一手一手の計算
ツヴァイ・ローレンは今、謁見の間にいた。とても大きな部屋であり、壁は白を基調とし、金細工や、美しいガラス作りが、綺麗に整列している。近衛兵たちも20名ほどおり、いずれもが武装している。二列に並んでおり、国王アルヴァンを守っているのだ。
アルヴァンは、赤い礼装に、黒いコートをかけていた。大きな黒の玉座に座り、肘掛けに肘をついて、ツヴァイを見つめていた。緑の瞳である。老練の、人の心を見透かすかのような威圧感がある。
「さて、ツヴァイよ?急な謁見の申し出だったが、何用か?お前が積極的に私に会いたがってくれるとはな」
「アトラ家と婚約せよという、王命の件についてです」
真剣な表情のツヴァイに、アルヴァンはフッと笑った。
「ああ、その件か……そうか、伝わったのか。王命というのは本当だ。ツヴァイ、お前には、アトラ家の次女、フィール・アトラと結婚してもらう。理由は単純だ。国力を高めるためだ。お前には申し訳ないと思うが、私ももう年でな。私亡き後、国を守れる力が欲しいのだ。お前、いや、お前たちにはその役目を担ってもらう」
アルヴァンは無表情で語っている。
ツヴァイの心境は、やはり本当だった、という動揺。しかし、その動揺にも負けず、すぐに立て直した。王命は本当のことであるのは、予想済みだったからだ。
故に、自らが用意してきた返答をするのみだ。
「アルヴァン陛下」
「なんだ?」
「その縁談、お断りさせていただきます。私には愛する人がいます。フォトア・ブリッジ……彼女を、不幸にしたくない。アトラ家の者と婚約など、論外です」
周りが、驚きの声に包まれた。ツヴァイは、国王の命令を、論外と言ったのだ。
アルヴァンの表情が険しくなった。そして、口角を上げ、楽しむかのような表情へと変化。
「ツヴァイ、お前は自分が何を言っているのか、わかっているのか?」
「嘘偽りない、本心を語らせて頂いています」
「その言葉が、破滅へ向かうとは、わかっているのか?」
「破滅はしません」
「ならぬ。お前が王命に背くと言うなら、こちらにも打つ手段はある。王命を無視されたとあっては、国の権力を誇示することは出来ぬ。まさか、ローレン家ごと滅びるつもりか?お前一人の問題ではないのだぞ」
アルヴァンの表情は険しくはない。むしろ、笑顔に近い。対して、ツヴァイは顔色を変えることはなかった。真剣な表情を崩さない。
「……話の要点は、国の連携を強めること。そして、強い力を諸外国に誇示すること。この条件さえ揃えば、王の望みは果たされることになります」
「その通りだが」
「ブリッジ家は、国で一番の繁栄を遂げるでしょう。そうすれば、何の問題もない。ローレン家は、ブリッジ家を全力で補佐し、必ずやブリッジ家を、影響力のある家に育ててみせます。これならば、ご満足頂けるのでは?」
「そう来たか。だがブリッジ家は農作に恵まれているとはいえ、貴族に対しての影響力はあまり無い。そんな家柄が、果たして国の有力貴族になれるか?」
「なれる、なれないの問題ではないのです。『する』のです」
淀みないツヴァイの言葉。その様子に、アルヴァンはなおもご機嫌のようだった。
「それが、お前の策か?フォトア・ブリッジと結婚するための」
「そうです。私の言葉が王に届いてくれるのを願うのみです。私は、賢明な判断をするように助言を受けました。しかし、王!賢明な判断をするのは、貴方のほうです!!」
またも周りがざわついた。ツヴァイの、国王への挑戦とも言える態度。無礼だと感じる者も、少なくなかった。国王の側にいる、茶服の側近は、顔を赤くしている。
「ツヴァイ・ローレン!貴様、王に可愛がられているからといって、調子に乗るな!!」
「調子に乗るな?論外!!いくらでも、調子に乗らせていただく所存。この、愛する人を失いたくないという気持ちに、偽りはありません。アトラ家と婚約など、冗談ではない!」
「貴様……!!」
側近はさらなる怒り。
「まあ、待て。覚悟は伝わった」
側近とツヴァイの言い合いを、アルヴァンが制した。
「ツヴァイよ。何か、見落としていることがあることに、気が付かぬのか?」
「見落とし……?いきなり、何を」
「考えるのだ。お前は、盲目だ……そもそもからして、おかしいと思わない所が、な。これ以上は言うまい。すぐに気づくだろう。ヒントは無い」
アルヴァンはニコニコとした顔でツヴァイを見ている。
ツヴァイは、アルヴァンの表情に違和感を覚えた。悪意を感じないのだ。それどころか、まるで、何か遊ばれているような……。
頭のスイッチを切り替えるツヴァイ。ヒントはない。盲目、見落とし……。
アトラ家の者が、ローレン家に手紙を送ってきた。これは事実だ。フィール・アトラ本人のものではなく、ハリオン・アトラの名義であったが……。
どこに、見落としがあるのか?アルヴァン国王は何を笑っている
深く考え、黙り込んでしまったツヴァイを見て、アルヴァンは高らかに笑った。その笑い声も、やはりツヴァイにとっては敵意を感じるものではなかった。まるで、父親に、自分の未熟さを笑われているような……。
「王!何を隠しているのです!!遊びに来たわけではない!!」
「アトラ家の長女は、誰だ?」
「は?」
ツヴァイは不意打ちされたかのように、唖然とした。
「誰かと聞いておるのだ」
「それは、ルクシア・アトラです。……ッ!!」
自分の一言に、ツヴァイは酷く動揺した。
そう、アトラ家の長女は、性格も良く、まるえで聖女のようだと評判の、ルクシア・アトラなのだ。そして、ルクシアは結婚していない。
そうであれば、王命は、ルクシア・アトラとツヴァイ・ローレンの婚約を要求するはずではないか!!
