捧げのおはち
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、このあたりの学校も春ごろに運動会をするんだ。
僕たちの世代って、秋ごろに運動会があるイメージじゃない? 体育の日もまだ10月10日に固定されていた時期だったと思うし。いまだ月の第二や第三月曜日が祝日といわれても、ぴんと来ない自分がいるんだよね。
どうも、適度な気候下という理由以外にも、新クラス間もないころに実施することで連帯感を強める、という意味合いがあるのだとか。
僕たちの頃だと遠足が多かったかな。そこでもやはり飯ごう炊さんとか、みんなでやらされてさ。グループで課題を乗り越えさせる、という過程を重視しているとみた。
しかし、人間が何度もそのようなことをしていると、人間以外もそのタイミングを熟知してしまうようでね。ちょっかいを出してくるケースがあるんだってさ。
僕の父から聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
父の通う小学校にも、ご多分に漏れず七不思議があった。
そのうちのひとつに、運動会にまつわるものがあってね。「捧げのおはち」と呼ばれていたらしい。
おはちは、そのまま頭のことを指す。そして運動会でおはちといえば、ハチマキとくるもので……。
――え? 名前からして首ちょんぱでもされるのかって?
はい、出ました。こーちゃんお得意のネタ潰し。
想像力たくましいのは、いかにも物書きセンセイだけど、あれこれ口にするのはどうかと思うよ。
わざわいの元ってよくいうじゃん? うかつなこと口走って、思わぬ誰かの不興を買っても知らないよ?
だけれど、今回はそこまで物騒なもんじゃないと思うよ、たぶんね……。
父の学校では、色分けが決定した段階で、その色のハチマキが配られて、放課後の練習でも使うように指示される。
本番のみ配ればいいんじゃないかと、父をはじめとする何人かは先生に尋ねたらしい。
父は忘れ物の常習犯で、たとえメモしようが頭に深く刻もうと誓おうが、抜けが生まれてしまう筋金入り。下手に持ち帰れば、ハチマキもその仲間入りをして、お小言のタネになりかねない。
そんな思惑を秘めた提案は、無情にも却下される。しかもハチマキはひとり3本支給され、たとえ一本を洗っても、翌日に別のハチマキを用意して使えるような環境を整えてくれていたんだ。
増していく疑念を抱く父に、近所に住まう同じ学年の友達が教えてくれたのが、「捧げのおはち」の話だったんだ。
それによると、この学校ではおよそ20年前の開校直後に一度だけ、運動会中に消息が知れなくなった生徒がいるとのことだった。
もとより身体能力が高く、くわえて非常に練習熱心な子であり、本番の個人種目では活躍間違いなしと目されていた。
この時期は今とは違い、一週間前にハチマキが配られていたのだけど、その子のハチマキだけが妙だったらしい。
白組になった彼のハチマキは、汗がにじんだにしても、練習時間のあとには青黒く濡れそぼっていたんだ。
色落ちじゃない。頭が汚れていたわけでもない。
けれども、毎度のようにハチマキを汚してしまう彼は、運動会で大活躍したあと、学校を後にしてよりのち、家に戻らないまま行方が分からなくなってしまったのだとか。
「それ以来、この学校では早めにハチマキが複数本配られ、毎回使うことをすすめられる。先生方ははっきり口にしないが、20年前と同じような兆候を早めに読み取ろうとしているんじゃないかな。
とはいえ、20年前に一度きりのできごと。「あつものにこりて、なんとやら」の気もしないでもないけれど」
お兄さんは、そう話を締めくくってくれたのだとか。
父はもとより、体力はあった。
自分の手足で道具を使う競技はあまり得意じゃないが、跳んだり走ったりといった、基礎的な力が試されるものなら、学年屈指だった。
だからこそ、集団競技だと他人のミスに腹が立ってしまう。
大縄跳びのとき、ムカデ競争のとき、対抗リレーを行うとき……。
本来なら、もっと良い記録が出せるだろうに、それがむざむざヒューマンエラーによって、ふいにされる。そしてそれは、自分のあり余るマンパワーでカバーできないときた。
――なら、俺が個人競技で埋められる穴を埋めていく。
父は特に、個人の徒競走に力を入れた。これもまた得点競技でひとりあたりの点は微々たるものだが、効果の最大化は狙える。
その日はすこぶる調子がよく、二位にかなり差をつけてのゴールだったが、ふとたらりと垂れる汗を感じて、ハチマキを取ったとたんに父はぎょっとした。
