第70話 極楽へ逝かせてあげるわ♪
「その……ジム様は、食事はちゃんととられているのですか?」
侍女がそう問い掛けた。彼女はロマティだけでなく、ジムのお世話もしてきた身。まずはそこが気になったようだ。
「それは大丈夫ですが、食事以外はずっとお部屋で……」
「えっ? お風呂も入ってないの? うわっ……」
ロマティ、素の反応である。
念のために言っておくが百里兄妹、不仲という訳ではない。
ここでもう少し詳しく説明しておこう。
百里家はセルツ王家からの信任を受け、新聞の発行を任され家業としている家である。
騎士隊長の立場にあり、日夜部下達を率いて新聞を作っている。
セルツでは騎士隊長といっても戦う仕事ばかりではない。部下を率いる立場にある華族は、皆騎士隊長なのだ。といっても率いる事ができる人数は、家ごとに違いはあるが。
それはともかく、現当主の子はジムとロマティの二人。何事もなければ兄のジムが嫡男として跡取りになるはずだった。
ジムが戦う騎士に憧れを抱き、騎士団入りしたいと言い出すまでは。
周囲は止めようとしたが本人の意志は固く、学園在学中に騎士団入りが決まれば認めるという話になっている。
そのため彼は入学後風騎委員に入り、今年で三年生となっていた。
彼にとっては最後のチャンス、勝負の一年だ。最近は風騎委員の出番も増えており、部屋に閉じこもっている暇など無いはずなのだが……。
「兄さん、何やってるんですかー……」
ロマティは呆れつつも席を立った。そんな状態の兄を放っておく訳にはいかない。
部屋に閉じこもっているなら、踏み込んででも引きずり出す必要があるだろう。これは従者や侍女がやるのは少々問題が有る。
兄のクラスメイトに頼むという手もあるが、あまり大っぴらにできる事でもないので、ロマティが出向いた方が良いだろう。
早速ロマティは二人を連れ、駆け足でポニーテールを揺らしながら兄の下に向かった。
ジムの宿舎に入ると中は整然とし、人気が感じられない。彼は今も部屋に閉じこもったまま出てきていないようだ。
部屋は分かっているので、ロマティはドスドスと音を立てそうな足取りで向かう。
「兄さん! 何やってるんですかー!」
そして部屋の前に到着するやいなや、何度も扉を叩いて呼び掛ける。
しかし返事が無いため、ロマティは無言で従者に手を差し出した。すると彼は、すぐさまポケットから合鍵を出して手渡す。
「開けますよー!」
直後に開錠して扉を開く。この辺りの遠慮の無さは、流石兄妹と言うべきか。
「……げっ」
ジムの部屋に足を踏み入れたロマティは、思わず呻くような声を漏らした。
部屋の中は薄暗く、床に本が散乱している。一冊手に取って見ると、それは古い魔法の教本だった。ジムが以前から持っていた物ではない。
「はい、それらはジム様が行商人から購入を……」
「こんなにたくさん……普段は本なんか読まないのにー」
散らかった部屋の奥には、大きな背中を丸めて机に向かうジムの姿があった。ロマティが部屋に入った事にも気付いていない様子だ。
やはりおかしい。ロマティは人差し指を立てて、従者と侍女に静かにしておくように促すと、つま先立ちで本が無い隙間を縫うように進み、兄の背に近付く。
それでもジムは気付かなかったが、ロマティは彼が何やらぶつぶつと呟いているのを聞き取っていた。
「…………足りぬ…………これでは足りぬのだ…………」
何が足りないのかはよく分からないが、鬼気迫る声だ。
何事かとこっそり覗き込んだロマティは目を丸くする。
彼女が見たのは学園の教科書などではなく魔法の教本、そしてそれを血走った目で食い入るように読む兄の横顔だったのだ。
それを見た瞬間、ロマティは察した。兄はまともな状態ではないと。
というのも、ジムは元々勉強熱心なタイプではないのだ。
生まれつき身体が大きく、力も強い。自分から騎士団を目指すと言い出す程度には武闘派、いわゆる脳筋であった。
ロマティが入学してからは数回しか会っていないが、その辺りは変わっていなかった。それがこれである。変わり過ぎにも程がある。
一瞬頭を叩いてでも止めるべきかと考えたロマティだったが止めておいた。その程度で止まるとは思えなかったのだ。