呆然としているツヴァイに、アルヴァンが追い打ちをかける。
「フォトア・ブリッジ嬢との婚約の件、アトラ家の耳に入りました。
本題に入ります。その婚約は、今すぐ破棄してください。
ツヴァイ様には、アトラ家の次女、フィール・アトラと婚約してもらいます。
これは国の将来を決める、絶対的な審判であり、王命です。
我が国の王が、我々の将来を決定したのです。
この要請は、アトラ家だけの物ではありません。繰り返しますが、王命です。
我ら貴族は、それに対して、首を横に振る権利などありません。
もし、ツヴァイ様が要請の通りに、速やかにフォトア・ブリッジとの婚約破棄をしてくださるのであれば、ブリッジ家は平和に暮らせるでしょう。
しかし、万が一、王命とアトラ家の方針に背き、フィール・アトラと婚約しなかった場合、ブリッジ家の将来は保証しません。ローレン家もです。
フォトア・ブリッジの命が惜しければ、素直に国の方針に従って下さい。
貴方が賢明な判断をすることを、心から望んでおります」
すらすらと語るアルヴァン。その言葉は、ツヴァイの受け取った手紙の文章と、一字一句違うことのない言葉だった。
ツヴァイは、受け取った手紙を誰にも見せていない。そうなれば……。
「もしや、王命の婚約というのは、まったくの嘘だと?」
真相に辿り着いたツヴァイが、アルヴァンに詰め寄った。思わず距離も詰めそうだったが、ツヴァイは耐えた。
「そうだ。しかし、ただ遊ぶために一連の話をでっち上げたわけではない。ツヴァイ、私はもう齢なのだ。安心して死にたい。そのために、お前に国の事を頼みたいのだ。王になれとは言わない。だが、お前のローレン家の影響力は計り知れない。ブリッジ家が悪い家柄だとは言わない。農作に精を出している。素晴らしいことではないか。だが、心配だったのだよ。試したかったのだ。お前と、お前の婚約者の絆をな。私は、国と貴族を守ってきた。死ぬ前の我儘くらいは、許されるだろう」
「……許されないと思いますが」
「許せ。お前の覚悟が見たかったのだよ。私に逆らうほどに、愛しているのだな」
「そうです。フォトア以外の女性は、考えられない。私は、最悪の場合、貴方を『脅す』つもりでいました。ツヴァイ・ローレンは、貴族の世界から姿を消す、と。そうすれば、ローレン家を慕ってくれている者たちが、国に対して、国の横暴を許さないという声を上げてくれるだろうと。私は貴族としての全てを失いますが、それでもよかった。フォトアと世界を歩いていけるのならば」
「……」
国王の側近は黙り込んでいる。アルヴァン国王は、何度も深く頷いていた。
「お前には心というものがある。私も若い頃は、強い心を持っていた……わかった。フォトア・ブリッジ嬢と結婚するがよい。私はもう、口を挟んだりはしない。だが、最後に一つ聞いてくれるか?」
「一つ、とは?」
「この国を頼む」
アルヴァン国王は玉座から立ち上がり、頭を深く下げた。
べレッセ国の未来。それを、貴族たちが連携して、支えていくこと。
「王、顔を上げて下さい。王の頼みであれば、全力を尽くします。フォトアと共に」
「ありがとう」
アルヴァンは安堵した表情を見せた。それが、彼の本当の素顔。
「しかし、思い返せば、問題が残っているな」
「王、問題とは?」
「アトラ家の者たちだ。長女のルクシア・アトラには、事情を話しておるのだ。可能な限り、芝居に協力すると、ルクシア嬢は言った。ただ……次女、フィール・アトラは事情を知らない。本当に、ツヴァイ、お前と婚約するのだと思い込んでいるのではないか」
「なるほど。無用な心配でしょう。王命は、嘘だったのですから。王命という盾を武器に、勝手に剣を振りかざしてきただけであって、もう、私とフォトアの結婚を邪魔する者はいません」
「そうだな。フィール・アトラも、事情をすぐに理解するか。結婚は揺るぎない、か」