白一色だったハチマキの裏側。自分の額へあてがっていた部分が、青黒くにじんでいたんだ。
思わず、手でペタペタと額を触ってみるも、塗料のたぐいや、垢がうまいこと潰れているとか、そのようなことはない。
試しにハチマキを水にくぐらせ、石けんでこすってみると、みるみる内に色落ちしていくが、父はあえて止める。証拠がなくなってしまう気がしたからだ。
すぐ先生にハチマキを見せて、相談する。
当時を知る先生がいないこともあって、いざ父の申し出があったとき、戸惑いの色が見られたらしい。20年前に一度、事故にも見えて風化しかけていた迷信が、姿を見せ始めたんだからね
一番の対策として、父が運動会に出ないことが挙げられた。けれど、父の母にあたる祖母は非常にこの行事を楽しみにしていたこともあって、迷信じみた怪談を根拠に、納得してくれるとは考え難かったとか。
次善策として、運動会の前後で父の動向を先生方が見張ることになったらしい。
登校班を実施し、下校の際も父の帰る道にも先生方が立つ。外出も控えるようにいわれ、在宅確認の連絡もすることが決まる。
遊びたい盛りの子供に、なんとも窮屈なことだが、お兄さんから話を聞いていた父親は、この条件を呑んだらしいんだ。
父の身体能力は、当日に向けてしり上がりに高まっていく。
走りもスタミナも、これまで以上に余裕が生まれた。そして自分があからさまに手を抜こうとしても、手足が勝手に動くような感覚を覚えることさえ、何度もあったという。
怖さを覚え始めた父は、運動会が始まる数日前から、いかにも体調が悪い素振りを見せ、当日にも仮病を使って休ませてもらおうとしたらしい。
が、体温計で問題なしとはからされるや、昔かたぎの祖母に引っ張られる形で学校へ連れていかれてしまう。そのまま祖母は学校にとどまり、逃げ出すこともままならなくなってしまった。
やむを得ず、父は運動会に参加する。
さりげなくケガしたり、具合の悪いフリをしたりして、何度か逃げ出そうと試みたけれど、いったんトラック外へ置かれた各クラスのイス、その中の自分の席へ腰をいったん下ろしてしまうと、それもできなくなってしまう。
よこしまな考えを抱き、それを実行に移そうとすると、足も口も望んだように動かなくなってしまったのだとか。ただ競技に関するもののみは、よどみなく行うことができる。
ハチマキをとってみると、すでに白いハチマキの裏は、うっすらと青がにじんでいたのだとか。
徒競走は午後2番目のカリキュラム。
100メートル先のゴールラインを前に、父はすでにスタンディングスタートの構え。もちろん、父本人が望んではいない。
号砲と共に、足が勝手に出た。そして快調に飛ばしてしまう。
周囲に人やテントがあるせいで、自分の加速度がなお身にしみる。これまでで最上のできだ。今までで一番強く、脳が拒んでいるというのに。
――連れ去られたくない……!
そう心で叫びながら、ゴールラインを切る数メートル手前。
視界の端で、ぐっと父を追い抜き、前へ出る姿。
あの捧げのおはちの話をしてくれた子だ。これまで一緒に走って、一度だって自分を追い抜いたことがない、その子が自分を超えていく。
そして笑った。こちらを振り返って、にんまりと。その次にはもう、父よりわずか先で、白いゴールテープが切られていたんだ。
自分の見たものが、にわかに信じられない父の前で、息をはずませる例の子。その足元へぽたぽたと垂れ、小さな水たまりを作るものがある。
液体は青黒さを浮かべていた。
父が顔をあげると、彼の真っ赤なハチマキの一部。額にあてがったところは、そうと分かるほど濃く黒ずんでいたんだ。
運動会中、彼はそのことについて、父と口を聞こうとしなかった。
それからは父の思考を手足が聞かないということもなくなったらしい。
あらかじめ約されていた通り、父の登下校、在宅確認は一カ月あまり続けられるも、父に関しては何事もなかった。
だが、例の子については別。運動会の数日後から、彼は学校に来なくなり、やがて転校した旨が告げられる。彼の住まっていたアパートの一室は、すでに空室になっていたとのことなんだ。
彼が身代わりになってくれた。
当初はそう思った父だけど、ふと思い当って20年前の卒業アルバムを探ってみたようだ。
卒業した生徒の中にお目当ての写真はない。しかし、学年活動の写真を注意深く見ていったところ、彼にそっくりな顔立ちをした子が、何度か映り込んでいるのを確かめたらしい。
それ以来、父は彼が20年前より運動会を通じて、何かを探しているんじゃないかと踏んでいるのだとか。