ごめんなさいエリス・クラーレ
クラーレ家の屋敷に戻ってきたエリス。夜のかなり遅い時間だ。しかしエリスは飲みに行くことが多かったのでこんな時間に帰ることも珍しくない。
屋敷の中をてくてくと歩いていると使用人達や屋敷の者たちとすれ違った。挨拶はするがそれ以上の話はしてこない。
エリスはふと立ち止まった。そういえば屋敷の住人と会話することなどしばらくなかったと。最近話したのは金貨を渡した使用人くらいだ。誰もエリスに深入りしてこない。エリスと長話をしたいと思わない。
何故か?
理由はわかるような気がした。こんな性格の悪い欠陥品の女と話して面白い人間などいないだろう。
虚無感がエリスを襲った。しかしそれは自業自得。自分が悪かったから罰を受ける。当然の結果だ。屋敷の住人たちに今更笑顔を向けても怪しまれるだけだろう。エリスは住人たちに理不尽な態度で接したこともたくさんあるのだから。
エリスは自室に戻った。紫色の花だけがエリスを出迎えてくれる。
椅子に座り込むエリス。もう眠っても良かったが考え事でもしようかと思った。
ボランティアには参加した。少しの変化があったかもしれない。しかし一番やらなければならないことから目を逸らしているエリス。
やらなければならないこと。それはフォトア・ブリッジに謝るということである。
しかしエリスはそこまで強くなかった。弱い人間だった。プライドが許さない。屈辱だ。耐えきれないだろう。フォトア・ブリッジに謝ることは出来ない。少なくとも今は。
エリスは考え事をやめベッドで横になることにした。
窓から見える外は闇だらけで気持ちがよかった。そしてとても静かだ。
静寂と紫の花。白い部屋。
どうすればいいんだろう。私は真面目だろうか?生きていくことに意味があるだろうか?
フォトアに謝らなければならない。だがそれが出来ない。
生まれ変われたら良いのに。いやそんな事は不可能だ。
自分が変わるしかないのだ。
他の人間に求めるのではない。
自分自身に求め変わらなければならないのだろう。
わかんないよ。
善良な人間がわかんないよ。
エリスは目を閉じてベッドに身を委ねた。
薄れゆく意識の中、ただ悲しいと思った。
翌朝。目覚めたエリスは鏡を見た。自分は美しいと思う。女として優秀。前ならそう言い切っていただろう。だがその自信も今は崩れ、自分は醜いのだと思うようになっていた。かつての自信はもう彼女にはない。
ツヴァイ・ローレンに謝りに行こうか。いや、それは出来ない。まだ出来ない。
どこか行きたい場所……。
教会に行きたい。普段は教会など行かずむしろ馬鹿にすらしているようなエリスだったが、心境の変化からか足を運んでみようとなんとなく思った。酒場のある街に教会があるはずだ。それもかなり大きい。
エリスは身支度をした。見た目だけでも美しく。銀髪に似合う黒のワンピース。自分の弱さを隠すかのように金の装飾品で身を隠した。過剰なほどの装飾品。金持ちの証だ。
何をしにいくのか。エリス自身、わからずにいた部分もある。だが心の底、エリスも気づかぬ心の底の気持ちは懺悔だった。
街に出るために屋敷を出た。馬車である。今日は晴れているようだった。日差しが眩しい。
馬車に揺られながらもエリスは考えた。
自分はバカバカしいことをしているのではないか?
別に信じている神もいないし教会などに行ってどうするのか。何かを得ようとしているのか。何も変わらない。出来ることといえばお祈りくらいだろう。お祈りの効果を知らないエリスである。自分には関係のない世界。
馬車の中から窓越しに外の風景が見える。木々が風に揺られていた。優しい緑だった。
自然のようになれたらな。
なれないんだろうな。
馬車が教会につくとエリスは御者に金を渡した。お礼は言わなかった。賃金を払っているのだ。この程度でわざわざ礼を言う必要もないだろうと考えたのだ。考えただけでも一歩進んでいるのだが。
馬車から華麗に降り立ち地に足をつけるエリス。足が長い。教会には結構な数の人々がいるようだった。熱心なことだ。エリスは冷ややかな目でその光景を見つめていた。
教会は大きい。白造りの大きな建物で正門の真上に大きな時計がついている。その時計が狂うことはない。どうやって整備しているのだろうかとエリスは思った。
教会の入り口に近づくエリス。人々とすれ違う。きっと皆お祈りをしていたのだろう。帰っていく人々の顔は幸せそうに見えた。
エリスは教会の中に入っていった。
広い空間だ。ここで歌唱をすればさぞ良く響くことだろう。
エリスは真っすぐ進んでみた。視界に神父らしき人物が映っている。ここまで来てもエリスの心はまだ何をするか決めていない。
広間で立ち止まるエリス。
何がいけなかったのか。
悪意の塊の自分。
醜い自分。
嫌いだ。
みんなだって私のこと嫌いだって思ってる。
全部敵だ。味方なんていないんだ。
そうやって生きてきたじゃないか。ここまで裕福じゃないか。
なのに……。
エリスは悔やむように俯いた。泣きはしなかった。泣いてたまるものか。
この感情の元はなんだ?
寂しさか?
後悔か?
立ち止まっているエリスに神父が近づいてきた。普通ではない雰囲気を感じたのかもしれない。
「お嬢さん、どうかなされましたか?」
紺の帽子を被った神父が優しくエリスに声をかけた。本当に優しい声色だった。
「なんでもありません。別に、なんでも」
「悩み事がある時は、神にお祈りをするものですよ」
神父は神を信じているようだ。エリスは信じていない。現実の事象は物質が起こすものだ。神の仕業ではない。
「神は信じておりません」
「では自分を信じてください」
神父は即答した。優しい声色なのは変わらなかったが断言したのだ。
「自分を信じる?」
「人間は誰しも、自分の本当の声を聞けるのは他ならぬ自分です。自分が自分の叫びに気づいてあげなければなりません。出来るはずです。そこの椅子にでも座って自分を信じてみてはいかかでしょうか」
紺色の神父は言い終えると颯爽と建物の奥に去っていってしまった。残されたエリスは呆気に取られていたが、素直に神父の言うとおりにしてみた。椅子に座り自分の声を聞こうとしたのだ。
無心。集中。自分の声。自分を信じる。
自分の声を聞くことに集中した。
(ごめんなさい)
声が聞こえた。心の声。エリスの心の声。
(もっと友達が欲しいよ。優しくなりたいよ。フォトアに悪いことしたことを謝りたいよ。誰かに褒められたいよ)
声は続く。
エリスは今までこのような自分の声を聞いたことはなかった。初めて神父に教わったのだ。とめどなく聞こえてくる自分の声。ああ、そうだったんだ。そうだったんだね。ごめん、ごめんね、私……エリス・クラーレ……。
座り込んているエリスの頬を涙が伝いエリスの悔やんだ表情だけがそこに佇んでいた。




