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悪役令嬢は史上最高の遺書を書く

作者: とによ

 ――パチン!


 学園の大広場に響き渡る乾いた音。

 それと同時にざわざわと周りにいる生徒たちがざわめく。


 私は一瞬何をされたかわからなかった。

 ただ火傷のようにヒリヒリと頬に痛みが残っている。それだけが辛うじて理解出来た。


 そして、私の目の前にいる金髪の美男子と、彼にしなだれるように寄り添う美女。その後ろには、取り巻きの女生徒が数人。


 美男子は私に向かって振りきった手の平を戻すと、嫌悪に塗れた表情で私を見つめる。


「ハンナ・オスカリウス! 本日この時をもって、俺との婚約を破棄させてもらう!」


 その宣言の瞬間、広場はしん……と静まり返った。

 誰も彼もが口をあんぐりと開けて呆然としているような気がする。そんな困惑した雰囲気が充満していた。


 声の主はアーウィン・エディンガー。

 エディンガー侯爵家の次期当主であり、私の婚約者である。


 私と彼は幼なじみの関係でもあり、小さい頃から婚約を結んでいた。

 これは私の父オスカリウス子爵がエディンガー侯爵と仲が良く、親バカな2人が「親友の子供とならいいか」ということで、勝手に婚約を進めてしまったのである。

 

 そういう事もあり、私たちは別にお互いに恋愛感情を持っていたわけではない。

 しかし私個人としては、幼い頃からずっと親交のあった彼と結婚するのは別に嫌ではなかった。

 むしろ、どこぞの馬の骨ともわからない人と政略結婚するより、何倍もマシだと思っていたのだけれど……。


 私は唖然としながらも、どうにか口から声を絞り出すことに成功する。


「ま、待ってください! アーウィン様! いきなり何を言い出すのですか!?」

「黙れ! 気安く俺の名前を呼ぶな!」


 私が手を伸ばすと、アーウィンはそれを虫を叩くような勢いで叩き落とした。


「貴様は嫉妬に狂い、陰でローレアに沢山の虐めを行っていた! そんなやつと婚約するなんて真っ平御免だ!」


 ……はい?

 私が目の前にいる彼女――ローレア・シャローラ伯爵令嬢を虐めていた?

 ど、どういうことなの?

