第4話 またの名を『風騎委員』
その時、商店街の中から絹を裂くような悲鳴が聞こえて来た。
「何事だッ!?」
途端に駆け出すオード。護衛と侍女もその後に続く。
「行こう!」
ジェイ達もこれは放っておけないと、悲鳴が聞こえた方へと駆け出す。
「お前達は皆を守れ!」
護衛にそう言い残し、スピードを上げるジェイ。巧みに人込みを縫うように進み、先行していたオード達も追い抜いて騒動の中心にたどり着いた。
そこは学生向けのレストランだった。少し贅沢したい時に使うような店で、二階が個室になっている。
周りには既に野次馬が集まっていた。ジェイはその声に耳を傾ける。
「おい、二階に立てこもってるの、ボー先輩らしいぜ」
「えっ、先輩卒業したんじゃ……」
どうやら卒業生が故郷に帰らず事件を起こしたようだ。
ジェイは人込みから離れ、開いている窓から見えないよう死角から店の壁際に近付く。
ここでオード達が、続けて明日香達も追い付いてきた。
「何があったんですか!?」
息も絶え絶えのオードを余所に、余裕がありそうな明日香が尋ねてきたので、ジェイは得た情報を皆に伝える。
「ハァ……ハァ……南天騎士団は何をしているんだ!? ゲホッ、ゲホッ」
オードが声を荒らげ、直後に咳き込んだ。
「南天騎士団……ってなんですか? エラ姉さん」
「王都カムートの治安を守る騎士団の一つよ。内都の南にあるポーラ島を任されているのが『南天騎士団』なの」
「つまり、奉行所みたいなものですね! すごいです!」
「でも、この時期は新入生への対応で人手不足なのよ……」
学園で三年過ごしたエラは、その辺りの事情をよく知っていた。
大勢の新入生が島を訪れるこの時期、島に不審者を入れる訳にはいかないのだ。
「あ、来たよ!」
モニカが指差す先には、こちらに駆けてくる若い三人の騎士の姿が。周りの野次馬達もそれに気付き、歓声で彼等を出迎える。
三人は到着すると、助けを求める店主から話を聞き、すぐさま店内へと駆け込んだ。
「あの子達……風騎委員だわ……」
「えっ? 何それ、姉さん。南天騎士団じゃないの?」
「彼等は、学園の治安を守る学生による騎士団よ。正式な名前は『威風騎士団』、南天騎士団のサポートとして町の事件に関わる事もあるけど……」
エラの歯切れが悪い。彼等はあくまで学生の半人前騎士、本職の南天騎士団ほど頼りにはならないという事だろう。ましてや、人質が取られているような状況では……。
「人質がどうなってもいいのか!?」
しばらくすると、二階の窓からと犯人らしき荒らげた声が聞こえて来た。やはり学生騎士には荷が重かったのか、犯人を刺激してしまったらしい。
「エラ……行ってくる」
一刻の猶予も無い。そう判断したジェイは、首を突っ込む事にした。
「それなら私も行きましょう」
「いや、危険だ」
「私なら『風騎委員』に話を通す事ができます。あの店長も知ってますし」
「……分かった、そっちは頼む。人質を救出したら合図するから…………」
「えっ? 今なんと……」
ジェイが最後に小さな声で何かを呟き、店と店の間の狭い道に身を滑らせる。
聞き取れなかったエラが確認しようと道を覗き込むが、その時既にジェイの姿は影も形も見えなくなっていた。
「えっ? えっ?」
明日香も覗き込み、二人は顔を見合わせる。何が起きたと侍女はエラを守ろうとし、幕府の護衛も慌てて腰の刀に手を掛け辺りを警戒する。
その一方でモニカとアーマガルトから来た護衛は、何が起きているのか分かっているようで平然としていた。
「姉さん、姉さん、早く行かないと。ジェイなら大丈夫だから」
「え、ええ、行ってくるわ。貴女、付いて来て」
「は、はい、お嬢様!」
エラは侍女を連れ、戸惑いながらも店の入り口でへたり込む店長に近付く。彼もエラの事を覚えていて、すぐに風騎委員に会わせてくれた。
応対したのは三人のリーダーである上級生で、幸い彼もエラの事を知っていた。
「あ、貴女の許婚が救助に? その許婚というのは実在――」
