プリンス・エリス
フォトアとエリスは結局たくさんの話をした。時は夕刻へと気がつけばなっていた。
オレンジの空が雲達と共に天空に佇んている。
ブリッジ家の外。空を眺めるフォトアとエリス。
木々に囲まれている。
「あ、ごめん。長居をしすぎた……私、帰るね。お父様にもよろしく伝えて」
エリスはそう告げた。そしてもう謝りはしなかった。フォトアが謝らないでと何度も言ったからである。
「気をつけて帰ってくださいね。また、会えますか?」
「貴女が望むのであれば」
「なら、また会えますね」
フォトアは笑顔を見せた。何度も見せた眩しい笑顔。
「今日は本当に良い日だった。友達が出来た。先の道筋も見えてきた。今日貴女に会えて本当に良かったと思う。きっと、エインセが変わるのは時間がかかることだと思う。私自身もまだ変わりきれていないと思う。それでも、やってみるよ。一生懸命生きて、人に感銘を与えるようになりたい。剣技だって、まだまだ甘い。修行もする。クラーレ家の名に恥じぬよう、努力する。努力する気力だってある。だって、認めてくれる友達がいるのだから。私はエインセと結婚する。彼も、彼の立場になってみれば悲しい人なんだと思う。周りに誰も咎める者がいなかったから。私がそうであったように。貴女みたいになる。それが私の目標」
エリスは右手をフォトアに差し出した。握手をしようと。
フォトアはそれに応えた。右手を差し出す。
二人の手が繋がった。白く美しい指と日々の作業に痛んだ手。
フォトアはむずむずした嬉しさを感じた。自分のことを目標だと言ってくれる人が現れるなんて。
「貴女は太陽のような人よ。謝るなって散々言われたけれど、最後に言わせてほしい。ごめんなさい。非礼をしました」
エリスは頭を下げた。
フォトアはゆっくりと頷いた。
「エリスを応援しています。貴女の力強さがきっと未来を切り開いていけると、私は思います。エインセはひどい人ですが、貴女が強くあり続ければきっと未来は変わります。人は、決意の力で運命さえ変えることができます。いや、運命なんてないのかもしれません。過去を振り返って運命だったと割り切ることは出来ます。しかし未来は自分が手を伸ばして手に入れるものです。だから諦めないでください。幸せを手に入れてください」
フォトアは語った。エリスはそれを聞き力強く頷いた。
「手を出して」
エリスは不意にフォトアにいった。
フォトアは不思議そうな顔をして右手を差し出した。
エリスはその手の甲にキスをした。そして深いお辞儀。
絵になる光景だった。まるでエリスが王子のようだった。
「また会いましょう。太陽さん」
エリスは微笑しフォトアに背を向けた。
エリスを迎えに来る馬車の音だけがガタガタと近づいてきていた。
馬車ががたがたと揺れる。その馬車に乗っているのはエリス・クラーレ。
エリスは窓から外の夕焼けを見ていた。一人である。
綺麗だ。空が美しい。
こんなことを思ったのは一体いつ以来だろうか?
子供の時だろうか。子供時代は少しは純粋だった気がする。
人が老いていくように感性も錆びついていく。身にたくさんの錆が付いてしまったなと思うエリスだった。
座りながら両手を握るエリス。馬車は走っている。
変わるんだ。人を変えるんじゃない。自分が変わるんだ。
フォトアと話が出来てよかったと心からエリスは思った。
馬車はクラーレ家の屋敷に到着した。馬車はクラーレ家の物であった。夕刻頃迎えに来てほしいと頼んでおいたのだ。
「迎えに来てくれてありがとう」
エリスは御者にお礼をいった。
すると男の御者は顔を赤くして驚いていた。
「い、いえ、エリス様のためですから。これくらいどうってことはありませんよ」
そういう男の内心は少し違った。いつものエリスは厳しい態度を取る。自分など目に映っていないかのように。それが今、目の前の美しい銀髪のエリスは優しくしてくれている。それが嬉しかった。そして不思議だった。何か裏があるのかもしれない。
「ゆっくり休んでね」
エリスは御者にそう告げ馬車から降りた。砂利道を踏む。
そして颯爽とクラーレ家の屋敷に入っていった。
エリスが屋敷に戻るとエリスは招集をかけた。異例の事態である。
屋敷の者たちがエリスに呼ばれたのだ。使用人も住人も。
使用人たちは気が気ではなかった。もしかしたら解雇されるかもしれない。恐ろしいエリスのことだ。何が起きてもおかしくはない。使用人たちの間では、私達どうなるのかしらという話題が飛び交っていた。
クラーレ家の稽古場。そこが招集の場所に選ばれた。甲冑が飾られており空間は広い。
天井も高い。一体この頑強な骨組みはどうやって作られたのだろうかと思うほどである。
エリスは部屋の中央で人が来るのを待っていた。エリスの招集に応じてどんどん人が入ってきた。住民は不安そうに。使用人たちはさらに不安そうに。
解雇されたらどうしよう。そんな不安が使用人たちに渦巻いていた。
そして屋敷の者たちがクラーレ家の稽古場に集まった。
エリスは腕組をしてなにか考え込んでいる様子だった。
そして周りを見ながらおもむろに話し始めた。
「みんな集まってくれたのね。今日は伝えなければならないことがあるの」
エリスのその言葉に息を呑む使用人たち。
「私……今まで散々みんなに冷たい態度をとってきた。そのことを謝りたいの。人に優しく出来なかった。使用人たちは私のワガママさに呆れていると思う。でも、言わせてほしい。いままでごめんなさい」
エリスは皆に頭を下げた。
「え、エリス様……?」
驚く使用人たち。解雇されるのだと思った。だがエリスは謝っている。それが信じられなかった。
あのエリス様が……?