 むしろ、逆なんですが……。


 しかし、困惑する私に構わず、アーウィンは話を勝手に進めていく。


「この話は既に父上にも報告済みだ。まもなく正式な婚約破棄が通達されるだろう」

「ま、待ってください」

「なんだ? 何か言い訳でもしたいのか?」

「あの……なぜ私がローレア様を虐めていた事になってるんです? むしろ、私が虐められていたのですが……」


 私がそう事実を述べると、アーウィンは目を見開き、信じられないと言う表情に。


 それと同時に、彼の横にぴったりとくっついているローレアが、先程までの勝ち誇ったような顔から一変。

 まるで悲劇のヒロインのように、悲しそうに涙を浮かべて彼に泣きすがる。


「酷いっ! 私にあんなことやこんなことをしておいて、私に罪を擦り付けようとするなんて! なんて女なのっ!」

「え、ええっ?」


 ローレアに泣きつかれたアーウィンは、よしよしと彼女の頭を撫でた。

 撫でながら彼は私の方に鋭い刃物のような目線を送る。侮蔑の目だ。


「貴様……本当になんて女なんだ。彼女の心を傷つけ、弄んだ罪をあろうことか擦り付けようとするなんて。少しは罪の意識はないのか!?」

「いや、罪も何も私は虐めてませんが……」

「嘘をつくな! お前のやってきたことは、既に証言も取ってあるのだぞ!」


 アーウィンがそう言うと、後ろに控えていた女生徒が数人ほど前に出てくる。

 その人たちはローレアと一緒になって、私を虐めていたメンバーだった。

 その1人が口を開く。


「ハンナ様はローレア様を呼び出し、水をかけたりしていました」


 いや、それ私がされたことですが……。


「他にもローレア様から貴重品などを巻き上げていました」


 それも私がされていたことなんですが……。


 取り巻きのメンバーたちは、その後も様々な罪状もとい冤罪を私に擦り付けてきた。

 それに伴い、周りの生徒たちの私を見る視線も、徐々に好奇の目線から嫌悪に変わっていく。


 やられた。

 まさか虐めるだけに飽き足らず、私に罪を擦り付けてくるなんて……。

 勿論、こちらが虐められていた証拠なんてない。だからこうして多くの人の証言のみが証拠となってしまう。

 こちらは為す術がない。


 そして一通り証言が終わると、アーウィンが口を開いた。


「という事だ。はっきり言って君には失望した。よって、これをもって縁を切らせてもらう。さらばだ」


 そう吐き捨てて、アーウィンは私から背を向けて去っていこうとする。


「ま、待ってください! あなたの勉強はこれから誰が見るんです!? 失礼ですが、私がいないと成績も危ないんじゃないですか!?」


 実はアーウィンは魔法成績が良くない。

 というか頭がよくない。

 この王立の魔法学園において、それは致命的。

 彼の成績では下手したら留年だって有り得る。


 私はそれなりに上の方だったので、彼に魔法を教えることでなんとか彼を留年させないようにしていたのだが……。


 アーウィンは私の言葉を聞くと、見たこともないような不機嫌な顔で、私を睨みつける。


「君の助けは必要ない。もう俺1人でもやっていける。それに君よりローレアの方が成績がいい。いざとなれば彼女を頼ればいい」


 ローレアは学年首席をずっと維持している秀才だった。

 それを言われてしまうと、ついに私は何も言えなくなってしまった。


 私がなにも言えずに黙っている内に、アーウィンはその場から去っていく。

 それに後ろからついて行くローレアは、最後にこちらを振り向くと、べーっと舌を出して嘲笑いながら去っていった。


 こうして私の物語は最悪の形で始まったのだった。







 あの婚約破棄から数日。

 私はベッドの上に横になり、1人自分の部屋の中でため息を吐いていた。


 学園では今回の婚約破棄の話題がもちきりとなって、悪い意味で私は時の人となってしまった。


 婚約破棄が珍しいということもあるが、なによりその理由が良くない。

 あの秀才ローレア嬢に嫉妬して、虐めを働いていたというのはかなり印象が良くなかった。


 お陰で私は友人も失い、親からの信用も失い、得たものは『悪役令嬢』などと言う不名誉な称号(あだな)だけである。


 それもこれもあのアーウィン(バカ)があんな女の妄言を信じてしまったからだ。


 ローレアがアーウィンに恋をして、彼の婚約者である私に目をつけて虐めてきたというのが真実だというのに。


 アーウィンとローレアが懇意にしているという噂は私も聞いていたが、まさかここまで籠絡されているなんて……。


 不安になった私が、彼女との関係を問いただした時に言ってくれた「彼女とは何ともないよ。婚約者は君しかいない」という言葉は嘘だったのね。


 だとしたら、あの言葉を信じた私がバカみたいじゃない。

 彼に一瞬、胸をときめかせた私をぶん殴ってやりたい気分よ。


 彼と結婚することが、ローレアの虐めから耐える力となっていたことが恥ずかしい。

 まるで道化じゃないの。


 ああ、思いっきり泣いてしまいたい。

 しかし、もうその涙も出ないほどに泣いたし、なにより私の心が枯れ果ててしまっていた。


 ……もうダメだ。

 今の私にはもはや何も無い。


 学園を辞めたくてもそんなの両親が許してくれるはずがない。

 顔は見た事がないが、かの第3王子のように飛び級で卒業出来たら、また違っていたかもしれないが、あいにく私はそこまで成績がいい訳ではない。

 私に逃げ道はなかった。


 ああ……これ以上生きていて何かいい事があるのだろうか?

 これ以上耐え忍んでなんの意味があるのだろうか?


 そう考えた瞬間。

 私はある1つのことに思い至った。


「そうだ……。もう死のう」





 自殺を決めた私は、早速その日の夜に行動を移すことにした。


 しかし、あの女にやられっぱなしのままで死ぬのは(しゃく)にさわると思った私は、遺書を書くことにした。

 死ぬ前に後悔は残しておきたくなかったし、死んだ後でなにか爪痕を残しておきたかったのである。


 だから私は時間を掛けて、たっぷりとあの女への怨念を書き綴ったし、あの男への侮蔑の言葉を並べ立てた。

 そうして出来上がった遺書は、なんだか今の私の全ての恨みが詰まった呪いの魔法のようで。

 その出来に、私はうんうんと何度も頷く。


 渾身の出来じゃない。

 こんな最高の遺書を書いたのは私ぐらいでしょうね。


 よし。遺書も出来上がったし、早速自殺する場所に向かうとしましょう。


 場所は勿論、魔法学園。


 あそこなら大勢の人に見られるだろうし、インパクトがある。

 私が死んだ姿を大勢の目に焼き付けてやるのよ。


 私はこっそり屋敷から出ると、学園へと向かった。

 幸い私の屋敷と学園はそう遠く離れておらず、馬車などを使わなくても1時間で着いてしまう。


 そうして遺書とロープを握りしめながら、私は風の魔法を使いながら走っていった。

 こうすると強い追い風が発生して、走るのが楽になるのよね。


 そして学園に着いた私は、こっそりと門を乗り越えて中に入る。


 夜の学園は不気味で、非科学的な何かが出てきそうな気がするくらいだ。

 しかし、今の私にとってここは人生最後の晴れ舞台。

 ここで盛大に散ってやるのよ。


 さて……死ぬとしたらどこがいいのかしら。

 教室? 魔法館? 屋上?

 それともやっぱり人目につく大広場かし――


「なにしてるんだ?」

「ひゃ!?」


 突然、後ろから鋭い男の声が聞こえてきた。

 びくっと身体を震わせてしまった私は、思わず持っていた遺書を落としてしまう。


「ん? なんだこれは?」


 後ろを振り向くと、声の主がしゃがんで私の遺書を拾っているのを伺えた。


「ちょ! 返してください! って、きゃっ!?」


 取り返そうと手を伸ばすも、強い風の障壁が彼の周りを覆う。

 どうやら風の魔法を使ったようだ。


 次の瞬間ボッという音と共に、辺りが急に明るくなった。

 彼の周りに小さな炎が出ている。今度は炎の魔法を使ったらしい。


 どうやら私の遺書を読むつもりみたいだ。


 そして、私は闇の中から浮かび上がった彼の容姿に、思わず息を呑んでしまった。


 白金のような輝かしい銀髪。

 透き通った青空のような碧眼。

 そして鼻が高く、その精悍な顔立ちはまさにオペラ俳優に勝るとも劣らない。


 彼は白衣のようなローブを着ており、一目で同じ学園の関係者だということがわかる。

 私の通う学園では、先生及び研究者は皆その衣装を着ているからだ。


 こんな美しい先生は今まで見たことがないわ。

 ここまでずば抜けた容姿をしていたら、一目見たら流石に忘れないと思う。

 ということは研究者なのかしら。


 でも、こんな夜遅くまで仕事をしているなんてまさか予想外だったわ……。

 この時間なら大丈夫だと思ってたのに。

 なんて運がないんでしょう私は。


 なんて考えていると、彼はどうやら読み終わったみたいで、私に遺書を返してきた。


「なんだ、君はこれから死ぬのか?」


 どうやら遺書の内容から、私がこれからなにをするのかバレてしまったようだ。


 ああ……面倒くさいことになったわ。

 流石に自殺するなんてバレてしまったら、否が応でも止められるわよね。

 でも、今更嘘をついても、私はこれから死にますってバッチリ遺書に書いてしまっているし、誤魔化しようがないわ。

 どうしましょ……。

 いい言い訳が思いつかないわ……!


「黙っているということは、肯定ということでいいかな?」

「……」

「へぇー、やっぱりそうなんだね。ふーん……」

「……言っておきますけど、どんなに止められたって私は自殺するつもりですからね」


 私は俯いて、拳を握りしめる。

 もう誤魔化しようがないと悟った私は、開き直ることにした。


 どんなありがたい説教をくらったとしても、私は死ぬことを諦めたりしない。

 他人の言葉なんかで綺麗事をぶつけられたところで、それは絶対に響く気がしなかった。

 だって私の苦しみは私にしか分からないのだから。


 だからどんなに止められようと私は――



「ん? 別に止めないよ?」



 …………へ?


