第82話 待てあわてるな、これは○○の罠だ
「あら、どうしたの?」
ジェイが部屋を抜け出したところで、エラと鉢合わせになった。
「いや、三人が盛り上がっちゃって」
「あらあら♪」
部屋を覗き込んだエラは、楽しそうに笑う。
ポーラ華族学園は、婚活が盛んという一面を持つ。そのためいわゆる「コイバナ」で盛り上がる明日香達の姿は、学生時代によく見た光景であった。
彼女自身にも縁があったかどうかについては触れてはいけない。
「それで、逃げ出してきたの?」
「いや、まぁ……」
ジェイははぐらかして逃げようとするが、エラは逃がしてくれなかった。
「エラ、何を……」
「だって気になるじゃない♪」
ガッチリ腕を組まれ、一緒に聞き耳を立てて部屋の中の様子を窺う形となる。
一方明日香達は、やはりというかジェイの話題で盛り上がっている。
ロマティは、ジェイがいない事に気付いたのかキョロキョロとしているが、廊下にいる二人には気付かないようだ。
それよりも二人の話が気になるのか、すぐにそちらに集中し始めた。試験勉強している時より真剣そうに見えるのは、おそらく気のせいではあるまい。
「せっかく許婚になったんですし、もっと、こう、仲良くしたいんですよね」
そう言う明日香は、頬を染め、もじもじしている。
彼女も結婚は卒業してからというのは分かっているが、それはそれとして今のままでは物足りないと感じているようだ。
能天気に見えるが、ダイン幕府の代表として覚悟を決め、また期待もして縁談に臨んだのだ。もう少し……と考えるのも仕方がないのかもしれない。
「えっと……許婚らしい事ってやってないんですか?」
問い掛けるロマティ。具体的には言えないのが、今の彼女の限界である。
「仲良しではあるんです! でも、もっと仲良くしたいんです!」
なお、それは明日香も同様であった。
「あんな事言ってるわよ?」
廊下では、エラが上目遣いで悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
小声で話すと聞こえにくいだろうというのを口実に、腕はぎゅ~っとホールドして、身体を密着させている。
「そうは言っても、俺まだ学生ですよ?」
ここで彼が言っているのは「学生らしい健全なお付き合いを」という意味ではない。
セルツ連合王国には、ポーラ華族学園を卒業しなければ華族は家を継げないという法が存在している。
つまりまだ学生であるジェイは、アーマガルト辺境伯昴家の正式な後継者ではない。
あくまで現時点での話だが、ジェイはそれを問題視している。
「俺達の縁談は、家同士が結んだもの。正式な後継者にもなってないのに、無責任な事はできませんよ」
「……それは私も?」
「もちろん」
実のところ、ジェイの方も我慢しているのだ。彼とて三人に迫られても何も感じない朴念仁ではない。
同時に彼の言っている事も正論ではある。学園は未来の統治者を育てる場所。通っていれば誰でも卒業できるという訳ではないのだ。
「でも、卒業できない人ってめったにいないわよ?」
「……優秀な統治者を育てるというのが、学園の理念と聞いてますけど」
「ええ、だから補習とかは厳しいわ」
事は家の存続に関わる事なので、卒業させないのもそれはそれで問題となる。
そのため卒業が認められないのであれば、認められるまで厳しく補習するという制度がある。エラも話に聞いた事しかないが、騎士団の訓練も真っ青の代物らしい。
「それに、ジェイ君なら心配いらないんじゃないかしら?」
「それは……はい」
ジェイの成績はトップ争いをする程のものではないが、卒業するには十分なものだ。
それでも彼が万が一を考えてしまうのは、事がセルツ連合王国とダイン幕府、双方の命運を左右しかねないからだ。
「……まぁ、確かに明日香ちゃんは難しい立場よね」
その点については、エラも同意する。
エラ本人ならば、卒業はほぼ間違いないのだから気にしなくてOKと言うところだが、明日香に関しては気安く口出しできない。
「でも……ウチの常識としてはそれでいいんだけど、幕府としてはどうなのかしら?」
「というと?」
「正式な結婚は卒業後という事で話がまとまってるらしいけど……それまで何もしなくていいって訳ではないんじゃないかしら?」
