三位一体の攻防
エリスを見送ったフォトアは、すぐに自室に戻り、チェスの勉強を再開した。復習しろというエリスの教えである。
チェスの様な思考競技を勉強するというのは、なかなか骨が折れるものだ。しかし、フォトアを動かしているのは、ツヴァイへの愛。その愛が枯渇することは無く、夜遅くまで勉強することも、フォトアにとって苦ではなかった。いかに相手が強大であろうとも。
ふと、フォトアの頭にツヴァイの顔が頭に浮かんだ。なんだか、しばらく会えていない気がする。王命……。きっと、忙しいのだろう。そして、フォトアもまた、忙しい。
決闘の日は近い。フォトアは、書物を読み続けた。
それが、彼女に出来る、数少ないことだったから。
負けたくないんじゃない。勝ちたいのだ。ツヴァイにばかり、頼ってはいられない。
自分が努力しなければ、結婚しても、彼に相応しくないと思うから。
フォトアが修行を続けている日々の中、アトラ家では、ある変化があった。長女、ルクシア・アトラが、妹のフィールと話し込んでいたのだ。
ルクシアは長い金髪。噂に違わず、美しい容貌の持ち主で、人格者である。
「フィール、ツヴァイ・ローレン様との婚約の件なんだけどね……」
ルクシアは、若干バツが悪そうな顔をしている。それはそうだ。妹を勝手に芝居に付き合わせたのだから。騙したのである。そのことを、フィールに全部話すつもりでいた。
だが。
「お姉さま、私はツヴァイ様と結婚することにしましたわ。だって、相手が決闘の要求を飲んだのですから」
「え?決闘?」
ルクシアの目が丸くなる。話の流れが掴めない。
「そうです。フォトア・ブリッジは、私とチェスで決闘すると言いました。私が負ければ、私は大人しく身を引く。しかし、フォトアが負けた場合は、ツヴァイ様の目の前から去ってもらうのです。私のチェスの実力はご存知でしょう?お姉さま。お姉さまでも、私には敵わないんですからね」
フィールは自慢げに目を細めている。
一方、ルクシアの心の中はざわついていた。事態が、とんでもない方向に進んでいる気がした。
「その、決闘というのは、いつ行われるの?フィール」
「もうすぐですよ。決闘の日時はもう、フォトアに手紙で送りつけましたから。決闘の場所は、賭博場ディザイアです。お姉さまも、見学に来てもらっても構わないのですよ。私の晴れ舞台ですから」
ルクシアは、動揺を鎮めることに努めていた。この事を、ツヴァイ・ローレンに伝えないと、とんでもないことになる気がした。
だが、その前に、自分でも試してみようと思った。全てが嘘だったことを。
「フィール、あのね……王命による婚約、という話だったよね」
「そうですとも。王には誰も逆らえません」
「その縁談、全て嘘なのよ。王は、ツヴァイ様と、フォトア嬢のことを試すために、嘘の婚約話をでっち上げたの」
「……は?」
フィールは意味がわからなかった。
「そう、その反応も無理はないわね……。ごめんなさい。フィール、別のパートナーを探して。ツヴァイ・ローレンは、フォトア・ブリッジと結婚するの」
バツが悪そうなルクシア。
フィールは馬鹿ではない。姉、ルクシアが言うのであれば、間違いないと察した。
その上で。
決して、怒ったりはしなかった。
彼女は、喜んだ。
その狂気のような笑みに、ルクシアは一瞬、恐怖を覚えた。
「フィール、どうして笑うの?」
「笑うしかないでしょ。私は、ツヴァイ様とフォトアの人生を台無しに出来れば、それで幸せだった。それが、状況が好転。国王は、二人が結婚することを望んでいるのでしょう?それを、ぶち壊しに出来るの!こんな機会がありますか?あの国王、気に食わないんです。国のために出来ることをするとか、どうのこうの。平和がどうのこうの。私ね、生きてる間に、戦争が見たいんです。人間って、殺し合うために生まれてきたと思いません?でも、あの平和ボケした国王アルヴァンの支配下じゃ、それも起こらない。だけど!!あの国王の望みを、ぶち壊しに出来る機会!!ありがとう、お姉さま!私の喜びが一つ増えました。ああ、国王の望みを、破壊出来る……」
フィールは恍惚とした表情で語っている。
ルクシアは思った。なんとしてでも、この妹を止めなければならないと。昔から、フィールに狂気を見出すことはあったのだ。しかし、その狂気が、どんどん成長していることに気づいてしまった。
「フィール、貴女が何をしても無駄です。王命は取り消されました。貴女がどう思おうと、ツヴァイ・ローレンと結婚することは出来ません!」
「結婚出来ない……?お姉さま、何もわかってらっしゃらないのね。フォトア・ブリッジは、私との決闘を受け入れたのです。それが、口約束だとしても……被害者はね、私なんですよ?お姉さま達の嘘に騙された。ああ、可哀想な私……。勝手ではありません?ああ、私、ツヴァイ様を愛していますわ」
飄々と語るフィール。ルクシアは唇を噛んだ。確かに、騙したのはルクシアの方なのだ……。
「騙したことは、素直に謝ります。ごめんなさい、フィール。だから……」
「お姉さま、頭を下げなくてもいいのよ。ただ、私とフォトアの決闘を邪魔しないでもらえれば、それでいいので」
「……貴女は強い。決闘すれば、きっと貴女が勝つでしょう。しかし、国王を侮辱するような子を、望み通りに行動させるわけにはいきません」
「お姉さま、馬車に轢かれて死ぬというのは、どんな気持ちでしょうか?」
「……どういう意味?」