ロマティは気付かれない内に部屋を出る。そして天井を仰ぎ見た。
なんとかしなければならないが、どうすればいいのか。
そもそも一体何が起きているというのか。
在学中に数少ない魔法使いに出会い、魔法に憧れる。それ自体はよくある話だ。そこから一歩進んで魔法の練習に打ち込む者も珍しくはない。
だがロマティから見た今の兄は、それだけではない気がする。
この時彼女が思い出したのは、先日起きた「魔法に目覚める短剣」の事件だった。
「こういう時は……ジェイ君ですかねー」
白兎組で魔法といえばジェイかラフィアス。しかし彼女には、後者が素直に相談に乗ってくれるイメージが湧かなかった。
それにポーラの力も借りられるかもしれない。
その後ロマティは、従者を兄の見張りに残し、侍女と共にジェイ達の宿舎に向かった。
しかし彼等は獅堂を訪ねに行っていたので、出迎えたのはエラとモニカだ。
居間に通されたロマティは、後でジェイに伝わればいいと兄の様子がおかしかった事を二人に相談する。
「それって……」
「もしかして、魔法書かしら?」
すると心当たりのあった二人は、困惑の表情で顔を見合わせた。
「知ってるんですか!?」
ロマティも思わずテーブルに手を突き、腰を浮かせる。
エラはまぁまぁと宥めて腰を下ろさせ、魔法書について説明をする。
「な、なるほど……ゴーストに取り憑かれているって事ですか? 言われてみればそれっぽいというか納得ですけど……」
魔獣の中にはアンデッドも存在するため、ジムが取り憑かれている事についてはあっさりと納得したようだ。それならば、あの様子も理解できると。
「それで、その、祓えるんですか?」
心配そうに尋ねるロマティ。問題はそこだ。原因が分かった事で、かえって難しい状態であると理解してしまった。
「ジェイ君なら一発だけど、お義母様に頼んだ方が確実かしら?」
「……おかあさま?」
「ポーラママの事だよ。ジェイの事息子扱いしてるから、その流れでボク達も」
「ああ、そういう……」
とにかく、ジェイ達が戻ってくればなんとかなるとの事。ロマティはあははと笑いながら、ほっと胸を撫で下ろした。
ジェイ達が戻ってきたのはそれから数時間後の事。話を聞くと、すぐさまロマティを連れてジムの宿舎へと向かった。
「これは……私がやりましょう」
丸まった大きな背中を見たポーラは、すぐさまそう判断した。一週間の間に乗っ取りが進んでいたようだ。
ポーラはふわっと浮かび上がり、本が散乱した床を飛び越えてジムの背に近付く。
やはりジムの方に気付いた様子は無い。かなり集中しているようだ。
そのままポーラは彼の頭に手を置く。一瞬強烈な光が放たれたかと思うと、ジムはピタリとその動きを止める。
ロマティが心配して身を乗り出すと、ジムの身体がグラリと揺れる。
次の瞬間、彼は椅子から落ち、大きな音を立てて倒れ込んだ。
「兄さん!?」
慌てて駆け寄るロマティ。ジェイもそれに続き、大きな身体を助け起こす。
ジムは意識を失っているようで、目を覚まさない。
「母上、彼は大丈夫なんですか?」
「憑依していた魂を消し飛ばしました。もう大丈夫ですよ」
「で、でも、目を覚ましませんよ!?」
「それは長く憑依されていたからです。しばらくは目を覚まさないでしょう」
ポーラ曰く、魂そのものがダメージを受けている状態らしい。しばらくすれば目を覚ますだろうが、その後もしばらく不調が続くとの事だ。
ジェイと従者の二人で、ジムをベッドまで運ぶ。彼が回復するまで、ロマティと侍女も通って世話をするそうだ。
「さて、問題は……」
ジェイ達が動いている間に、ポーラは部屋の中の本を調べる。
床に散乱した何冊もの魔法の教本と、憑依した魂が入っていたであろう魔法書だ。
それは魔法の教本を拾い集めている内に、見付ける事ができた。ジムがかじりついていた机の上に、教本と重ねて置かれていたのだ。
手に取ってみると、軽いと感じられた。もうこの魔法書には魂が宿っていない。
表題に書かれているのは、この本に魂を宿した魔法使いの名。彼女はそれを、哀れみの視線で見つめるのだった。
今回のタイトルの元ネタは『GS美神極楽大作戦!!』の決め台詞です。




