孤高でいるしかなかった
エリス・クラーレの屋敷にて。
武力が売りのクラーレ家にとって屋敷の中の甲冑や剣などの品々は自慢の品だった。クラーレ家が他の者からの目を非常に気にするというのもあるかもしれない。
そしてエリスもそういう性格だ。他の者の目を気にする。他人の視線で自らの幸福を推し量る。
エリスはローレン家でとんでもない恥をかかされた。他人から嘲笑されること。耐えきれない仕打ち。原因はエリスにあるのだが。
エリス・クラーレは人の悲しみを思いやれない女だ。
それは育った環境のせいでもある。また、エリス自身が悲しんだことや打ちのめされたことがないということである。人は自分で経験しなければ人の悲しみがわからない。人の挫折がわからない。そして今まさにエリスは人生で一番といってもいいほど打ちのめされていた。子供ごときに負けた。自分の特技が。努力が。
大嫌いだ。ツヴァイ・ローレンなんて大嫌いだ。ローレン家。憎いローレン家。
そうしてエリスが憎しみに身を委ねながら紫の絨毯を踏みながら屋敷を歩いていると、使用人が一人泣いていた。メイドの格好をしている。
「どうした使用人」
エリスが苛立たしげな口調で使用人に声をかけた。
「あ、エリス様……いえ、家族が、不幸な目に逢いまして……私の母なんです。母は、エリス様の屋敷私が仕えられるように、一生懸命働きかけてくれたんです。おかげで私はエリス様の屋敷で働けています。しかし母は今、病気で……とても重い病気で私のお給金からでは薬を買うことが出来なく……」
使用人は俯いてしまった。舌打ちするエリス。こちらは挫折したばかりなのだ。苛立たしい。
「いくら?」
エリスが不機嫌そうにいった。
「え?」
「いくらだって聞いてんの。嘘の話だったらぶっ殺すぞ。ほら、いくら?」
「え、えと、銀貨ではなく、金貨が必要で……」
「持ってきゃいいよ。私が出す。その代わり、私今不機嫌だから黙ってくれる?」
エリスは使用人の元に近づき金貨を手渡した。ただ淡々と。
「え、エリス様!ありがとうございます!ありがとうございます!!」
使用人は戸惑いながらも、目に涙を溜めながら何度もエリスに頭を下げた。
「黙ってろって言ってるだろ!」
エリスはそう言い足早にその場を後にした。
今までの自分なら話など聞きもしなかったことに気づかないまま。
エリスは使用人に金貨を渡した後足早に自室に戻った。
華やかな自室。白いっぱいの部屋に美しき紫の花。
私のように美しい。花を見ながらそう思った。
しかし頭の中を描くのは得意の剣技がまったく通用しなかったことだ。少年ごときに負けてしまった。
剣を振るう気持ちに、もうなれそうもなかった。所詮井の中の蛙だったのだ。広い世界を知らず自分の中だけで完結されてしまった剣技。
壁に立てかけられた剣を見た。美しく光る剣だったが手に取る気になれない。
子供の頃から剣技を教えられてきた。最初はまったく話にならなかったがそれでも剣技に執着した。クラーレ家の期待を裏切るわけにはいかなかったのだ。両親は決してエリスの努力を褒めたりはしなかった。ひたすらに厳しくされた。無能は必要ないとまで言われた。
誰もエリスの努力を認めたりしなかった。ひたすらに孤独な戦いだった。両親も屋敷の者も、誰もが手を差し伸べなかった。
その中で悟ったのだ。
能力がなければ意味がない。
成果を出せなきゃ意味がない。
やがて実を結び努力の成果でエリスは剣技を特技としたのだ。
成果を出した後のエリスには皆満面の笑顔で接した。今までの過酷な仕打ちなど忘れてしまったかのように。
「くだらない」
エリスは呟いた。もはや剣技などどうでもいい。
何を間違えた?
自分はエインセ・エーデンブルグと結婚出来る。
欲張ったのが間違いだったのだろうか?
高みを夢見て何が悪いのか。エインセだってフォトア・ブリッジを裏切ったのだ。
フォトア・ブリッジは一連の騒動をどう思ったのだろうかとエリスは思った。エリスらしくもないが。
前のエリスなら考えもしなかったことだ。人の心を考えることなどしなかったことだ。
フォトア・ブリッジの非を考えた。
何故ツヴァイ・ローレンはフォトアを選んだのか考えた。
自分の能力はフォトアを軽々と上回ると思っていた。しかし想像してみるとフォトア・ブリッジは有能だった。何も悪いことをしていないのだ。
舌打ちをするエリス。お人好しなんて大嫌いだ。貴族でお人好しなんて安定した生活が送れるはずがない。認めない。絶対に認めない。認めることなど。
エリスはベッドでしばらく横になった後、外に出かけようと思った。剣を振るうのは結構な運動になるが今はその気分ではなかった。散歩でもしようと思った。
やってられるか。その言葉が頭の中をぐるぐるしている。エインセに会う気にもなれない。
部屋を出て廊下へ。紫の絨毯。紫は好きな色だった。知性を感じるのだ。
何も考えずに歩いていると、エリスの父が階段を昇ってくるのが見えた。
エリスはピリッと緊張した。もしかしたらツヴァイ・ローレンとのやり取りが知られているかもしれない。
実際その通りだった。父は騒動のことをどこかから嗅ぎつけていたのだ。
「エリス!お前、ローレン家と揉めたというのは本当か?」
「……はい、お父様」
エリスは俯いた。顔は蒼白である。
「ローレン家がどれだけの影響力を持っているのか知っているのか!?何をやっているんだ!!クラーレ家に迷惑をかけるな!!この恥晒しが!!」
エリスの父はエリスの頬を叩いた。
叩かれた場所が赤くなる。
「申し訳ございません」
「謝って解決するか!お前に期待した私が馬鹿だった……無能め……」
父は額に手を当てた。
エリスの感情は一つだった。何もかもくだらない。怒るでもない。悲しいでもない。
感情は死に絶え虚無が残る。
その時一人の使用人がエリスとエリスの父に気づいて近寄ってきた。エリスが金貨を渡した使用人だ。
「クラーレ様、お待ち下さい!エリス様はとてもお優しい方です!実の娘を叩くなど論外です!!エリス様に謝ってください!!エリス様がどれだけ傷つくかわかりますか!?解雇されるのも覚悟の上です!!それでも言わせていただきます!!エリス様を傷つけないでください!!」
使用人は顔を赤くしながらまくし立てた。
その時エリスの心に若干の変化があった。何故この使用人は私を優しいなどと言うのか?
からない。わからないのに味方してくれることが嬉しくて何故か涙ぐんでしまった。
そしてエリスは頭が回る。このままでは、使用人は解雇されてしまうだろう。
解雇を覚悟で自分に味方してくれた。使用人が味方してくれた。
「私なんかのために庇う必要はないわ。お父様、本当に申し訳有りませんでした。この使用人は態度がなっていないようなので厳しく指導します。使用人はさっさと料理を作りに行きなさい」
「でも!!」
「行けって言ってんの!解雇するぞ!」
エリスは使用人を叱った。
自分の人生で自分の味方をしてくれた人なんて、ほとんどいなかった。