「例えば、例えばの話です。フォトア・ブリッジが馬車に轢かれて事故死。お葬式には、一体どれほどの人間が集まるのでしょうか……ふふ」
「何の話をしているのです!」
「私がどうして賭博場を決闘の舞台に選んだのか、わかりますか?」
フィールは、まったく落ち着いて話をしている。
ルクシアは思った。先が読めない。妹は、一体なにを考えているのか……。
「お分かりになりませんか?賭博場はね、私のホームなんですよ。そう、私はギャンブルをしませんけれど、私のお友達『達』は、ギャンブルが大好きなので。特に、そう、シラールはギャンブルにのめり込んでいますね。知っていますか?シラールの名前を」
「シラール……」
ルクシアは驚き、口に手を当てた。その名前は知っている。べレッセ国に存在する、悪の顔。どんな社会にも、光があるように、影がある。シラールは裏社会の有力者だ……。妹の言葉を受けながら、ルクシアは凛然と立ち向かった。
「私は、アトラ家の長女です。シラールの名前は知っています。裏社会の有力者でしょう。フィール、貴女、裏社会との繋がりが……」
「裏社会?あっちが表ですよ。平和ボケしたこの国のほうが、裏社会です。シラール達との会話は、刺激的で楽しい。費用はかかりますが……人殺しも、平気でします。私ね、彼らとの繋がりで、生まれて初めて、人が殺されるところを見たんです。それは、もう、刺激的でした。被害者に悪いところは、ありませんでした。ただ、『邪魔だったから』殺されただけ。それがもう、とんでもなく愛おしくて。殺される危険が無い生活をしているのが、そもそも間違っているのです。理由なく、あっけなく、人の命は消え去ります。そして、お金があれば、人の命を消すことも出来る。正義という言葉を使うのであれば、人間の正義は、悪意とお金です。お姉さまが私を止めようとしても構いませんが、その場合何が起きるのかは保証出来ないですね」
目を細めた笑顔のフィール。
ルクシアは心から思った。この会話が、手紙のように保存できれば、どれだけ良いか、と。
彼女は考えた。決闘……もし、もしも妹が負ける場合があっても、妹は逆恨みをして、裏社会の繋がりで、フォトア・ブリッジを始末するのではないかと。状況がこうなってくると、フォトアは負けたほうがいいのかもしれない。悲しむかもしれないが、命を奪われる心配はない。
だが、愛する人と引き裂かれることになる。それは、ルクシアの経験で、痛いほどわかっていたことだった。ルクシアもまた、人を愛したことがある。
「……フィール、私と約束をしてくれるなら、それ以上、私は何も言いません」
「さすがお姉さま!物分りが速いですね。私は嬉しいです。で、約束とは?」
「決闘に負けたら、裏社会との縁を切りなさい。逆恨みして、悪行を働かないでください。そして、人の幸せを邪魔しないこと。これが飲めなければ、私は徹底的に貴女と敵対します。例え、私が殺されようとも」
「それだけですか?」
「それだけ……?」
「はい。だって、私は絶対に負けないんですもの。以前お姉さまとチェスをしましたけれど、強いお姉さまでも、私には勝てなかった。しかも、その頃とは比べ物にならないほどに、私は上達しています。つまり、負けないんですよ。絶対にね。いいですよ、約束を引き受けます。どうせ私が勝ってしまうのですから」
フィールは子供の様に、無邪気に笑っていた。
ルクシアが少し、緊張で汗ばんでいる。妹は要求を飲んだ。刺激してはいけない。
妹がチェスで負けるとは思えない。だが、奇跡を信じて、フォトアが勝つことを祈るしかなかった。
ツヴァイは、久しぶりにブリッジ家を訪れることにした。
黒のしなやかな上下の服。洒落ている。久しぶりにフォトアに会えるのが、楽しみだった。一連の騒動で忙しかったのだ。
だが、それももう終わった。アトラ家と深く関わることは、もう二度とないだろう。
「ツヴァイ……話します。私、フィール・アトラと決闘をすることになりました」
「……は?」
食堂の机で向かい合っていたフォトアとツヴァイ。ツヴァイは、意味不明だったので、持っているスプーンを思わず机に落としてしまった。
「ツヴァイ、貴方が、王命により、フィール・アトラと婚約しなければならないことを、私、知っているのです。フィールから聞いて……でも、チェスでの決闘で私が勝つことが出来れば、フィール・アトラは諦めると言いました。だから、苦手なチェスを一生懸命練習して……」
俯き気味にフォトアが語っている。フォトアは白いワンピースだ。
スープを飲む手など、止まるツヴァイ。理解が追いつかない。自分の知らない所で、何が起こっているのか。どうやらフォトアは、ツヴァイに送られてきた手紙のことを知っているようだ。
「フォトア、黙っていてすまなかった。危険に晒したくなかった……そして、不安にさせたくなかった。だから、手紙のことは秘密にしていた。どうやって私に送られてきた手紙の内容を知ったのかは知らないが、安心してほしい。全ては、国王の嘘だったんだ。私は、貴女と結婚したい。それ以外の道は、考えられない」
「嘘?」
フォトアは、心底驚いたような表情を見せた。
そして二人は、互いの知っている情報を、交換することにした。冷静に、現状をまとめてみよう、と。
フォトア・ブリッジの勇気。
ツヴァイ・ローレンの覚悟。
フィール・アトラの悪意。
エリス・エーデンブルグの友情。
その全てが、混ざり合う時は近かった。