 私は彼の言葉に思わず顔を上げてしまう。


 目に飛び込んできたのは、彼の美しく爽やかな笑み。

 それはまるで新しいおもちゃを与えられた子供のような無邪気さを伴っていた。


「だってこんな面白いことわざわざ止めるはずがないじゃないか! 僕ちょっと興味があったんだよね。人が死ぬ瞬間って魂とか魔力とかどうなっちゃうんだろうって! だから君の自殺に立ち会ってもいいかな? いや、ダメって言われても立ち会うけどね! 勿論、死ぬ時は専用の魔法測定器具とか付けてもらうよ! あ、それともし論文を書くことがあれば、君の名前は伏せるから安心してね!」


 猛烈な早口で捲し立ててくる彼に、私は完全に引いてしまう。


 え、なにこの人。

 めちゃくちゃ怖いんですが。


 というか普通、自殺するなんて聞いたら止めるところでしょ……。

 それともなに? 私の命なんてただの実験材料としての価値しかないとでもいいたいのかしら。

 だとしたら、めちゃくちゃ(かん)に障るのですが。


「あの……これから人が死ぬっていうのに、止めようとしないんですか? 普通止めるでしょう」


 私がイラつきを隠さずにそう訊くと、彼は首を横にふる。

 

「別に死ぬのなんて人の勝手じゃないか。辛いことがあったから自殺するなんて当然の権利だろう? それに僕がいくらそれを止めようとしたって、君は死ぬことを選ぶんじゃないか? だとしたら、僕が止めようとしてもそれはなんの意味もない事だ」


 彼はあっけらかんとした口調でそう答えた。


 なんというか理解が良すぎる。

 良すぎるというか、人の生死に対して淡白すぎるでしょ。


 もっと、こう……なんていうか……。

 もうちょっと引き止めてほしかった感は拭えない。


「あ、でもこの遺書はいただけないかも」

「え?」

「なんか君は虐められていたみたいだけど、この遺書の内容じゃ誰も君が虐められていたことを周りに信用させるには足らないと思う。内容が主観的だし、なにより感情的過ぎてイマイチ伝わってこない。もっと客観的な視点を持って書いた方がいいよ」


 そう言われて私はショックを受けた。

 え……この遺書じゃダメなの……?

 自分としては最高の遺書だと思ったのに……。


「というかなんで君は遺書なんか書いたんだい? 別に死ぬなら勝手に死ねばいいじゃないか」

「か、勝手に死ねばいいって……。流石にもうちょっと歯に衣着せて喋りませんか?」

「ああ、ごめんよ。別に悪気があって言ってる訳じゃないんだ。ただ純粋に疑問に思ってね」

「……そうですか」


 なんだかここまでの彼の言動を見るに、確かに悪気があって言ってるわけではなさそうだ。

 単にこの人の頭のネジがぶっとんでいるというだけの可能性が高い気がする。


 私ははぁ……とため息をついた。


「別に大した理由ではないのです。ただ死ぬ前に爪痕を残しておきたかっただけなんですよ。真実を知ってほしかったし、悲しんでほしかったし、一生忘れられないようにしてやりたかったんです」


 私は思わず本音を吐き出してしまう。


 ……私ったら初対面の人になにを言ってるんでしょう。恥ずかしい。

 まあ、これから死ぬつもりだし、別にいいですけど……。


 なんて考えていると、私の言葉を聞いた彼はふむふむと興味深そうに頷いていた。


「じゃあ、これはダメだね。書き直しじゃないかな?」

「……そうですか」

「あ、そうそう。爪痕を残したいって話だけど、君は何か結果を残したことはあるかい?」

「結果……ですか?」

「うん、結果。例えば、魔法学会で賞を取ったことがあるとか、政治関係でなにか功績を残したことがあるとか」

「はいぃ!? そっ、そんなの学生の身分でとったことあるわけないじゃないですか!」

「ふーん。じゃあ、君が死んでも爪痕は残せないね。君が死んでも精々1週間ほど話の種になるだけじゃないかな」

「そ、そこまでハッキリいいます……!? あんまりじゃないですか……!?」

「だって事実だと思うよ。何の変哲もない令嬢が1人自殺したところで、記憶にも記録にも残らないよ。身内が覚えてるのと、墓石に名前が刻まれる程度だね」

「……」

「あのね。分かってないかもしれないけど、遺書っていうのは内容云々より、誰が死んだかっていうのが重要なんだ。偉人が死ねば多くの人に悲しまれ、そして歴史に名が刻まれるのと同じようにね」


 グサリと私の胸に突き刺さる言葉のナイフ。

 痛い。なんだか妙に説得力のある言葉のせいで、私の心はもう傷だらけになっていた。


 確かによくよく考えればその通りなんでしょうね。

 私みたいな子爵令嬢1人死んだところで。ましてや今や学園で嫌われ者扱いされている悪役令嬢1人が死んだところで。

 一体、誰に爪痕が残るというのでしょう。

 さっきまでは死んでやるんだという謎の高揚感で、気がつかなかったのだけれど……。


 じゃあ、私には死ぬことですら、なにも残せないというのかしら。

 そんなの残酷すぎじゃない?

