけない。エインセと待ち合わせがあるんだったわ。ごめんなさいね。本当にごめんなさい。エインセに会いに行かないと。さよなら、元婚約者さん」


 エリスは笑顔でフォトアの隣をすっと抜けた。

 エリスの姿はすぐに見えなくなった。

 フォトアは膝から石畳に崩れ落ちた。

 何も考えられない。

 みじめだった。

 何も言い返せなかった。

 言葉を何か返せたはずなのに。

 なのに……。

 フォトアは泣きそうだった。

 しかしここで泣くわけには行かない。泣いている姿を人に見られたくない。ここは市場なのだ。

 負けるな。泣くな。


 そしてフォトアは一人で市場から屋敷へと戻った。市場に行くときは本当に輝いていた景色が色を失っていた。

 叩きつける風が。

 笑う緑が。

 孤独な道が。

 突き刺す太陽が。

 フォトアは確実に落ち込んでいた。


 ブリッジ家の屋敷にフォトアは帰ってきた。

 急いだ。誰にも見られないように早足で自分の部屋へと向かった。道を歩きながら泣きはらした顔を見られたくなかった。


 自分の部屋のドアを開け中に入り閉める。

 バタンという音が静かに響いた。

 鏡だけは見たくなかった。きっと情けない顔をしているだろう。


 苦しかった。エリス・クラーレがわからなかった。

 何故人をあんな風に傷つけられるのかわからなかった。

 エリスの笑顔が頭をよぎった。

 何故……。

 どうしてエインセは行ってしまったのか。

 エリスの言葉が突き刺さり離れないのは何故か。

 苦しい。

 情けない。

 憎い。

 誰か……。


 フォトアは気がつけば机の前の椅子に座り手紙を書こうとしていた。

 ツヴァイに縋ろうとしている。

 そう気づいたフォトアはペンを動かす手を止めた。

 醜い感情。

 エリスを憎んでいる。人を憎んでいる。そんな自分をツヴァイに見せたくない。しかし誰かに聞いてほしい。こんな気持ちでいるのは耐えられない。

 フォトアは限界だった。涙は終わることなく流れ、惨めさと悲しみがフォトアを包み込んでいた。

 ツヴァイ様へ、と手紙を書き捨てる。

 また書いては捨てる。

 ダメだ。ツヴァイに迷惑をかけてはダメだ。きっとこれは自分に課せられた使命なのだ。自分一人で解決するしかないのだ。

 裏切られても。傷つけられても。


 しかしフォトアは一人のか細い女性にすぎない。

 ダメだ、ダメだ、と思いながらも手紙を書いてしまった。

 たった一言。フォトアの今の心境を表すような一言だけを書いた。


『助けてください』



  結局フォトアは書いた手紙をツヴァイに送ってしまった。

 手紙を送ってから二時間ほど経つだろうか。


 フォトアは後悔していた。あんな手紙を送るべきではなかったと。手紙を見る側としては意味がわからない内容だろう。助けてくださいとはどういうことなのか。

 再び手紙を出すべきだろうかと考えた。脈絡が無さすぎる。訂正しなければならない。しかし今日はもう遅い手紙は届かないだろう。

 ベッドに横になっているフォトア。枕に顔をうずめる。

 自分は何をやっているのか。

 耐えきれたはず。

 迷惑をかけないように耐えられたはずだ。

 衝動に負けてしまった。

 送ってしまって手紙をなかったことにしたかった。

 ツヴァイはどんな気持ちで手紙を読むのだろうか。

 きっと律儀な人だから返事をくれるだろう。

 頼りにしてしまった。頼ってはいけないのに。

 フォトアはますます落ち込んだ。手紙を送ってしまったこと。エリスに傷つけられたこと。その二つがフォトアを責めていた。

 その時だった。


「フォトアさん!!!!」


 物凄い大声が聞こえた。フォトアはベッドから跳ね起きた。ツヴァイの声だ。間違いない。急いで窓の外を見た。しかし窓からは暗闇が見えるだけ。ツヴァイの姿は見えない。

 フォトアは急いで緑の上着を羽織ると部屋を飛び出した。階段を急いで降りる。玄関の前まで走る。

髪はくしゃくしゃだった。だがそんなことはどうでもよかった。


 玄関のドアを勢いよくフォトアは開けた。

 そこには見まごうことなきツヴァイが立っていた。

 ツヴァイの隣に白馬を確認したフォトア。きっとツヴァイはそれに乗ってきたのだろう。ツヴァイは白い装束を身につけている。長い銀髪は相変わらず繊細だった。


 ツヴァイはフォトアに駆け寄った。フォトアは両手を口に当てて動けない。

 フォトアを見て安心した表情を見せるツヴァイ。それまでは緊張した面持ちだった。


「どうして……」


 呟くフォトア。


「手紙を読みました。無事で良かった……」


 ツヴァイは微笑しながら応えた。ツヴァイの大声を聞いた館の者たちも次々に周りから二人の様子を伺っている。だが二人に接近する者はいなかった。


「手紙を読んで、来てくれたのですか……?」


「勿論です。只事ではないと思った」


「ツヴァイさん……」


 フォトアは気がつけばツヴァイに抱きしめられていた。そしてフォトアはそれを拒まなかった。フォトアに流れたのは涙。フォトアはツヴァイの胸の中で泣いた。


「ごめんなさい、あんな手紙を出して……」


「理由があるのでしょう。あたはそういう方です。きっと、たくさん書きたいことが多かったはず。何があったのか聞かせてください」


「ありがとうございます……でも、私はあなたに心配をかけて……ごめんなさい」


「そう思うのなら私の言うことを聞いてください。どうか謝らないでください」


「ツヴァイさん……」


 フォトアはツヴァイの優しさに心を打たれた。

 手紙を見て自ら来てくれた。

 確かにフォトアの婚約者はエインセだった。

 だが。

 この人がきっと運命の人なのだ。

 黄金の蝶が運んできてくれた出会い。

 この出会いをなかったことにしたくない。


「屋敷の中に入ってもよろしいですか?大声で驚かせてしまっかもしれません」


 ツヴァイは周りを見た。周りの人々は動揺している。あの男は何者なのかと。


「はい。家の皆にも説明します」


 フォトアはこくこくと頷いた。只々ツヴァイが頼もしかった。愛しかった。

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