その言葉にジェイは戸惑い、目が泳ぐ。
彼が言った通り、万が一を考えるならば何もしない事が正しい。
「逆に何かするのが問題になるなら、そもそも明日香ちゃんがこっちに来るのって卒業後でいいと思うの」
「そ、それは……」
エラの言葉にも一理ある。
それでも幕府が明日香を送り込んできた意図は何なのか。手を出してもいいよという事なのか、それとも耐えるぐらいの根性を見せろという事なのか。
龍門将軍の場合、手を出したらそれを口実にして勝負を挑んでくる可能性も考えられるのが怖いところである。
嬉々とした笑顔で「余と戦え!」と追い掛けてくる姿が目に見えるようだ。
ひとつだけハッキリと言える事があるとすれば、だからといって「どこまでやっていいですか?」などと幕府に問い合わせる訳にはいかないという事であろう。
ジェイは両手で頭を抱え……ようとしたが、片腕がホールドされたままだったので、空いている方の手で眉間を押さえて項垂れる。
明日香達の方はというと、小声で話していた二人に気付いて耳をそばだてていた。
「真面目ですねー。だからこそ明日香の許婚に選ばれたのかもしれませんけどー」
廊下の方の話がひと段落ついたところで、ロマティが感想を述べた。
「昔からあんな感じなんですかー?」
そしてモニカに問い掛けるが、彼女はどこか気まずそうに視線を逸らした。
その反応にロマティと明日香は顔を見合わせ、そして再びモニカを見る。今度は顔を近付けてじっくりと。
「あの、あんま見ないで、穴開くから……」
「もしかして……昔はそうでもなかったんですか?」
そう問い掛けたのは明日香。昔と今でジェイの態度が違うとすれば、その原因は自分にあるとすれば……そう考えてしまい、涙目になっている。
そんな目で見られると、モニカも正直に答えるしかなかった。
「その……ほら、幼馴染だからさ。小さい頃はもっと距離が近かった訳で……」
ジェイの幼馴染は、モニカ一人という訳ではない。しかし、日々の勉強はおろか隠れてやっていた魔法の修行も一緒だった彼女こそが、最も近しい幼馴染であった事は確かだ。
「家同士の付き合いがあったから、ジェイの家に泊まった事は何度もあるし」
なお、最近は流石にやっていなかったので、一緒にお風呂に入った事や、一緒に寝た事までは触れなかった。
ちなみに許婚になった今でも、そういう事はしていない。
「えっ、領主と御用商人ってそういうものなんですかー?」
「いや、他は知らないけど……ウチはそうだったよ?」
実のところ、割と特殊なケースではある。
「だからボクとしては、許婚になってかえって距離が遠くなった気もするんだよね……お互いもう子供じゃないって事かもしれないけどさ」
ぼそっとつぶやいたモニカは、どこか寂しそうだった。
「……実際のところどうなの?」
部屋の中の話を聞いていたエラは、ジェイの脇腹をつんつんしながら問い掛けた。
「流石に小さい頃と同じようにという訳にはいかないかな」
モニカの言った通り、お互いもう子供じゃないのだ。特にモニカが色々と。
「モニカちゃんは喜びそうな気もするけど」
「それは、まぁ、俺も……」
そこまで言ったところでジェイの動きが止まった。明日香、モニカ、ロマティの三人が、扉のところで鈴なりになって覗き込んでいる事に気付いたのだ。
三人の方もジェイの視線に気づき、まずロマティが飛び出してペンをマイク代わりに突き出し質問を投げ掛けてきた。
「俺も……なんですか?」
「ノーコメント!」
それを皮切りに明日香とモニカもジェイに飛びついて来る。
「あたし子供っぽいってよく言われるんですけど、ダメですか?」
「明日香、子供っぽいと子供は違うぞ」
「実は私も~」
「流石にそれは無理があるぞ、エラ」
「ジェイが喜んでくれるなら……いいよ?」
「モニカ……あまり追い詰めないでくれ」
質問どころではなくなったため、ロマティは取り合えずカメラを持ってきてその姿を写真に収める。
その後も四人は止まらず、そのまま騒がしい夜は更けていくのだった。
今回のタイトルの元ネタは横山光輝先生の『三国志』のセリフ「待てあわてるな、これは孔明の罠だ」です。
○○としていますが、二文字とは限りません。