 この命ひとつ投げ出してまで、残そうとした爪痕がただの傷跡になって、かさぶたに変わって、そして何事もなかったかのように治るなんて……。


 そんな事実受け止めきれない。


「じゃあ……私は一体どうすればいいんですか……。どうすれば爪痕が残せるっていうんですか……」


 それは彼に問いかけたわけではない。

 ただポツリと零してしまった弱音。


 しかし、それはしっかりと彼の耳に届いていたようで。


「うーん……そうだね。一つだけ方法があるよ。君の遺書が爪痕を残せるような最高のものにできる方法が」

「えっ……。な、なんですかそれは?」

「僕の研究を手伝うことさ!」

「……はい?」


 耳を疑った私を差し置いて、彼は両腕を大きく広げ、目をキラキラ輝かせてこう言う。


「僕と一緒にレイモンド賞をとって、歴史に名を刻むんだ!」

「え、えええええぇっ!?」







 レイモンド賞とは、魔法学会において最も権威のある世界的な賞の1つである。

 魔法学の奇才とも言われているレイモンド・ブロンドの遺言に従っておよそ100年前から始まったものらしい。

 例えば、人類の生活を豊かにする魔法の開発に成功したとか、魔法学の進歩に貢献したなどといった偉大な功績を残したものに与えられる。

 これまで数多くの偉人たちがこの賞を受賞しており、教科書にも載っているくらいなのだ。

 この賞を受賞したものは多額の賞金を得るだけではなく、世界中に名を広め、歴史に名を刻むことになる。

 だから、彼はレイモンド賞をとることで結果を残し、そして自殺することで爪痕を残そうということを提案してきたのだ。


 そして、私はそれに乗っかることにした。

 本当にレイモンド賞をとれるかはわからないが、このまま単に死んでしまうくらいなら、やれる事はやってみたかった。

 失敗したら、その時にまた色々考えてみればいい。


 そして、肝心の彼の研究内容なのだが――


「映像記憶魔法?」


 彼の研究室だという紙の資料が散乱している部屋の中で、私たちは対面していた。


 「なんですかそれ?」と私が最もな疑問を吐くと、彼は目を輝かせて迫ってくる。


「ふふん。これはね、現実世界の映像を魔力で切り取って、それを記録として残しておくことが出来る魔法なんだ!」


 私はその美しい美貌が眼前まで近づいてきたことで、思わず頬が熱くなるのを感じた。

 うう……変人だけど本当に顔はいいのよねこの人……。


「それだけじゃないぞ! 僕は映像を記録するだけではない! これを記録した映像を皆が見られるように映し出すようにしたいんだ!」


 そういって熱く語る彼はどこか騎士に憧れる少年のようで、少し可愛いと感じるくらいまっすぐだった。


「な、なるほど。つまり記録した過去の映像を魔法で再現することが出来るようにしたいってことですね」

「その通り! 理解が早くてよろしい」

「でも、この魔法がどんな生活の役に立つんでしょうか? 私にはいまいちピンとこないのですが……」

「ふふん。そんなの色々なことに使えるさ。例えば、大切な人との思い出を記録したいとか、会議の様子を記録するとか、伝言をより正確に伝えられるとか……」

「ああ、そういう使い方が出来るんですね。確かに使えそう……」


 私は素直に感心する。

 天才とは知識だけではなく、発想力も段違いなんだなと実感した。

 確かに過去の記録を保存できて、いつでも誰にでも共有できるとしたら、これほど便利なことはないのかもしれない。

 レイモンド賞をとろうとする気概は、ただの蛮勇ではなさそうだ。


「大体研究内容はわかりました。ちなみにその研究はどこまで進んでいるんですか?」

「あー、まあ映像を記録するところまでは進んでいるんだが……、それを如何に出力するかまでは進んでいないんだよ」


 彼はたはは……と気まずそうに鼻の頭をかく。


 なるほど……おおよそ半分くらいまでは進んでいるってことね。

 全くの手付かずということじゃなくて安心したわ。

 流石に一からとなると、いつまで手伝えばいいか見当もつきませんもの。


「わかりました。ところで私は何を手伝えばいいのですか? 言っておきますけど、私は単なる学生の身分ですから、大したことは出来ませんからね」


 私がそう訊くと、彼はあごに手をやってうーんと考える仕草をとる。


「そうだねえ……。まあ、一緒に文献を漁ってもらったり、実験の時魔力を分けてくれたりするだけでも助かるかな」

「……それだけですか?」

「うん。君が何を出来るかわからないし、徐々に仕事は増やしていけばいいかな。ああ、それと何かいいアイデアがあったら、それも共有させてくれ。僕1人だと、考えが凝り固まっちゃうかもしれないからね」

「はい、わかりました」

「じゃあ、これからよろしくね。えーっと……」

「ハンナと申します」

「僕はアレックス。ハンナ、よろしくね」


 そこで私たちはがっしりと握手をした。

 炎の魔法を使ったあとなのか、それとも彼の情熱のせいかわからないが、アレックスの手は熱を孕んでいた。

 その熱さに反応して、私の心にも火がメラメラと燃えたぎってくる。


 さあ、どうなるかわかりませんけど、死後の名誉のためにやれることはやるわよ……!







 その日から私の奇妙な生活が始まった。

 昼は学園で授業を受けつつ、夜はアレックスの研究を手伝う。そんな日々。


 凄く大変で、目まぐるしい日々だが、これはこれで余計なことを考えなくてすむ。

 周りのどんな優秀な人たちよりも先に本格的な研究に携わっているという優越感から、私の中からネガティブな思考は無くなっていた。

 むしろ、私のこれからの成すべき偉業のことを考えたら、周りの冷ややかな目線を送っている奴らのことなんて気にならない。

 まあ、取らぬ狸の皮算用ではあるが。


 休み時間や授業の中で、ずっと映像記憶魔法のための文献を読んだり、分析したりして、その結果を彼と共有しあった。

 これから死ぬつもりなのに、授業なんて真面目に受けても仕方ないもの。

 周りからはガリ勉悪役令嬢とか言われて、馬鹿にされていたがどうでもよかった。

 

 それにこの研究をしている人が彼1人だけということもあり、人手不足から私も全力で頑張らないと今年の学会に間に合わない可能性がある。

 それだけは避けたかった。


 とはいえ、最初は分からないことばかり。

 文献や彼の言っていることが理解出来ず、あたふたすることもあった。

 しかし、彼の足でまといになりたくなかった私は、図書館などで専門書を読み漁り、勉強することで彼の研究に追いつこうと努力する。

 すると色々調べていくにつれ、この研究の面白さや素晴らしさも分かってきて、どんどん研究にのめり込んでいった。


 私はこの期間中、大変ではあったが、苦しいと思うことはなかった。

 おそらくこれまでの私の人生が虚無だったからに違いない。

 これまで何も考えず、ただただ平凡な学生生活を送ってきた地味な子爵令嬢。

 卒業後は婚約者と結婚し、世継ぎを産んで、育てて、そして死んでいく。

 そんな決められたレールの上を歩くだけのつまらない人生。


 それに比べて今の生活はなんて刺激的なんでしょう!

