フォトアを囲む16の騎士
フォトア達は、賭博場ディザイアの入り口まで辿り着いた。晴天の空とは対象的に、黒い階段が、地獄へと続くかのように、地下へと伸びている。
当然、ツヴァイが先頭に立った。女性を怖がらせないため、という理由だった。
彼を先頭に、一行は、黒い階段を下り始めた。
コツン……。コツン……。
足音だけが響く。誰も口をきかない。これから始まる戦いに、集中するかのように。
階段を下り終えると、広いスペースに出た。地下とは思えない広さ。一体、どのようにして、こんな建物を作ることが出来たのか、フォトアは不思議そうにしていた。
入り口から左側に棚があり、酒が並んでいる。そこには席が沢山あったが、どうやら満席のようだった。人が集い、そして、酒を飲んでいる。男性が多かったが、女性の姿もちらほらと見えた。中には、仮面を被っている人物までいた。
右側のスペースでは、何台もある緑色の台で、ポーカーが行われていた。喜びの声と、舌打ちの声。それらが混ざり合い、そこが賭博場であることを物語っている。
だが、ツヴァイ達が現れた時、それらの時間は止まった。それほどまでに、ツヴァイの存在感があったのだ。皆、降りてきたツヴァイ達の方を見て、手を止めた。ひそひそと、人々が囁きあう。
「あいつか?フィールと対戦するってのは」
「ちげーよ、対戦するのは女だ。後ろにいるやつじゃないか?」
「二人いるな」
「二人共、なかなか美人じゃねぇか。フィールよりいい」
「おい、そんなこと聞かれたら『始末』されるぞ」
「ちげぇねぇな」
人々は、クスクスと笑い合っている。
フォトアは、そっとツヴァイの手を握った。その手は少し震えていて、ツヴァイはそれに対して、力強いような、優しいような、不思議な握り方で返した。
それを受け、フォトアの手が震えなくなった。凛として前を向く彼女。
正面に、大きな緑の机がある。そこに、チェス盤が置かれていた。一般的な家庭の物とは違い、少し大きい。観客に見せるため、という目的のためかもしれない。
チェス盤の向こう側に、女性が座っている。
真紅のドレス。まるで女王。フィール・アトラである。
フィールも、ツヴァイ達の方を見ていた。ようやくご到着か、というかのように。
立ち上がるフィール。ツヴァイ達の方に真っ直ぐ歩いてくる。
そして、ツヴァイの目の前で立ち止まった。先頭がツヴァイ、後ろにフォトアとエリス。
「あらあら、一人じゃ決闘出来ないから、怖がって、仲間を連れてきたの?臆病者ね、フォトア・ブリッジ」
笑うフィール。フォトアが口を開きかけたその時。
「名前を間違ってもらっては困る。フォトア・ローレンだ。人の名前すら、まともに呼べないとはな。フィール・アトラ」
ツヴァイは威圧感を全開にして、フィールに立ち向かった。
その言葉は、相手に対する敵意に満ちていて、それでいて、フォトアの心を揺さぶるものだった。
「私の、最高のパートナーを笑うことは許さない。よく覚えておくのだな」
淀みのないツヴァイ。フッと目を伏せるエリス。少し顔を赤らめるフォトア。
そして、苦々しい、醜悪な顔をする、フィール・アトラ。
「ふん……仲がよろしいことで。しかし、その関係も今日までだって、覚悟していますよね?約束は守ってもらう。私が勝てば、フォトア、静かに消え去ることね」
フィールは忌々しげにフォトアを睨んでいる。
「さっさと決闘の準備に入りましょう。あそこにある、一番大きな机が舞台。せいぜい粘るのが精一杯でしょうけど。貴女たちは何も知らない。私の実力も、結果も。本当に愚か……相手の実力もわからないんだから」
「黙れ雑魚」
エリスが冷たい目をして言い放った。
空気が凍りつく。
「は?なんなの、貴女?」
「雑魚だって言ってるの。強いやつってね、見ればわかるもんなの。ここに来るまでは、フォトアが勝てるか心配したけど……問題ない。フォトアは、お前には負けない」
「だからお前は誰なんだよ!! 何様?私は負けたことがない!名を名乗れ!!」
「道端のゴミに、名を名乗れって言われてもね」
エリスは髪をかきあげた。
フィールは、鬼のような形相で、エリスを睨んでいる。
エリスは、ただ感情のままに言葉を発したのではない。狙いがあった。
少しでも、フィールの集中力を削ぐこと。激情はミスを誘う。決闘に入る前から、フォトアをサポートする必要があると思ったのだ。まして、ここはアウェーなのだから。
「フォトアはね、強いのよ。貴女、一度も負けたことがないって、雑魚としか戦わなかったからじゃないの?」
