畑を耕す未来
またしても、ブリッジ家領内の小屋で、フォトアとエリスが向かい合っていた。二人の間には、相変わらずチェスの盤。
「まさか結婚が揺るぐことになるとはね」
エリスの小さなため息。彼女は、冷静に駒を動かしていた。手慣れている。
「はい。しかし、負けるわけにはいかないのです」
フォトアの手付きも、大分様になってきていた。定石を覚えていたし、戦術面における方針も、いくつもエリスに教わった。駒のとり方、序盤、中盤、終盤の意識。
エリスの口からは、戦術論がすらすらと出てきた。どうしてそんなに知識があるのだろうと、フォトアはエリスに対して、尊敬の念を抱いていた。
「決闘の日時、決まったのよね。私が言うのもなんだけど……やっぱり、心配。勝ってほしい」
エリスが盤から顔を上げて、フォトアを見つめた。
「ありがとう、エリス。私は私の出来る全てを尽くして、必ず勝ちます。本当に、なんと言ったらよいのか……貴女がいなければ、私、どうしようもなかったと思います」
「やめてよ。大したことはしていない」
「そんなことありません!どんなに、助けられているか……」
「だから、何もしてないって」
エリスは、フォトアから顔を逸してしまった。照れ隠しである。
「で、決闘の場所はどこになったの?アウェーだと、緊張するかもしれないよ」
「それが……」
「どこ?」
「賭博場、ディザイアです。ディザイアに人を集めるそうです。アトラ家での決闘も予想しましたけれど、何故か、賭博場を選んだみたいです。確かに、第三者の目があるという点では、公正な場所なのかもしれません」
フォトアは手紙で決闘の場所を知らされた時、苦手だな、という感情を抱いていた。フォトアはギャンブルをしたことがない。苦手なのだ。何かを対価にするのが苦手なのである。
話を聞いたエリスは、チッと舌打ちをした。
「馬鹿にしやがって……フォトア、決闘で婚約を決めるだけじゃなく、おそらく、その場で観客に博打をさせるつもりよ。貴女を見世物にしようっていう魂胆。反吐が出る」
「大丈夫です、エリス。私はどこで戦っても、揺るぎはしません。見世物にされようとも、勝つだけです。エリスが一生懸命教えてくれたから、戦えます。ありがとう、エリス。たくさんの勇気を貰いました」
「強いね。本番では、私も一緒に行くから、一人じゃないよ」
「ふふっ」
「可笑しい?」
「いえ」
フォトアは真っ直ぐに、エリスを見つめた。
「頼もしいです」
「……だからさぁ……」
エリスは、やれやれと肩をすくめた。彼女の心が、どうしようもなく温かくなる。フォトアを相手にしていると……不思議なものだった。
「とにかく、今日は久々に帰るけど、本番寸前まで稽古するよ。何度も言うけど、変な物は食べないように。体調崩したら、負けるからね。渡しておいたチェスの書物は……全部読んだわね。あれ、もう一回復習しておいて。フィールを見返してやろう。賭博場なんて場所を選ぶなんて、性が悪い」
エリスは、ブリッジ家に泊まり込みで稽古をつけていてくれているのであった。そのおかげで、フォトアはもう既に、父エミールには余裕で勝つことが出来るようになっている。
しかし、そこは問題ではない。問題なのは、フィール・アトラに勝てるかどうか。それ一点のみ。
フォトアは、負ければツヴァイの前から去らねばならない。
しかし、王命という強大すぎる敵を前に、フォトアが出来ることは、決闘を受け入れることしか無かった。勝てば、勝負にさえ勝てば、ツヴァイと一緒にいられる。
そのために、どんな努力も惜しまなかった。チェスの書物を読み漁り、エリスの怒涛の稽古を、いつも真剣に受け止めた。執着と言えるほどの修行をした。
フォトアの心の中は、絶対に勝ちたいという気持ちと、エリスへの感謝だった。エリスは、どんな時でも戦術の話を聞いてくれて、しかも見返りを求めない。申し訳なさ、これでいいのだろうかという思いと、感謝があった。エリスがいなければ、破滅へ向かっての一筋の道しか、見えなかっただろう。
エリスを見送ろうとしたフォトアは、不意にエリスに尋ねた。
「エリス、私から返せるものは、何かないでしょうか?」
「なにが?」
首を傾げるエリス。
「ずっと、私の稽古をしてくれています。時間を惜しまず……決闘が終わったら、何かお返しがしたいです。私の出来ることなら」
「ふーん……」
「ありますか?」
「畑」
「え?」
「畑を耕してみたい。それで、食物を作って、貴女と食べるのよ。エインセにも持っていくわ。どう?」
エリスは優雅に微笑した。一言で彼女の態度を表すならば、洗練。
フォトアはエリスの言葉に、胸が熱くなった。
「わかりました。必ず、一緒に畑を耕します。ありがとう、ありがとう、エリス……」
「一人で耕したいんだけど」
「しかし、それは大変では……一緒に」
「一人の作業に意味があるの!」
「いえ、畑を一人で耕すのは難しいです!」
「やってみなきゃわかんないでしょ!」
「わかります!私、ブリッジ家で生まれ育ったのですよ!」
「そう言うのであれば、私はクラーレ家で育ったのよ。腕だって鍛えてある」
白い腕をフォトアに見せるエリス。誇らしげだった。
近くにある馬車から、御者が降りてきた。上下茶色の制服である。
「エリス様、まだですか?」
「ああ、ごめん。すぐ行く。じゃあね、フォトア。私の教えを守るのよ」
「はい!!本当に……ありがとう!!」
エリスは御者の後に続き、馬車へと乗り込んだ。フォトアはその馬車をじっと見つめ、見送った。