 こんなに楽しいと思ったことはないわ。

 これまでただ何となく生きてきた人生に、1つの大きな目標が出来るってことが、こんなにも人生に彩りを添えてくれるなんて。


 この彩りは死ぬことを決めた故の開き直りからかもしれない。

 でも、今は精一杯この素晴らしい生活を噛み締めておきたかった。


 そして、彼――アレックスのこと。

 彼と一緒にいて色々とわかったことがある。


 本当に優秀で頭がいいということ。

 意外に情熱家で、優しいところもあるということ。

 そして、凄く魔法を愛していること。


 あ、それと頭のネジも外れていることも付け加えておきましょう。ふふふ。


 この前なんて自分で自分のことを人体実験しようとしていて、思わず止めに入ったりしたもの。びっくりしたわ。


 でも、こんな奇天烈で一生懸命な人、これまで見たことがなかった。


 だから私は研究だけではなく、どんどん彼のことに対しても関心を寄せるようになったし、信頼も置くようにもなる。


 そして、月日を重ねるうちに彼の色々な顔を見ることが出来た。


 彼の笑顔。困った顔。思い詰めた顔。喜んだ顔。悲しんだ顔。心配してくれる顔。信頼を置いてくれた顔。


 その全部が私の脳裏に刻み着いて離れない。

 ああ……多分、死ぬ時は彼の顔が走馬灯で思い出されるんだろうな……。

 そう思うと死ぬのもなんだか悪い気がしなくなってくるから不思議である。


 なんだか変な情が移ってしまった私は、彼の食生活にもサポートを入れることにした。


 だって、アレックスったら薬草ばかり食べていて、全然まともな食事を摂らないんだもの。

 心配にもなるってものでしょう。


 そうして、彼に手料理を振る舞うと、彼はとびっきりの笑顔で「美味しい!」と言ってくれた。

 その眩しいばかりの笑顔を見て、私は思わずときめいてしまいそうになる。

 本当にこの人の顔はずるい……。


 しかし、彼はその笑顔から一変。

 目を伏せ、僅かに寂しそうな顔をしながら、ほぅ……と息を吐く。


「本当に美味しいよ。母の味みたいだ。懐かしいな……」


 そうぼそりと呟く彼にはいつもの覇気がなかった。

 どうしたのでしょう。ホームシックにでもなったのでしょうか。


「そういえば以前、学園に住み込みで研究してるって言ってましたよね? 家には帰らないんですか?」

「……帰りたくないんだ。僕と家族は仲が良くなくてね」

「そうなんですか」


 おっとまずい。これは地雷を踏んでしまったか……。

 なんとなく次の言葉が思いつかず黙ってしまっていると、アレックスはぽつりぽつりと話し始めた。


「僕が今やっていることって、家族から余り応援されてなくてね。別に戦闘で使える訳でもない、生活の質をあげる訳でもない。そんなものにかまけているくらいなら、家業に従事しなさいって言われてるんだ」


 そう遠い目をしながら語るアレックス。

 しかし、彼は「でもね」と拳を握りしめる。


「僕はそんな敷かれたレールの上を歩くようなことはしたくないんだ。自分の道を思いっきり自由に走りきりたい。でも、親はそう思っていないんだ。ただの子供の反抗期としか思ってない。いや、親だけじゃない。この学園の人たちも、友人も、兄も、弟も。全員僕の研究を指さしてバカにしているんだ」

「……」

「あんな研究は無駄だ。完成する訳がない。理解できない。なんの役に立つのか。そんな言葉ばかりさ。流石の僕も不安になるんだ。もしこのまま何も成し遂げられずに、爪痕を残せずに終わったら僕の今やっていることは無駄になるんじゃないかって……」


 それは初めて聞いた彼の弱音だった。

 この頭のネジの外れた天才でも、そうやって人並みの悩みがあるんだ、となんだか妙な親近感が湧いてくる。

 アレックスも私と同じく、何か爪痕を残そうとしているんだ、と。


 それと同時に私はイラつきを覚えた。

 この研究が無駄? 完成する訳がない?

 そんなのやってみなけりゃわからないでしょう!


 私は自然と拳に力が入った。


「あっと、すまないね。つまらない話をしてしまって。ささっ、早く研究に戻ろうか」

「……りえません」

「え?」

「ありえません! あなたがやっていることがどれだけ素晴らしいことか! 凄いことなのかを分かってないんですその人たちは!」


 爆発した感情は元に戻らない。

 私は気がつけば食らいつくように彼に迫っていた。


「この研究は本当にレイモンド賞を取れるかもしれないんです! それを何の役に立つのか? アホですか!? これほど完成したら、役に立つものをなんで分からないんでしょう! アレックス様、そんな奴らの戯言なんか聞かなくていいです! あなたはそのまんま一直線で走り抜けるべきです! アレックス様の情熱はここで失われていいはずがないんです!」

「わ、わかった……、わかったから。と、とりあえず、離れてくれないかな?」


 そこではっと気づく。

 いつの間にかアレックスと私の顔が至近距離にあることに。


 私は思わず恥ずかしくなって、頬を熱くさせる。

 私ったらつい……。


「……はしたない所をお見せしてしまって、申し訳ありません」

「い、いや、別に謝ることじゃないよ。気にしなくていい……綺麗だったし」


 ほんのり顔を赤く上気させたアレックスがそう言う。


 私はその言葉を聞いて固まってしまった。

 え、綺麗って私のこと? 

 まさかそんなはずはない。


 ……いや、どう考えても私のことだ。

 私のことでしかない。


 嘘。こんな地味顔の私が綺麗?