理解が追いつかない。
「ごめんなさい」
頭を下げたままのエリス。
「え、エリス様、顔をお上げください!そんな、謝られることは……私達は使用人ですから……」
「迷惑をかけた」
使用人に向けてエリスが頭を下げ続けている。
使用人たちは確かにエリスのことを良く思っていないところがあった。
しかし目の前のエリスは真摯に謝っているように見えた。
その中で一人の使用人が前へ出た。
「エリス様、私はクラーレ家に拾ってもらって、とても助かったんです。仕事が無くて……市場で私を雇ってくれた時のことを覚えていますか?私は市場で食べ物を乞いていました。それを見たあなたは使用人をやれと言ってくださいました。それ以来、感謝の気持ちしかありません。エリス様にとっては気まぐれだったのかもしれませんが、そんな、謝られることなんて……わ、私達なんかのために……」
使用人が涙ぐみながら話す。
他の使用人たちも同様に頭を下げた。
「そんなこともあったね……ごめんね、みんな。ごめんなさい」
「もう謝らないでください、エリス様。私達は今あなたに仕えられて報われています」
使用人たちはエリスの真摯な言葉に心を打たれた。
自分たちのような身分の人間にエリスが謝ってくれるなんて。
きっとなにかあったのだ。そしてこれからはこの主に仕えられるのだ。
それはこの上なく嬉しいことだった。
エリスは心からの謝罪をした。使用人たちはそれを受け入れた。
この結果は、エリスが謝らなければ起きなかった事象だ。
エリスの心がまた新しい仲間を生み出したのだ。
心を開くこと。優しくすること。それが人の幸せを運んでくる。
エリスに自覚はなかったが、フォトアに言われた背中を見せるという言葉を体現していた。
使用人たちは思った。この主のことならなんでも聞くと。
その後。クラーレ家で大規模なお茶会が開かれた。
主役はもちろんエリス。しかしエリスは使用人たちが主役だと思っていた。
場所はクラーレ家を出て近くにある茶色い建物の一室だった。
何故お茶会などになったのかというと、使用人たちがエリスと話したいと言い始めたからだった。使用人たちには今のエリスはとても美しい人物に思えたのだ。
立ち振舞いが今までと何か違う。美貌だけではない。態度が洗練されているのだ。
女の使用人たちがこぞってエリスを取り囲み逃がそうとしない。その様子にエリスは苦笑していた。
お茶会といえば聞こえは良いのであるが酒を飲む者もいた。エリスもまた酒が好きである。
しかしまずは紅茶だった。使用人たちがお菓子を焼いてくれたのだ。
エリスの目の前に並ぶ美味しそうなマフィン。
お礼を言いながらエリスはそれに手を伸ばした。作った使用人は緊張している。
「……美味しい」
エリスは目を開いていた。
「いくらでも食べられるわ」
そのエリスの言葉に、作った使用人はとても感動していた。
褒められた。褒められることがこんなに嬉しいなんて。
「え、エリス様、無理はなさらないでいいのですよ」
「無理?してないよ。美味しい」
「うぅ……」
俯く使用人。エリスの美貌にこんなことを言われると惚れてしまいそうになる。しかしエリスは女である。
「エリス様、一杯どうですか?」
屋敷の男の者が話しかけてきた。でっぷりとしていていかにも酒に強そうな大男だ。
「お酒?ああ、飲もうかな」
エリスは心よく承諾し酒を取りに行こうとした。しかし使用人がそれを阻んだ。
「私達がお酒を持ってまいります。エリス様はここにいてください」
「そう……ありがとう」
微笑むエリス。使用人たちはそれを見て超速で酒を取りに行った。
そして今エリスは酒を飲んでいる。
「エリス様、そろそろ限界なんじゃないですか?」
机を挟んで酒を飲もうと言った男とエリスが向き合っている。二人の周りには観客がたくさん集まっていた。
男の顔は真っ赤になっていた。酒を二人で飲み比べていたのである。
相当な量を二人共飲んでいた。故に男の顔が赤い。
しかしエリスの顔色は変わらない。
「もう降参?」
エリスは妖しげな笑みを浮かべている。
「い、いえ、まだ……」
「そう……。次のお酒を持ってきてくれる?」
「かしこまりました!」
使用人がお酒をまた取りに行く。男はこれは参ったという表情だ。
エリスはどこか遠い方を見つめるような瞳をしていた。
楽しい。
いつ以来だろうか。
自分が心を開いていなかったからこんな楽しいことに出会えなかったのだろう。
「ねえ、エリス様超かっこよくない?」
エリスのいない所で使用人たちが話し合っている。
「わかるわかる。なんか人が変わったよね。今のエリス様、王子様みたいで超かっこいい」
「優しくなったよね!」
「クラーレ家で一生支えてあげたいよね」
「今度は私がお菓子を作るんだから邪魔しないでよ」
「抜け駆けしないでよ!」
そんな他愛もない会話を使用人たちはしていた。エリスは酒を口に含み目の前の男を唸らせていた。