「そんなわけない!貴様……フォトアが負けたら、お前も恥をかけばいい。気に食わない女……!!」
「決闘の準備をするんじゃないの?」
飄々とエリスは避けていく。
「わかってるわよ!!」
フィールは苛立ちながら、中央の机へと向かった。途中、人がいたが、突き飛ばすように道を作った。
「ついてこい!!」
振り返り、フォトアに向けて叫ぶフィール。フォトアは言葉のとおりに、後を追った。
「お仲間は観客席で見ていることね!!」
その言葉は、ツヴァイとエリスに向けられたものだった。
ツヴァイとエリスが顔を見回す。
そして、小さな声で会話した。
「エリス・エーデンブルグ。本当か?」
「半分は嘘です。人間は外見だけじゃわからない。けれど……フィール・アトラからは、そう……強者のオーラを感じない」
二人は会話をしながら、中央の机を取り囲む、人のひしめく観客席へと向かった。
フォトアは、部屋の中央の、大きな緑の机の横に設置されていた、木製の椅子に座るように促された。
言われた通りに座るフォトア。目の前には、大きなチェス盤。
綺麗に駒の並んだチェス盤。
自分の運命をかけたチェス盤。
フィール・アトラは、反対側の椅子に座った。
だが、フォトアはフィールの方を見ていなかった。どこか、遠くを見るような瞳をしていた。
エリスは応援してくれている。しかし、このフィールという相手の自信は、間違いなく、実力に裏打ちされたものだろうと、彼女は思った。
それに対して、フォトアは修行をした。勝てるように努力した。
けれど、努力は時に残酷だ。どれだけ必死になっても、望んでも、努力は微笑んでくれるとは限らない。
それでも、フォトアは努力をしたのだ。彼女を後押ししたのは、愛だった。
愛があったから。
支えてくれる人がいるから。
目を伏せるフォトア。
負けるわけにはいかないの。
見ていてください。
フォトアは目を開き、フィールを見据えた。余裕たっぷりの、フィールの表情。
二人の周りに、大量の観客。野次が飛んでいる。そして、ツヴァイとエリスも見ている。
「始めましょうか?それとも、怖くて始めたくない?」
フィールはチェス盤を見つめている。その表情は、先程までとは違った。
紛うことなき、強者の顔立ち。相手を倒すこと、相手の人生を壊すこと、人に心の幸せを壊すことに特化した、悪魔の顔。
フォトアは、軽く両手を握った
ツヴァイの手の暖かさが、まだ残っている。身体に残っている。心に残っている。
残っているから。
残したいから。
だから。
「いつでも構いません。貴女には……貴女には負けない!!フィール・アトラ!!」
一瞬、場が静まり返った。そして、静寂は続く。
フォトアは白の駒。
フィールは黒の駒。
キングが取られれば負け。特殊なルールではない。
沈黙するフォトアとフィールを、無言になった周りの者たちが見ている。そして、ツヴァイとエリスも、静かに見守ってた。
ツヴァイは、声をかけてやりたかった。だが、それはフォトアの集中を邪魔してしまうかもしれないと、止めた。
心のなかで彼は想った。フォトアとの未来を。
盤に並んでいる駒たちが、鎮座している。お互いに、駒の数は一緒。配置も当然だ。
だが、少し違う所があった。フォトアは白の駒なので、先手なのだ。
フォトア自身は、白の駒も、黒の駒も、変わらないと思っていた。
だが、エリスが何度も言い聞かせてきたのである。
『恥をかいてでも先手を貰え』と。フォトアは、何故エリスが先手に拘るのかはわからなかったが、理由を尋ねると、『先手の方が有利』とエリスが言い切ったのである。
そこまでの境地に、フォトアは達していなかったが、彼女は友人を信じた。結果、フォトアが白の駒になっている。
故に、仕掛けるのはフォトアの方だ。相手より一歩先に、自分の道を切り開かなくてならない。最初の一手から、勝負は始まるのだ。そして、有利、不利の天秤が揺れ動き、最後には勝者だけが残る。
人生も、誰もが苦しむ時がある。そんな時、支えが無いのであれば、進んでいくことは難しくなる。人は、そんなに強い人間ではない。誰もが、自分の我を通すことが出来るわけではない。自分の道を信じろというのは、強者の意見だ。誰しもそこまで強くない。
今、フォトアは道を切り開こうとしている。もう数え切れないほど練習した、序盤の動き。
「参ります」
フォトアは、家事で傷んだ手で、白の駒を手に取った。
彼女は信じた。16の駒達よ。私を勝たせて……!!
駒を動かした彼女。その心の水面は大きく揺れることなく、ただ静かに、僅かな、柔らかい風に揺れるかのように、さざめいていた。




