最期
たった独り取り残された男は、父親だった男の言葉を思い出す。『全て売ればそれなりの財産にはなるだろう』彼は確かにそう言った。
けれどそれは、それまでの栄光を捨て去る行為に等しい。現金もそれなりに荷物に入っていたため、男はすぐに売り払うことをしなかった。
雨風をしのぐ寝場所はある。現金も手元にあり、不味く粗末だが食事ができる場所もある。だから男は働き口を探すことをしなかった。請求された慰謝料を稼ぐためには立ち止まってなどいられるはずがなかったが、あまりに急激に何もかもを失ったためか、男は正常な思考能力を喪失していた。
結果、1ヶ月も経つ頃には運び込まれた荷物のほとんどを盗まれて、男はがらんどうの部屋で独り立ち尽くしていることしかできなくなっていた。部屋に鍵をかけるという庶民の当たり前の常識さえ、男は持ち合わせていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そうか、死んだか」
公爵は執務机に向かって仕事の手を止めず、視線も上げぬまま家令の報告にそう答えた。
「今朝方、あの部屋で冷たくなっておったそうでございます」
「まあ無理もなかろう。今朝は冷えたからな」
ある寒季の朝、男の動向をずっと監視していた公爵家の“風”が家令に報告を上げてきた。元次男が部屋で冷たくなっている、と。
除籍されてからおよそ3ヶ月目のことだ。
その報告を聞いて、家令も公爵も全く心を痛めなかった。公爵家の家名に泥を塗り、巨額の損失をもたらした男に同情など湧くはずもない。そもそも貴族たるもの、名誉や利益のためなら親兄弟であっても時には殺し合うのだ。家門に損害を与えた存在など、野垂れ死んで当然だとしか思わなかった。
幸いにして長男は、愚かな次男とは違ってきちんと弁えていた。それが確認できただけでも不幸中の幸いというべきだろう。
「しかし、損害賠償の支払いが滞りますな」
「問題ない。自然死ならば保険が下りるはずだ」
公爵はこうなることを見越した上で元次男に保険をかけていた。多額の資金を動かし巨額の資産を蓄える貴族家として当然の措置だが、もちろん元次男には告げていない。大過なく過ごして侯爵家の婿養子に収まっていたなら、あちらで保険の存在を知ることもあっただろうが。
「それに足りん分は女が稼ぐ。いや稼がせるさ」
やはり顔を上げないまま書類にサインして、公爵は家令にそれを手渡す。家令が目を落とすと、それは高級娼館の雇用契約書だった。
「お前も買いに行っていいぞ」
「ご冗談を」
そう言い合ってふたりは、クククッと嗤った。