 アレックス様って好みも変わってますのね。

 う、嬉しいですけど。


 彼の言葉に、私は更に顔が熱くなるのを感じた。


 そして、沈黙が辺りを包み込む。

 時計のチクタクという音だけが、この場を支配していた。

 気まずい。言葉を探しても、頭が整理出来てなくて上手く言葉が出てこない。


 そうして黙っていると、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 不意に彼が口を開いた。


「ありがとう。私の研究をそう言ってくれたのは、君が初めてだよ」


 優しく、ほっとしたかのような顔で彼はそう微笑む。

 目に毒だと思った私は思わずそっぽを向いて、彼の笑顔から逃れる。


「……別にお礼を言われることじゃありませんわ。事実を言ったまでですもの」

「なら、なおさら嬉しいよ。なんだか君の言葉を聞くと、素直にそう思える。勇気づけられる。……本当にありがとう」


 そう言って頭を下げてくるアレックス。

 なんだろう。凄くむず痒い。

 お礼なんて言われたのはいつぶりだろうか。

 それも彼から言われると、不思議と私も高揚感が募ってくる。


 どうしましょう。私も嬉しい。

 彼から初めて言われた感謝の言葉に舞い上がってしまいそうだった。


「そ、それならいいんです。そんな事よりさっさと研究に戻りましょう! 学会まで時間がないんですから! ほらほら!」


 だから私は感情をグッと抑えて、誤魔化す。

 この気持ちは死ぬ前に邪魔になるだけだから。

 そうしないと後戻り出来ない方へと進んでしまいそうで、怖かったから。


 アレックスは私の言葉に、ふふっと可笑しそうに笑うと「そうだね。戻ろうか」と言った。


 ……私ったらなんて軟弱者なんでしょう。

 死ぬと決めたのに。

 そう決めてやっているはずなのに。

 彼の笑顔に振り回されてしまうなんて。


 それもこれも彼がイケメンすぎるのがいけないんだわ。色々と厄介な設定を作った神を呪おう。

 そしてあの世で散々文句を言ってやるんだ。


 そう決心して、私は研究に戻った。


 史上最高の遺書を完成させるために。

 この世に大きな爪痕を残せるように。






 そうして研究を続けること半年が経った。

 学会まであと少しと言う時に、学園で期末試験が行われた。


 正直、そんなもの受けてる暇があったら、研究に費やしたいのだが、赤点を取ってしまったら余計に時間を無駄にする。


 なので私はとりあえず試験を受けることにしたのだが、なんとそこで私は1位を取ってしまった。

 いつの間にか彼に追いつこうとしているうちに、私はとんでもない速度で成長していたらしい。


 しかし、ここで問題が発生した。


「このっ! ガリ勉悪役令嬢の分際で! 私から1位を奪い取るなんて生意気よ!」


 いじめの主犯、ローレアが私に向かって水の魔法をぶつけてくる。

 周りの女生徒たちも私に向かって様々な魔法を使って、攻撃してきた。


 あの婚約破棄以来、邪魔者がいなくなったためかいじめはぱったり止んでいたのだが、またこうしてイジメを受けている。


 その理由は明白。

 これまで学年1位をひた走ってきた彼女の邪魔をしてしまったからだ。

 それが彼女の逆鱗に触れ、今日いきなり人目のつかないところで襲われたのである。


 私は魔法を使って彼女たちの攻撃を防いでいるが、そんなに長くは持たない。

 魔法の攻撃をこんなに一斉に食らうとなると、流石に無事ではすまない。

 こんなところで怪我なんてしたら、研究に遅れてしまう。


 誰か……助けて……!


 そう願った時。

 突然、上空から沢山の鷹がローレアたちを襲ってきた。

 

「きゃっ!? な、なになに!?」

「いたっ!? こ、このっ! これでも食らえ!」


 10羽以上はいるだろうか。

 そんな沢山の鷹から攻撃を受けている彼女たちは魔法で反撃を始める。

 しかし、


「え!? な、なんでこの鳥たち魔法が効かないの!? 痛い痛い!」


 彼女たちの攻撃が鷹に直撃しても、何故か魔法は掻き消されてしまっていた。


 堪らずローレアたちはその場から逃げていく。

 不思議なことに鷹たちは深追いはしなかった。

 まるで誰かに操られているかのように。


「いやあ〜、良かった良かった。なんとか撃退できたみたいだね」


 後ろから聞こえてきた聞き慣れた男性の声。

 アレックスの声だ。


「もしかして、さっきの鷹はあなたの仕業ですか?」

「うん、そうだよ。偶然、君が虐められているのを見てね。流石に見て見ぬふりは出来なかったからさ」


 そう言って肩をすくめるアレックス。

 なるほど。

 彼が鷹を魔法で操ったなら、先程の不思議な現象にも説明がつく。

 おそらく鷹に魔法障壁の呪文をかけることで、ローレアたちの攻撃を無力化していたのだろう。


 そうと分かった私は深くお辞儀をする。


「ありがとうございます。お陰で助かりました」

「別にそんなに畏まらなくていいよ。君と僕の間柄だろ?」


 そう言ってアレックスはいつもの優しげに微笑んでくれた。

 うっ……、その笑顔を見せられるとどうも私は弱い。

 思わず顔や胸が熱くなるのを感じてしまうし、そんなことを考えてしまう自分に焦りがあった。

 私はこれから死のうとしている身分だ。

 そんな時に後悔する要因となるものは排除したい。

 だから私は「そうですね」と敢えて素っ気ない態度になる。浮かれてしまわないように。


 その後も私はローレアから様々な嫌がらせを受けたが、その度にアレックスが現れて私を助けてくれた。


 まるで救世主のように。

 白馬に乗った王子様のように。


 颯爽と私を助けてくれるその姿に、私は自然と彼に惹かれてしまっているのを自覚してしまった。


 まあ、彼の突拍子もない行動にだけは、流石に惹かれはしないけど……。(この前なんて、いきなり「月で映像を撮るぞ!」とか言い出して、ワープ魔法の研究も並行してやり始めたから、慌てて止めたりした)


 しかし、そんな思いは一瞬だけ。

 私たちは研究に追われて、とてもじゃないけど余計なことを考えている暇はなくなる。

 もう研究は佳境に入っていて、既に魔法自体は完成していた。

 

