叙述
タイトルはあえてこれを選択しました。
「もうあんたのことなんて、全部信用できないの」
女は顔を覆い、嗚咽を漏らす。 向いに座る男は、タバコをふかしながら硝子越しの外の景色を眺めていた。
「だからさぁ、何度も言ってるじゃんか。ミキちゃんとは何もなかったんだって。単に彼女がベロベロに酔っぱらったから、家まで送ってやっただけじゃんか」
寂れた狭い喫茶店には、その男女の他客はいない。二人は周りに遠慮することなく、もう一時間も痴話喧嘩を続けている。
店内には音楽も流れておらず、カウンターの中で無関心を装うアルバイト店員が丹念にグラスを磨く摩擦音の他は、二人の邪魔をするものはなにもなかった。
「ミキはね、昔からそうなのよ。私のカレシにいつもちょっかい出すの。もういい加減うんざりだわ。あんたは違うって信じてたのに、結局男なんてみんな同じ、性欲の塊なのね」
嗚咽は演技だったのか、女は平生を取り戻して口撃を再開した。
「だから、こっちこそいい加減にしてくれって。ホントに家まで送って、そのままバイバイしたんだっつーの。もっと言えば、ミキちゃんメチャメチャ飲んでてさ、タクシー降りたら直ぐゲロったんだぜ。服とかにも飛び散っちゃってさ、キタネーしクセーし、そんな女に手出そうなんて思わねえって」
「嘘ばっかり。前にあんた言ってたよね、ミキのこと可愛いって」
「あれはミキちゃんのバックを指して言ったんだよ。ほら、ピンクのウサギがぶら下がったちっちゃいバック持ってたろ」
「よく覚えてるわねそんなの。ミキのことが気になってた証拠じゃないの」
男は狼狽しているのか、とっくに空になっているコーヒーカップを口に運ぶ。
「おまえさあ、誰にそんなこと吹き込まれたワケ? まさか、ミキちゃんが自分で言ったんじゃないだろ? だって俺なんもしてねえし」
女は僅かに黙り込んだが、男を睨みつつ答えた。
「ケンジくんよ。あんたがミキを送って行ったって、教えてくれたの」
「やっぱりケンジか。それで、あいつが言ったのはそれだけ? ミキちゃんを送ったのは事実だけど、あいつが知ってるのはそれだけだろ」
「みんなで飲んでるときから、二人でいちゃついてた、って教えてくれたの!」
ついに女の声は怒声となった。小心なアルバイトの店員は、その声でビクリと肩を震わせていた。
「いちゃついてなんていねえよ。あんときは、そうそう『伝染るんです』の話で意気投合しただけだっての。二人とも『いじめてくん』が好きだったって、盛り上がっただけだっての」
「『いじめてくん』がでてくるのは『戦え軍人くん』でしょ。ほら、嘘ばっかりじゃないの」
「しらねーよそんなこと、酔ってたからそんくらい間違えるだろ」
小さく舌打ちながら、男は新しいタバコに火をつける。既に灰皿は吸い殻で溢れかえっていた。
「つうかさ、お前は結局勝手に俺が浮気したって思いこんでるだけなんだよ。証拠もなにもねえのにさ」
「じゃあ何なのこれ。私のケータイに残ってる非通知の着信よ。これミキの仕業でしょ。あの子いっつもそうなの。私のカレシを奪おうとするとき、いっつも私に変な嫌がらせしてくるのよ」
「被害妄想もいい加減にしろよ!」
今度は男が怒鳴った。テーブルを叩くおまけ付けだ。小心なアルバイト店員は、再び肩を震わせることとなった。
「なにが非通知着信だよ。ミキちゃんがそんな姑息なことするわけねえだろ。お前ら親友じゃねえのかよ。もっと友達のこと信じてやれっての」
「誰よりもミキのことが信用できないのよ。何度も裏切られてきた私の気持ちなんて、あんた分からないでしょ!」
女は両手で顔を覆う。今回は偽りではない、本物の涙を流しているようだ。
「もういいっ! あんたとはこれっきり別れる!」
「勝手なこと言ってんじゃねえよ。なんだよそれ」
決定的な言葉を聞いてしまった男は、声を震わせ
「ちょっと待て。テメエなんだよさっきからブツブツ言いやがって。見世物じゃねえぞ!」
いや、別に。
「別にじゃねえよ。何勝手に俺たちのこと実況してやがんだ。ふざけんなよ」
「そうよ! こっちは真剣に話てんのよ。馬鹿にしないで」
馬鹿にしてるつもりじゃありません。
「何が小心なアルバイト店員だ馬鹿! あと、灰皿いっぱいなの気づいてたならさっさと取り替えろってんだ」
ごめんなさい。
「私、泣きマネなんてしてないからね!」
すみません。
「もういいから出ようぜ。まったく変な店に入っちまった」
「ホント、私たち馬鹿みたいじゃない」
若いカップルはアルバイトの僕に小銭を投げつけると、腕を組んで店を出て行った。
叙述ものとメタフィクションを同時にこなせないものかと思い立ち、書いてみました。