第66話 SAN値直葬の一冊
二人が家に帰るなり、ポーラが慌ただしく居間から飛び出してきた。
その顔はいつもの甘々ママではなく、怖い女教師のそれだ。
「貴方達……買ってきた物を見せなさい」
「えっ? えっ?」
突然の言葉に戸惑うモニカ。ポーラは小さくため息をついて話を続ける。
「隠していても母には分かります。魔法書を手に入れたのでしょう?」
「……あ、そっちか」
モニカはほっと胸を撫で下ろす。今日確保してきたグッズについて何か言われるのではないかと心配していたのは秘密である。
それはともかく、魔法書ならば問題無いとモニカは素直に本物の一冊を差し出した。
受け取ったポーラは、魔法書とモニカの顔を交互に見て、こう尋ねる。
「……もう、読んでしまいましたか?」
「えっ? まだだけど……」
モニカは魔法でタイトル部分が光っていないのを見て本物だと判断。見抜いている事を悟られないよう、古書まとめ買いのフリをして買ったため、まだ中身は見ていない。
すると今度は、ポーラの方が安心した様子だ。
その様子を見て、明日香とエラは不思議そうに顔を見合わせる。
「お母さま、その本がどうかしたんですか?」
「明日香も読んではいけませんよ。これは危険な物なのですから」
そう言う彼女の目は、真剣そのものだった。
読むだけで魔法が覚えられるという魔法書。しかし、市場に出回るのは偽物ばかりであり、実在しないと考える者も珍しくない存在だ。
モニカは魔法によってそれが本物である事が分かったが、それがどんな物であるかまでは分かっていなかった。
それを詳しく知るのがポーラだ。ジェイ達は居間に集まって詳しい話を聞く。
「魔法使いでない者が、魔法を使えるようになるには二つの方法が有ります。魔法書ともうひとつ……分かりますか?」
「魔素を直接注入する……だよね?」
モニカの答えにポーラが頷く。先日の事件において、魔素結晶付きの短剣を用いて行われた方法だ。
「では、その二つの違いは分かりますか?」
「え、え~っと……」
視線でジェイに助けを求めるが、彼も分からず首を横に振った。
これは予想通りの反応だったようで、ポーラは特に気にした様子は無い。テーブルの上の魔法書に手を置いて話を続ける。
「モニカの言った方法は、体内魔素に刺激を与える事で魔法に目覚めさせる方法です」
目覚めるのは自分自身であるため、その人に合わせた魔法を覚える事になる。
しかし、素質が無ければ魔素欠乏症一直線。一時的に魔法を使えるようになるかもしれないが、それも定着はしないという危険が伴う方法だ。
「ですが、これは違います。どんな者でも魔法が使えるようになります」
魔法書の表紙を、指でトントンと叩きながらポーラは言う。
「しかし……取り憑いた相手を乗っ取ろうとするでしょうね」
「ダメですよ、それ! モニカ、大丈夫ですか!?」
「だ、だいじょうぶ……ちょっ、揺らさないで明日香……」
明日香が飛びつき、ガクガクと揺さぶった。そちらの方がダメージが大きそうだ。
ポーラは、その反応から乗っ取られていないと確信できたようで、微笑ましそうに二人を見つつ、説明を続ける。
「そもそも魔法書というのは、魔神に到達できなかった者が作る物なのです。自身の魂を一部、あるいは全部を本に封じる事で」
「魂……それで乗っ取りを……」
魂を分けた術者はそのまま命を落とす事になるが、魔法書を経て新しい身体を乗っ取る事ができる。言うなれば自分の手で自分を転生させる魔法だといえるだろう。
「つまり、封じられていた魂に憑かれると魔法が使えるように?」
「そうですよ、エラ。魔法とは魂に付随するものなのです。ジェイもそうでしょう?」
彼女達はジェイに視線を向け、そして納得した。確かに彼も、勇者と魔王の魂と共に彼等の魔法も受け継いでいる。
違いがあるとすれば、一つになる事でどちらでもなくなったジェイの魂に対し、魔法書のそれは本人がそのまま残っていて、読んだ者を乗っ取る気満々だという事だ。
話を聞いたモニカは、顔を青くしている。
「大丈夫ですよ、モニカ。魔法が使えるなら抵抗も可能です」