 そして、彼と出会い10ヶ月が経ち、ついに学会に私たちが作り上げた魔法を発表した。


 結論から言おう。

 私たちの研究は……なんと本当にレイモンド賞を受賞してしまった。


 次の日には私たちは一躍学園――いや、世界中の時の人に。

 学園では盛大にセレモニーが開かれ、全校生徒の前で私たちは祝福された。


 ああ……、私を馬鹿にしてた人たちのあの人たちの顔といったら傑作ね。

 ぽかんと口を開けて呆然としていたわ。

 あんな間抜けな顔、今後の人生で見ることはないでしょう。

 研究者志望だったローレアなんて、とてつもなく悔しがってたわね。ふふふ。


 そして、いつものように私とアレックスは、夜の誰もいない学園に集まっていた。


 別に祝杯をあげる訳でもない。

 これから2人だけの人生の送別会を行うのだ。


「さて……ハンナ。あれはちゃんと持ってきたかい?」

「はい。勿論です」


 そう言っては私は手に持っている紙をアレックスに渡す。

 彼はそれを読みながら、ふむふむと頷いた。


「……うん。わかりやすい。これなら誰が見ても、君が何をされたのかわかるね。それに君にはレイモンド賞という爪痕を残したこともある。最高の遺書になってると思うよ」


 その言葉に私はほっと胸を撫で下ろす。

 安心した。彼が言うならきっと史上最高の遺書に出来上がっているに違いない。


「それじゃ……早速、自殺に取り掛かろうか」

「はい」


 そうして私は学園の大広場の真ん中に用意した椅子に座る。

 これから行う自殺の方法は、アレックスに安楽死の魔法を掛けてもらうことだ。


 流石に苦しみに苛まれながら死ぬのは嫌だった私は、彼の提案でそうすることにしたのである。


 ここで楽に死んで、そして次の朝に私は大広場で見つかって、大騒ぎになるって算段だ。


 アレックスは椅子に座った私を見て、少し寂しそうな顔をする。


「それじゃ魔法をかけるけど……、最後に言い残したいことはあるかい?」

「……特にないですわ。別に後悔なんてありませんもの」


 これは本音だ。

 別に私はこの彼の研究を手伝って爪痕さえ残せればいいと思っていた。

 それも達成し、最後にこれまでの平凡な人生において最高の輝きを世界に残せたことになんの後悔があるだろうか。


 私はやりきった。

 だからもう楽になりたい。

 楽しいと思った時はあった。

 正直、死ななくてもいいんじゃないかと思う時もあった。


 でも、実際研究が終わってしまうと、私は燃え尽きたようにぽっかりと心に穴が空いてしまったのである。

 だったらここで死んでしまうことで歴史に名を刻めるなら。

 私をいじめたヤツらに後悔をさせることが出来るなら。

 ここで人生に幕を下ろしてもいいんじゃないかって、素直にそう思ってしまったのだ。


 これは普通の人には理解されない感情だっていうのは、十分理解している。

 でも、私はもう燃え尽きて灰になったの。

 灰は片付けられて、土に埋められて処分されるべきなのよ。


 もう後悔はない。


 私の強い覚悟を感じとれたのか、アレックスはこくりと頷いて手を私の頭に置く。


「わかった。それじゃ、今から安楽死の魔法をかけるよ」

「はい。いつでもどうぞ」

「……うん。じゃあ、いくよ」


 そう言ってアレックスは深く深く深呼吸した。

 そして、頭に襲いかかってくる衝撃。

 それと同時に急に強烈な睡魔が私に襲いかかってきた。

 薄れゆく意識の中で、私はぼんやりと考える。


 ああ……、そういえば一つだけ嘘をついていたわ。

 私……後悔がないって言ってたけど、そんなことはないの。


 私の唯一の心残りはアレックス……あなたのことよ。

 もう誤魔化しようがないくらいに、私はあなたに惹かれてしまっていた。


 あなたの愚直なまでの真っ直ぐさ。

 あなたの他に類を見ない一生懸命さ。

 あなたの太陽のような温かい笑顔。


 そのどれもが私を強く惹きつけてやまなかった。

 この気持ちを押し殺して死んでいくことだけが心残りかもしれない。


 でも、私はこの気持ちを伝える勇気は出なかった。

 なぜなら彼は研究馬鹿だから。

 彼と過ごしたこの10ヶ月間、彼は他の人間に本当に興味がないようだった。


 そんな彼に対して私が愛を叫んだとしても。

 それは彼を困惑させてしまうだけだろう。


 でも、そうね……どうせなら最後にちょっとだけ意地悪してやろうかしら。

 いつもネジが外れた言動に振り回されてきたお返しね。


 ――愛しています。


 私はそう口を動かした。

 ちゃんと言葉になっていたかわからない。

 もしかしたらキチンと伝わってないかもしれない。


 しかし、それでも……私は最期に言って……やったんだ……。

 ああ……これで……、ようやく……休める……。


 そうして私の意識はプツンと糸が途切れるように切れたのだった。






「……きて。ハン……きて」


 声が聞こえる。

 なんだろう。優しい声だ。

 聞き覚えのある声。


「起きて。ハンナ、起きて」


 私はその声の主が誰かと理解した瞬間、目が覚めた。

 アレックスだ。アレックスの声だ。


 目を開けると、そこには大勢の生徒たちが私たちを囲んでいた。

 生徒たちは私のことをいつもとは違う目で見ていた。

 嫌悪の目線ではない。好奇の目線に戻っている。


 そして、目の前にはなんだか怯えたような顔をしたローレアと、元婚約者のアーウィンが正座をしていた。


「ようやく起きたね。おはよう。気分はどうかな?」


 アレックスはそう言っていつもの優しい笑顔で私を見つめてくる。


 え……なんで私生きてるの……?

 死んだはずじゃ……ど、どうして?


 混乱する私をよそに、アレックスは前にいるローレアとアーウィンを睨むように表情を一変させる。

 それはこれまでに見た事のないような憤怒の表情だった。


「アーウィン・エディンガー! ローレア・シャローラ! お前たちは罪のない子爵令嬢をいじめ、事もあろうか勝手に理不尽な婚約破棄まで行った! その罪、この第3王子アレキサンダー・ユースティティアが王族の権限で裁かせてもらう!」


 アレックスはそういってバッと右手を前に突き出す。

 その鋭い声色、仕草にひっ……! と怖気づく目の前の2人。


 なんだろう。なんだかこういうアレックスも凄くカッコよくて素敵だわ。


 ……じゃなくて、そんなことより。

 先程、アレックスが言った言葉になにやら信じられない言葉があったような……。


 えーっと、確か第3王子って言ってた……ん? 王子……?


 え、アレックスが王子!? ど、どういう事!?

 た、確かにアレックスはアレキサンダーの愛称だけど……、まさか王子の名前だなんて……!?


 え、それとも盛大な嘘なの? 違うの?

 ダメだ。全然、思考が働かない。

 現状が把握出来ないわ。


 混乱する私をよそに、目の前にいる2人は焦ったように声を上げる。


「ま、待ってください! その女はローレアを虐めていたんです! その罪をただ彼女に擦り付けているだけなんです!」

「そ、そうよ! 証言だってあるのよ! 王子はその女に騙されています!」

「ほう……、それはこれを見ても言えるかな?」


 彼はパチンと指を鳴らした。

 すると、ブォンという音と共にとある映像が大きく映し出された。


 これは……私たちが研究していた映像記憶魔法だ……。


 そして、そこにはローレアとその取り巻きたちが、私を囲んで魔法で攻撃している映像が映し出されていた。


『このっ! ガリ勉悪役令嬢の分際で! 私から1位を奪い取るなんて生意気よ!』


 明らかにこの映像は私を虐めている映像である。これは誰の目から見ても明らかだ。

 い、いつの間にこんな映像を……。


 映像を見た周りの生徒たちはざわざわと騒ぎ始める。


 それと同時にローレアは青ざめた表情に。

 アーウィンは目を見開き、信じられないという顔でローレアを見つめた。


 その後もローレアが私を虐めている色々な映像が大広場中に流れていった。


 その間、ローレアもアーウィンも俯いたまま動かない。

 おそらくもう言い逃れが出来ないと観念したのだろう。


 そして、一通り虐めの映像が流し終わると、アレックスは厳しい目で2人を見つめる。


「さて……先程、お前たちは彼女に虐められていると言ったな? これを見ても、同じことが言えるか?」

「……申し訳ありませんでした」


 ローレアが震える声でそう言うと、アレックスは呆れたようにため息を吐いた。


「それを言うのは1年ほど遅いんじゃないか? 今更謝っても、もう遅い。言っておくが、彼女は遺書を書いて、自殺をしようとした程に追い詰められていたんだぞ」

「……」

「お前たちは貴族の令嬢を貶めようとした。その罪はとても重い。これから直に処分がいい渡されるだろう」

「そ、そんな……」


 絶望に顔を歪ませる2人。

 それに対して、アレックスが「連れて行け」と言うと、周りの屈強な騎士たちが2人をどこかへ連れ去っていった。


 私はその成り行きを見つめ、ぽかんとしているとアレックスが私にひざまずいてくる。


「起き抜けにいきなりすまないね。混乱させてしまったかな?」

「は、はい。正直なにがなにやら。そもそもなんで私が生きているのでしょう……」

「ははっ、そうだよね。じゃあ、説明するよ。簡単に言うとね、昨夜君にかけた魔法は安楽死の魔法じゃなかったんだ。安眠魔法なんだよね」

「……はい?」

「自殺の手助けなんてするはずがないじゃないか。それに自分勝手なことで悪いけど、君には死なれてもらっては困るんだ。だから僕は君が自殺する原因となったあの2人を処分する事にしたのさ」

「な、なるほど……。つまり、私が居なくなると研究の人手がまた減ってしまって、困るから自殺を止めたってことですか?」

「んー、いや……違うんだよ。僕が君を止めたのはね……君に惚れたからなんだ」

「……へ?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 え、アレックスが……あの研究馬鹿のアレックスが私の事を好き?

