第89話 死して屍拾う者無し
「あいつら……演習にかこつけて明日香を狙う気だったのか?」
ジェイが呟くと同時に、皆の視線が明日香に集まった。
実技試験となると、連れて行ける家臣の数も制限される。明日香を狙うのであれば、それが狙い目のタイミングである事は確かであった。
「……敵ながら、良い所を狙ってきたな」
明日香の件だけでも許せないが、学園行事を襲撃されると大事になってしまう。
逆に言えば、両国の和平を妨害しようとするならば、これ程有効な手もない。
華族学園は、国中の華族の子女が集まる場所。ここを襲撃するというのは、国中の華族を敵に回す事に等しいのだから。
「本気だねぇ、和平反対派……」
モニカが思わず呟いた。それに反応するのは明日香だ。
「本気でなければ、お父様に対して謀反を起こそうなんて考えないと思いますよ?」
確かに、生半可な気持ちで敵対していい存在ではない。ジェイはかつて戦った龍門将軍の脅威を思い出し、納得してうんうんと頷きながら口を開く。
「実際、厄介だよ。捕まえた連中をどこに突き出すかを考えるだけでも頭が痛い」
「……確かにそうね。和平の件に関しては、王国側も一枚板とは言い難いわ」
残念ながらエラの言う通りだ。
今のところは和平反対派のように実力行使に出る者はいないが、潜在的な和平反対派は王国にも存在している。
理由は様々だ。なまじジェイが守り切っているため、国境から離れた地の領主にしてみれば他人事というのもあるかもしれない。
しかし、幕府側から妨害してきた事を知られるとどうなるか分からない。たとえそれが龍門将軍に抗う一部の者達の仕業だとしてもだ。
「ずっと隠し続ける訳にはいかないが、それは今じゃない」
「そうね。一部の和平反対派の仕業だって事も一緒に発表できないと……」
「その時点で解決してたら完璧だね」
エラとモニカの言う通りだ。王国にもいる潜在的な和平反対派が動く余地が無いようにしなければならない。
こうなると、手はひとつしかないだろう。
「やっぱり、俺が片付けるしかないか。演習の前に」
そう、こちらから襲撃して島に潜入した和平反対派を倒すのだ。
ジェイとしても、彼等の計画に付き合ってやる義理は無いのである。なにせ敵は、明日香を狙ってきた者達なのだから。
「でも、あいつらを残したまま出掛けるのも心配なんだよな」
あいつらとは、言うまでもなく捕らえた刺客達の事である。
現在尋問中だが、彼等も諦めた訳ではないだろう。今も虎視眈々と脱出の機会を窺っているはずだ。現に彼等は、致命的な情報は一切漏らしていない。
時間を掛ければなんとかなるかもしれないが、演習試験までの時間を考えると、ここで見切りを付けて、逃げた一人を追う方に力を掛けた方が良い。
しかし、ジェイ達が外に出ている間に何かあれば……とも考えてしまう。
「それなら、お爺様の所に届けましょう」
エラが提案する。確かに冷泉宰相は和平を進める側だ、悪いようにはしないだろう。
「ならば、私の部屋を使って運びましょう」
そしてポーラの青い部屋を使えば、誰にも見つからずに運ぶ事ができる。
彼女がこの家に来た際、旧校舎にあった扉をこの家に移した。
この家で刺客を青い部屋に入れ、あの時と同じように宰相の家に扉を移せば、そこで刺客を出す事ができるのだ。
護衛としてもポーラ以上の人はいないので、この件は彼女とエラに任せておけば大丈夫だろう。
「それじゃ俺は、一人逃げてるヤツを追跡しに行くけど……」
「あたしも行きますよ! 幕府の問題ですから、あたしが行かないと!」
「じゃあ、私は役に立たないだろうし……」
同行を申し出たのは明日香。逆に留守番するのはモニカだ。
暗号などにも強い彼女が役に立たないという事はないのだが、戦闘に巻き込まれてしまう可能性を考えると妥当な判断である。
方針が決まったところで、早速ポーラは刺客達を青い部屋に放り込んだ。
ジェイも家臣を集めて矢継ぎ早に指示を出す。
まずはジェイの家臣の中でも一番の古株、アーマガルト忍軍のトップである男に残りの家臣の指揮と家の守りを任せる。
エラ達にも念のため護衛を付けた。なにせ美人二人、護衛も無しに出歩かせるとかえってトラブルを招きそうだからだ。
