結婚するしかないんじゃないの再び
フォトアは、父のエミールの部屋を訪れていた。僅かに、手汗をかいている。緊張の故である。玄関で起こった事情を、エミールに相談していた。
エミールは頭を抱えている。そして、考え込んでいるようだ。
「フォトア、軽率だ。まずは冷静に、事実をまとめるのが先だった」
「はい……」
「焦ったのだな?」
「……はい。ツヴァイを、彼を、誰にも渡したくありませんでした。屈してはならないと」
「気持ちをはわかる。だが……正直に言おう、フォトア。お前のチェスの腕前では、私にすら勝てない。私もチェスは得意で、強いほうだが、お前の性格と腕前では、フィール・アトラに勝つことは出来ないだろう。フィールが本当のことを語ったのかどうかは、わからない。だが、言った事が本当なら、一度も負けたことがないような腕前の相手に、お前が勝てる道理はない。神様が見守っていたとしてもだ」
「今からチェスを教えて下さい、お父様!私、出来る限りのことをします。決闘の日は、まだ決まってすらいません。それまでの時間で、少しでも、少しでも強くなります!」
「私が教えても、お前が短期間で強くなれるとは、私の目には映らないのだ……すまない、フォトア……」
「お父様!お願いです!」
フォトアの瞳には、涙が溜まっていた。しかし、泣いてはいなかった。強くあろうとしているのだ。
「……一つだけ、もしかしたら、道があるかもしれない。フィール・アトラに勝てる道が」
「なんですか!?教えて下さい!!どんな辛い思いをしても、勝ちます!!絶対に!!」
「フォトア。エリス・エーデンブルグ嬢を呼びなさい」
後日。
「で、なんで私を?手紙で、事情は知ったけど」
エリス・エーデンブルグ、元、エリス・クラーレが腕を組んで、椅子に座っている。表情は不満そうである。短い銀髪に、黒い私服がよく似合っている。
エリスの目の前には、フォトア、そしてエミールが並んでいる。
「フォトアに、チェスを教えて頂きたいのです」
頭を下げるエミール。深く、深く。
「どうして、私が指南役に選ばれたのかわからない」
「私は、貴女と対戦しました。貴女は強かった。それに、貴女は手加減をしていた。それなのに、私に余裕で勝った」
「手加減していたのを見抜けるのも、優秀だと思いますが」
「貴女しかいないのです。フォトアを強くしてください。どうか、お願いします!私の出来る限りで、お礼をします。どんな望みでも……。貴女が教えてくれる以外に、道を思いつかないのです。出来る限りの報酬を……」
「……不愉快です」
エリスは不満そうな顔だ。
「不愉快なのは承知しています。しかし、どうか……」
「頼まれたことが不愉快なんじゃない!私が、報酬が無ければ動かない女だと思われてるのが、不愉快なの!」
「え?」
エミールは目を丸くした。
「フォトアを強くすればいいんでしょ?報酬なんていらない。だって、友達のためだもの」
「エリス……」
フォトアは立ち上がっていた。そして、心が動いていた。エリスの頼もしさに。
「その代わり、稽古の内容は突き詰める。簡単に音を上げるのは、承知しない。まあ……フォトアは絶対に頑張るって、わかってるけど。そうでしょ?」
笑顔をフォトアに向けるエリス。
「ありがとう、エリス」
「いいよ。さあ、始めましょう。フィール・アトラが強いっていうのは、本当だよ。噂を聞いたことがある。でも……そうね、私だったら勝てる。その私が教えるのだから、貴女は絶対に勝てるはずよ。休憩している余裕なんてない。今すぐにでも始めましょう。幸せを掴むんでしょ?そうでしょ?結婚するしかないんじゃないの?」
「はい!」
そうして、フォトアとエリスは別室へと向かった。
地獄のような稽古の始まり。だが、希望に満ち溢れた稽古の始まり。
人間は、一人だけでは生きていけない。しかし、フォトアは一人ではない。エリスが助けてくれている。その事が、頼もしかった。
絶対に勝つのだと、フォトアは心に誓った。そして、感謝した。自分を助けてくれる人たちへ。