 嘘でしょ? そんな……それじゃ、私と同じじゃ……。


「いや、本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんだけどね。でも君がさ、昨日意識を失う前にあんなこと言うから」

「聞こえていたのですね……」

「うん。あの時は凄く嬉しかったよ。だから僕は今から君に大事なことを伝える。聞き漏らさないで聞いてくれる?」


 そう問いかけるアレックスに私はこくりと頷いた。頷くしか無かった。

 彼は私の頷きに満足そうな顔をして、深呼吸する。


「……いつも君に支えて貰っていた。君の手料理に。君の一生懸命さに。勇気を貰っていた」


 アレックスはぽつりぽつりと、大事そうに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「今まで研究を王家から逃げるための道具にしていた僕に、本当の意味で研究に本気にさせてくれた」


 ひざまずきながら私の手をとり、そして、私の目をじっと熱い眼差しで見つめてくる。


「そしてなにより。今まで誰も認めてくれなかった僕の生き様を……君だけは僕を認めてくれた。それが嬉しかった」


 その言葉に。

 その表情に。

 込み上げてくるこの思いに。


 私はどうしようもなく抗えなくて、涙を流してしまいそうで。


「君がいない生活なんてもう考えられない。愛しているハンナ。僕と婚約してくれないか?」


 ああ……私も……、私もどこで。

 その言葉を待っていたのかもしれない。

 いつからかわからないけど。

 ずっと、ずっと。


 死ぬなんて言葉で逃げ続けていたけど。

 私は……あなたに……。


「……はい。私なんかでよければ……よろしくお願いします」

 

 死んだのだ。

 昨日までの死のうとしていた自分が。

 これまでに虐められていた不遇な悪役令嬢は。


 綺麗さっぱり、亡くなったのだ。


 あなたのお陰で。






「――という事があったのよ」


 あれから10数年が経った。


 私は8歳の娘になるエカチェリーナに、とある昔話を聞かせていた。

 私とアレックスの馴れ初めという昔話である。


「へぇー、お父様もお母様も凄い恋愛をしていたのね! 素敵だわ!」


 なぜこの話を聞かせているかというと、娘がどうしても気になるというから聞かせてあげたのだ。

 どうやら私たちの婚約は伝説になったらしく、10年以上経つ今でも小等部、高等部関わらず、学園で語り継がれているらしい。


「そういえば、結局お母様を虐めていた2人ってどうなったの?」

「うーん。それは私もわからないのよね」


 これは嘘だ。

 あのあとローレアは退学処分になり、また貴族としての身分も失っただけではなく、数年ほど幽閉生活を送っていたらしい。

 今ではどうやら平民として暮らしているらしいが、完全に婚期を逃してしまった彼女は、1人寂しくどこかで暮らしていると聞いた。


 また、アーウィンは退学処分にはならなかったものの、ローレアが居なくなったあと、学力がたちまち落ちてしまい留年。そして、最終的には退学することになり、今では実家で引きこもってしまっているらしい。


 それとローレアの取り巻き達にもそれぞれ処分が言い渡されていたらしい。詳しくはわからないが、家から勘当されたり、退学する羽目になったりした人がいるというのは風の噂で聞いた。


 ただまだ幼い娘に聞かせる話ではないだろう。そう判断して誤魔化すことにした。


 すると、傍で紅茶を飲んでいたアレックスがふと声をかけてくる。


「そういえばあの時の遺書ってどうなってるんだい? もう捨てちゃった?」

「ううん。捨ててないですよ。ただ、結構内容は書き直しましたけどね」

「へぇ……どんな内容に変わってるんだ?」

「ふふっ、秘密。私が死ぬ時までのお楽しみです」


 そう言うと、娘が悲しそうな顔で抱きついてくる。


「えーっ! 死ぬなんて言わないでよー!」

「あら、ごめんなさい。勿論、まだ死ぬつもりなんてないわよ」

「良かったー! お父様もお母様もずーっと一緒にいましょうね!」

「ははっ、そうだな。僕もハンナもエカチェリーナもずっと一緒に暮らそうな」

「ふふっ、そうですね」


 そうして温かい雰囲気に包まれながら、私たちは幸せを噛み締める。


 勿論、ずっと幸せだなんてそんなことはありえない。永遠に一緒だなんてありえない。

 それが人生だし、人間には寿命があるのだから。


 でも、この人生を後悔なく生きてみせる。

 ちゃんと寿命を全うしてみせる。


 それが私なりの最高の遺書の渡し方だと思うから。


 そして、私は最高の渡し方で最高の遺書を家族に残してやるんだ。


 誰が読んでも分かりやすい、そんな遺書。


 だから私の史上最高の遺書はたった1文だけ。





『ずっとずっと。愛しています』

 



 

人生、生きてさえいればいいことがあると思うのです。


少なくともハンナが最終的に生きることを選び、幸せを掴みとったことは読者の皆様の心に残ってくれたなら私は満足です。


この話が「面白い」「感動した」「ほっこりした」「スカッとした」などと思った方は、ブックマークや、下にある☆☆☆☆☆を押して評価してもらえると凄く嬉しいです!


作者の人生の生きる糧になります!


よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後に感動させてくるなんて… うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ 大変良かったです٩(๑òωó๑)۶
[良い点] 「面白い」「感動した」「ほっこりした」「スカッとした」 全部ですね! いじめを行った者達に対して過激な意見もチラホラ見かけますが、恐らく本人にとってはもうどうでも良いことになっているのだと…
[気になる点] 主人公の周囲の人間が無能すぎる。 特に友人連中は学園内で一緒にいることも多かったはずだよね? 主人公の耳に婚約者の噂が入ってきたという事はそれなりに学園内では知られた噂だったということ…
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