第77話 ポーラの夏、セルツの夏
故郷は遠くなり、かつては煩わしく感じていた蝉の声も懐かしく思える。
この国に梅雨は無く、夏は江戸よりも暑い気がする。
しかし、江戸の夏より過ごしやすく感じるのは気のせいだろうか。
これはかつてこの世界に召喚された武士の日記に書かれていた言葉だ。
転生者であるジェイは、こちらの世界の夏はそんなに暑いだろうかと首を傾げるが、それは幕末・明治であった十九世紀と二十一世紀の気候の違いであろう。
二十一世紀の気温上昇した夏に比べれば、明治時代の夏はまだしも気温が低い。
ただセルツの夏は、その日記にある通り陽射しが強くともカラッとしており、日本の夏と比べて過ごしやすいのは確かであった。
この時期になるとポーラ華族学園では野外用制服を着用する者が増えてくる。
この学園に夏服は存在しないので、半袖シャツにスカーフ、裾が長めの半ズボンというボーイスカウト・ガールスカウトのような浅葱色の制服が一番涼しいのだ。
ジェイ達も例にもれず、野外用制服を使うようになっていた。
「夏休みに入ったらさぁ、実家帰る前に海行かね?」
昼休みの教室、色部達が教壇に集まり、夏休みの予定で盛り上がっている。
華族学園の夏休み期間は七月、八月の二ヶ月。華族子女には家でしかできない修行もあるため長めの期間となっているのだ。
六月に入って、夏休みまであと一ヶ月を切った。色部達だけでなく、他のクラスメイトもそれぞれ夏休みの予定に思いを馳せている。
「夏休みもいいですが……その前に期末試験ですよ?」
ポーラの静かなツッコミに、教室は静まり返った。
そう、夏休みまでの一ヶ月の間に、学園では期末試験が行われる。座学、実技、そして集団演習のテストだ。
夏休みに実家に帰る者は、その結果を持って帰る事になるので、そういう意味でも重要なテストである。
「そうだったー! 誰か勉強教えてくれー!」
真っ先に復活したのは色部。完全にテストの事を忘れていたようだ。
五月の尚武会を終えて、力不足を感じ、新しい武具を求めて、学生ギルドの仕事に精を出す。実のところ、こういうタイプは多い。特に一年生には。
色部もそうなのだが、白兎組は一年の中でも特に武具の更新、そして新しい武器の扱いを身につける為の鍛錬に集中するものが多く、その分勉学を疎かにしてしまうのだ。
華族とは国、領地、民を守るものなので、武力が必要というのも間違ってはいない。
実際テストも、実技や演習の方を重視する傾向が有る。
しかし、それはそれとしてテストは無情な結果を叩きつけてくるのだ。特に長期休暇前は、貫通して家族にも届く一撃を。
「ならば、私が教えましょう!」
ここでポーラが教壇に立ち、名乗りを上げた。元教師の血が騒いだようだ。
長い銀色の髪がひとりでに動き、後頭部でシニヨンを結い上げる。そしてどこからともなく出現した眼鏡を掛けた。
学園に来る時は当時から変わらぬ教師の制服姿なので、現役だった頃と同じ姿だ。その凛とした立ち姿は、頼りになりそうな事この上ない。
「おおお! お願いしまぁす!!」
「私もお願いしまーっす!」
色部とビアンカを筆頭に、勉強に自信が無い組が食いついた。
「普段から勉強していないから、今になって慌てるんだ」
ラフィアスは、そんな騒ぎを冷めた目で眺めていた。
一方ジェイ達も、騒ぎに加わっていない組だ。
「う~ん、華族学園のテストかぁ……ボクもポーラママの補習受けた方が良いかなぁ」
「あたしもやった方がいいんですかね?」
と言っても、まだ迷っている者もいる。モニカと明日香もそうだ。
この二人に関しては、今年の春までセルツ華族としての教育を受けていなかったのだから仕方がない。自分がどれぐらいの位置にいるかも分からないのだ。
「普段から頑張ってれば大丈夫よ~」
そう言ってエラは笑うが、彼女は日常の予習復習だけで成績上位を維持し続けた類の人なので、あまり参考にはならない。
「まぁ、母上の補習を受けるのも良いかもしれないが……」
「うん、そうなんだけどね。でも……」
モニカは、そう言ってチラリと教壇の方を見る。
「はいはいはーい! 試験どこ出そうですか? ヤマ張ってください!」
「ヤマ……?」
広げた教科書を突き出して尋ねる色部。それに遮られて彼は気付かなかったのだろう。
ポーラの目が、優しいママモードから鬼教師モードに変わった事に。
「甘えるんじゃありません!」
その声と共に放たれる魔素の波動。教室の空気が震えた。
「テストとは、授業の習熟度合いを確かめるものです! その場しのぎで己の能力を見誤るなどあってはなりません!!」
「いや、でも分かんね……」
「分からぬなら! 分かるまで教えます!!」
握りこぶしを作って力説するポーラ。色部達はその迫力に気圧されて、コクコクと頷くしかなかった。
「やっぱり……」
その様子を見ていたモニカは、ため息をついた。
「『賢母院』ポーラは、実はスパルタ教師だった……結構有名な話なんだよね」
もっとも、有名なのは歴史に詳しい者のみの話。『セルツ建国物語』のその後の話として、歴史好きの間ではよくネタにされるそうだ。
その後、ポーラの補習授業は、まず学園に話を通す事になった。勝手に放課後の教室を使う訳にはいかないので、当然の措置である。
学園側としても、伝説の教師である『賢母院』が自主的にやってくれるというのであれば否やはない。
とはいえ白兎組だけ補習をするのは不公平だろう。
そこで学園は、一年生全クラスから、希望者を募る事にした。赤点を取りそうな生徒は担任が参加するよう促しているそうだ。
そしてジェイ達はどうしたかというと……。
「せっかくだし、受けようか」
ポーラの補習に参加する事にした。
かくいう彼の成績は、座学に関しては普通である。特別良い訳ではないが、赤点を取るには程遠いといえる。
そのため受けなくても大丈夫だと思うが、受ければ相応の効果が有るだろう。
彼の言う通り「せっかくだから」である。
「……そうだね。華族のテストとか、どこまでやれるか分かんないし」
モニカとしては、スパルタ補習は避けたかったが、彼も受けるとなると逃げる訳にはいかなかった。
「お義母様だけじゃ大変だろうし、私もお手伝いしましょうか」
そのためエラも残り、ポーラをサポートする事になっていた。
「皆でお勉強ですねっ!」
そして楽しそうに笑うのは明日香。
「なんで明日香はそんなに楽しそうなの? スパルタだよ?」
「大丈夫です! ばあやよりは怖くないです!」
ばあやというのは、彼女の最初の教育係の事である。
龍門将軍が選んだ女傑で、今の鬼教師モードのポーラよりもはるかに怖かったそうだ。
今のポーラに対しても、むしろ懐かしさを感じていたりする。
「はぁ……普通に勉強できてたら、そんなに怒られる事は無いかな」
明日香のようには考えられないモニカは、ため息をつきつつ呟く。
それでも「自分だけ参加しない」という選択肢が出てこない。
「……あれ見たら、無理でしょ」
「まぁな」
そうぼやくモニカとジェイの視線の先には、「あなた達も受けますよね?」と言いたげに視線を送ってくるポーラの姿があった。
今回のタイトルの元ネタは、金鳥の蚊取り線香のCMで使われているフレーズです。
ポーラ島も、夏の始まりですね。その前に期末試験がありますが。