ポーラはそうフォローしたが、それはそれとして、怖いものは怖い。そもそも抵抗しなければならないような状況になりたくないというのが正直なところだった。
「じゃあ、読んだら魔法を覚えられるという話は……」
「当初は読ませるために流した噂だったのでしょうね……でも……」
そこでポーラは言葉を濁した。というのも今の魔法使い達が、魔法書の事を知っているとは考えにくいのだ。知っていれば、ここまで数を減らしていないだろう。
どこかで失伝している可能性は非常に高い。それは今の魔法使い達の力が、魔法書を作れぬ程にまで衰えている事を表していた。
しかし、そうなってくると一つ疑問が浮かんでくる。
「どうして本物があんな露店に?」
魔法書の希少価値を考えると、場違いにも程が有る。
「偽物と一緒に売ってたのよね? 本物って知らなかったとか?」
「それだと店に並べる商品の確認もしてない事になっちゃうよ、エラ姉さん。魔法書って読んだだけで効果を発揮するんでしょ?」
すかさずツッコむモニカ。商人の娘として許せる話ではない。
といっても、そういう怪しい商人がいない訳ではないので、無いとも言い切れないが。
「逆に本物だと知ってるって事は無いですか?」
明日香の疑問に、ジェイは唸る。確かにそれも考えられる。
しかし、もしそうだとすれば、商人の目的は一体何なのか?
「…………あれ?」
その時、ジェイはある事に気付いた。
「なあ、モニカ……あの露天商、どんなヤツだったか覚えてるか?」
「えっ? それは…………あれ?」
言われてモニカも気付いた。露天商の顔だけでなく、服装を始めとする何もかもを思い出せない事に。
「な、なんで!? 顔はあんまり見てないけど、服とかは覚えてるはずなのに!」
「そういえばモニカちゃん、最初は全然目を合わせてくれなかったわね……」
「さ、最近はそうでもないです……よ?」
親しくなるとそうでもないのだが、モニカは元々人見知りをするタイプなのである。
それはともかく、まったく思い出せないというのは怪しい。
「おそらく認識を阻害していたのでしょう。高度な魔法ですが、不可能ではありません」
つまり、店主も魔法使いだったという事だ。現代にもハイレベルの魔法使いが残っていたか、あるいは……。
「……そいつも取り憑かれてる?」
「有り得ますね。見たところ、これに封じられている魂はさほど大きくないようですし」
「大きくない?」
「ええ、これを作った魔法使いは、おそらく複数の魔法書を作っています」
「そ、それって……」
口元を引きつらせるエラに、ポーラはコクリと頷く。
魔法書に宿る魂と、店主に憑依していた魂、同一人物の可能性も有るという事だ。
ジェイはすぐさま家臣に命じ例の露店を調べに行かせるが、既に店を畳んで姿を消していた。
どこに行ったのか周りの者達に尋ねても知っている者はおらず、また誰一人としてその商人の顔を覚えていない。おそらく魔法による認識阻害のためだろう。
その一方で、ジェイ達の護衛をしていた家臣達の方を覚えている者はいた。その者が言うにはジェイ達が帰った直後に店を畳んでいたはずとの事だ。
「……となると、魔法書を売る事自体が目的だったと考えられるな」
より正確に言うと魔法書の犠牲者を見付ける事が、だ。戻ってきた家臣達から報告を受けたジェイはそう判断した。
モニカが震え、しがみ付きながら尋ねてくる。
「ね、ねえ、ジェイ。あいつ、憑依に失敗したって気付くかな……?」
「憑依に成功したら連絡するとか、前もって決めていたら分かるだろうな」
つまりは油断できない。
露天商の正体が分かればやりようもあるだろう。しかし、認識阻害の魔法があるとそれも難しいだろう。なにせ本当に商人なのかも分からないのだから。
まずはそこから調べなければならない。そう考えたジェイは、正体を探る方法を模索し始めるのだった。
今回のタイトルの元ネタはクトゥルフ神話TRPGこと『クトゥルフの呼び声』です。
「SAN値」は、正確には「正気度」ですね。
魔法書は読んで抵抗失敗したら一発アウトなので、デストラップといえるかも。




