賭博場ディザイア
「状況はわかりました」
ため息をついたツヴァイ。それはそうだろう。とんでもない事態になっていたのだから。
「フォトア、決闘することは無いと思います。王は我々に協力的です。全てが嘘だったのだから、戦う必要はない」
「しかしツヴァイ、私は約束をしてしまいました。どんな形であれ……フィール・アトラに対して、やり決闘しませんというのは、なんというのか……卑怯な気がします」
フォトアは俯き気味である。そう、フィール・アトラも、被害者といえば被害者である。姉に騙されていたのだから。
「跡を濁さず、事を収めるのであれば、やはり私は決闘に勝たなければならないと思うのです」
「一理ありますが……負けた場合、貴女は私の元から去らなければならなくなる。そんなのは御免です。しかし、そうですね……ここで決闘を辞退するというのは、筋が通っていない、か……フォトア、勝てますか?」
ツヴァイはめずらしく、弱気な表情を見せた。
フォトアが負けたら、もう結婚することは出来ないから。
その、失うということが、想像できなくて、そして心配で。
結婚だけを追うなら、全力でフォトアを止めたかった。
しかし、ここで決闘を放棄すれば、人間にとってかけがえのない、誇りを失うということも理解していた。
「エリスに、チェスの稽古をつけてもらっています。短期間でしたが……一生懸命勉強しました。本気のエリスには敵いませんが、それでも、とても強くなったと思います。私……勝ちます。相手の方が実力が上だとしても。これは、何かの試練なのだと思います。ツヴァイ、私は貴方と結婚したいです。でも、結婚して、これから先の人生でも、自分の足で立っていたいです。貴方に迷惑がかからないように。もし……もし、神様が見てくれているのであれば、きっと、勝てるはずです。自分の力で、友達の力で、道を切り開きたいです。それは、その、ツヴァイ……その……」
フォトアは顔をほのかに赤らめた。
「貴方とずっと一緒にいたい、です」
「フォトア……」
ツヴァイは思わず立ち上がっていた。机をぐるりと周り、フォトアの隣へ移動した。
そして、同じく立ち上がったフォトアを、強く抱きしめた。
フォトアは、少し痛いと感じた。しかし、心臓の鼓動は、その痛みを求めていた。
「約束してください。必ず勝つと。そうでなければ、私は止めます」
「……ツヴァイ……私、勝ちます。この胸の高鳴りを、離したくない。忘れたくない。貴方との道を切り開きます。だから、どうか応援していてください」
「当たり前だ」
ツヴァイは、フォトアを抱きしめたまま。最愛の人を、抱きしめたまま。
人間には、選択を迫られる時が必ず来る。どんな人間でも、調子が上向きなままとは限らない。人生を過ごす中で、裏切らたり、挫折したり、壁が立ちはだかったりするものだ。
そして、人間は、それを乗り越えなければならない。あるいは、付き合っていかなければならない。
希望を持てという意味ではない。
絶望してはいけないのだ。
決闘の日が訪れた。その朝、フォトアは早く目覚めていた。体温を上げ、万全の状態でチェスに挑むためである。これは、エリスから教わったアドバイスだった。
自室の姿見を見る。長い金髪は相変わらずだ。緑色のワンピースを着て、深呼吸。
今日、負けたらいけない。
愛する人。
助けてくれる人。
自分の想い。
その全てを背負って、勝負しなければならない。
最大限の努力をした。ツヴァイの事を思えば、練習なんて、苦にならなかった。全てを捨てて、チェスに没頭していた。助けてくれたエリスには、なんて言ったらよいのかわからないほどだった。
早朝だというのに、ブリッジ家には来客がいた。ツヴァイ・ローレンである。彼は、全力でフォトアを応援するつもりだった。白い礼装に金細工、それらはツヴァイが意図的に、高貴さを醸し出すつもりの服装だった。
賭博所ディザイア。善良な人がもいるが、悪党の集まりとも言われ、その場のアウェーな雰囲気に、フォトアが飲まれないためだった。凛として、フォトアの味方をするつもりだったツヴァイ。
そして、もう一人、来客者がいた。エリス・エーデンブルグである。彼女は短い銀髪に、紫の妖艶なドレスを着ていた。装飾品で、豪華に着飾っている。彼女の想いもまた、ツヴァイと一緒だったのだ。
フォトア、ツヴァイ。そしてエリスの三人が、早朝の食堂にて集結していた。椅子に座っている。
「フォトア、貴女は必ず勝てる。私が保証する。だから、精一杯やって。ほら、緊張している」
エリスはフォトアを指さした。彼女の指摘どおり、フォトアは動機がしていた。
「そんな状態じゃダメだ!いい?緊張した時は、本来の目的を思い出すのよ。何のために戦うのか。それを忘れないで」
「!! はい……!!」
力強く頷くフォトア。そう、全ては、隣りにいるツヴァイとの幸せを掴むため。
フォトアの緊張が、少しほぐれた。エリスはいつだって、フォトアのためにアドバイスをしてくれた。
「ツヴァイ、必ず勝ちます。エリス、本当にありがとう……私、私、幸せ者です……」
フォトアは、エリスが今までにしてくれた事を思い、涙を流してしまった。感謝の気持ちが止まらない。見返りもなしに、助けてくれた……。
「お礼を言うのは勝ってから。この私が稽古つけたんだから、勝てるでしょ!泣くな!」
言葉では素っ気ないながらも、エリスはまんざらでもなさそうだった。
「賭博場では、観客の声が入り乱れるかもしれない。フォトア、私はそれに負けない声で応援します。だから……一人の戦いではない」
「ありがとう、ツヴァイ。……あの、私を、愛していますか?」
「愛しています」
即答だった。微塵も迷いのない返答。
「その言葉があれば、いくらでも頑張れます」
フォトアは涙を拭い、微笑んだ。三人の行く先は、賭博場ディザイア。