そして長身の若者である家臣二人を同行させる。ジェイと共に幕府の隠密部隊と戦ってきた者達、その中でも特に腕の立つ二人だ。
彼等の年はジェイより少し上、ジェイが幼い頃は守り役を任されていた。そのためジェイの修練にも戦いにも巻き込まれて、腕利きにならざるを得なかった二人とも言える。
準備が終わると、それぞれに動き出した。
まずエラとポーラは、獣車を使って内都に向かう。御者をするのは、索敵に長けた忍軍の一人だ。
そしてジェイも、明日香と二人の家臣を連れて家を出た。
こちらはすぐに影世界に『潜』り、『添』で追跡している刺客を追う。
「若、逃げた敵はどちらに?」
「今も南下中だ」
『添』の反応からして、現在地は商店街と繁華街の間にある平原だろう。移動スピードからみて、歩いていると思われる。
ジェイの魔法を知らなければ、もう逃げ切ったと考えていてもおかしくない。
それに慌てて逃走していれば、自分は怪しいと喧伝しているようなものだ。
何度か動きを止めていた事から察するに、今は変装なりしてただの旅人を装っているのではないだろうか。
その辺りを冷静に判断できているという意味では、手強い相手である。
「このスピードなら、走れば追い着ける……明日香、行けるか?」
二人の家臣には聞かない。彼等ならば問題無いと分かっているからだ。明日香も大丈夫なようで、自信有りげに頷く。
そして四人は、『添』の反応を追って影世界を駆け出した。
相手も追われているとは夢にも思っていないようで、ぐんぐん距離を詰めていく。
「ん? 地下に入ったぞ」
走っている途中で、反応が下方に移動した。
距離的には、そろそろ繁華街に到着しているであろう位置だ。
町ならば地下水道などがある。おそらくそこに入ったのだろう。
町が大きくなればなるほど死角ができるものだ。地下水道などもそのひとつである。
そこから反応の移動スピードが上がった。地下に入り、人目が無くなった事で動きを抑えておく必要が無くなったのだろう。
しばらくジグザクに移動し、そして動きが止まる。
「止まった……まだ地下のままだな。地下水道に拠点があるのか……?」
だがしばらくすると、反応は再び動き出した。
先程までとは別のルートを進み、地上に出る。そこから更に進んだところで反応は動かなくなった。
そこでジェイ達は、一旦を足を止めて呼吸を整える。
「……繁華街の地図はあるか?」
「こちらに」
家臣に差し出された地図を広げ、指差しながら反応の動きを追っていく。
どうやら逃げた刺客は、繁華街の外縁あたりで地下水道に入り、そのまま地下を通って繁華街を通り抜け、地上に出た後また別の場所に移動したようだ。
「おそらく、この辺りにいるはずだが……」
そう言ってジェイが指差した場所は、繁華街の南東。
それを見て、明日香が首を傾げる。
「その辺りって、何がありましたっけ?」
「……何も無いはずだ」
正確には平原だ。人気は無いだろうが、潜伏拠点とするには、お世辞にも向いているとは言えないだろう。
「若、これはもしや……」
ジェイと二人の家臣は、それ以上は何も言わずにお互いに顔を見合わせる。
それを見た明日香も、嫌な予感がよぎった。
短い休息を終えた四人は再び走り出し、反応の下へと向かった。
到着すると、そこには全裸でうつ伏せになって横たわる刺客の姿があった。生物は再現されない影世界であるにもかかわらずにだ。
「やっぱりか!」
近付いてみると、刺客の背中にはバッサリと斬られた大きな傷があった。
そう、刺客の身体が再現されたのは、既に物言わぬ骸になっていたからだ。
「身包みはがされてますね」
「って事は……げっ」
家臣の一人が、刺客の骸を仰向けにしようとして……そっと元に戻した。
顔も分からないようにされていたのだ。身元が分からないようにするためだろう。
「若、此度の敵は手段を選ばぬようですな」
「……まぁ、選ぶようなら明日香の命は狙わないだろ」
ジェイは軽口で返しつつも、頬に一筋汗を伝わせるのだった。
今回のタイトルの元ネタは、時代劇『大江戸捜査網』の「隠密同心 心得の条」の一節です。