「しますから」
何か言いかけていたのをピシャリと止めた。
「しかし、素人が……」
「私の許婚は、龍門将軍を撃退した事があります。犯人が将軍より強いという事はないと思いますよ?」
「怖い事言わんでください。そんなヤツが島内で事件を起こしたら手に負えませんよ」
とはいえ、自分達ではこの状況を打破する事ができない。彼等もそれは分かっているようで、エラの申し出は受け容れられる。
三人は扉の前で突入の機会を窺い、エラは邪魔にならないよう、ここで引き下がった。
一方、部屋の中では怯えたウェイトレスの女性が椅子に縛り付けられ、抜き身の短剣を持った男がブツブツと呟きながら部屋の中をうろうろと歩き回っている。
扉の前にはテーブルなどが積み上げられ外から開けられないようになっており、窓は鎧戸まで閉じられていて部屋の中は暗い。
「どいつもこいつも……! オレだって……オレだってェ……!!」
男の名はボー。野次馬達が噂していた通り、先日ポーラを卒業したばかりの男だ。
目を血走らせており、呼吸も荒い。先程までの風騎委員とのやり取りも、まともに会話が通じていないようだった。
ウェイトレスにとって彼は常連客だった。朴訥な人柄で、彼女も悪い印象は抱いていなかった。だが、今の彼は全くの別人だ。
「なぁ~……オレと結婚してくれよォ……! オレの気持ちは分かってるだろォ……!?」
なんと、ボーがこれ程の事件を起こしてまで要求してきた事は彼女との結婚だった。華族といっても人間、この島でそういう話が無いとは言わない。
しかし、これまでボーからそういう話を持ちかけられた事は無く、彼女にとっては青天の霹靂だ。訳が分からない。分からな過ぎて、それもまた恐怖になる。
彼女が顔を引きつらせて答えられないでいると、次第にボーが興奮の度を高めてくる。
感情が限界を超えたのか、いきなり激昂したボーは奇声を上げて短剣を振りかぶる。
「そこまでだッ!」
その瞬間、不意打ちの回し蹴りがボーの脇腹に叩き込まれ、吹き飛ばされた。
ウェイトレスが恐る恐る顔を上げると、そこにはジェイの姿があった。
扉の前に積み上げられたテーブルなどはそのまま。彼が攻撃をしたのは窓とは反対側からで、どうやって部屋に入ってきたのかは分からない。
しかし彼女は助けが来た安堵感でいっぱいで、それを疑問に思う余裕は無かった。
ボーが呻きながら立ち上がろうとし、ジェイは彼女を庇う位置に立つ。
「がっ……がが……があぁッ!!」
興奮のせいか最早言葉になっていない。短剣を振りかぶり、ジェイに襲い掛かる。
これはまともな状態ではない。一目でそう判断したジェイは、短剣を持った腕を取り、力の方向を変えて壁に突き立てさせる。
そこから一転攻勢に移り、腕を攻めて短剣を手放させると、そのままボーを投げ飛ばして積み上げられたテーブルに叩きつけた。
これは流石に効いたようで、ボーはうめき声を漏らして動かなくなる。
「廊下にいる人、もう大丈夫だ!」
ボーの脚を引っ張って扉の前からどかし、ジェイが声を掛ける。
直後に風騎委員達が雪崩れ込み、倒れたボーに気付くとテキパキと縛り上げた。
「なぁ、この人こんな顔だったか……?」
「僕も親しかった訳じゃないからなぁ……」
悪魔のような形相のまま動かないボーに、風騎委員も戸惑い気味だ。
上級生はウェイトレスに近付き、縛り付けていた縄を切る。
その間にジェイは、壁に突き立てられた短剣に近付く。
柄に不気味で悪趣味な装飾が施された短剣だ。
「その凶器がどうかしましたか?」
すると上級生の風騎委員が近付いてきた。
「いえ、その人おかしくなっていたという話だったので、もしやこれが呪いの剣か何かなのかなと……」
「ははは、まさか。しかし、確かに悪趣味ですな……」
直接触るのははばかられたのか、風騎委員は手ぬぐい越しにそれを引き抜く。
ボーは鞘を所持していなかったようで、そのまま包んで詰め所に持ち帰った。
様子がおかしかった事は確かなので、後で剣についても調べてくれるようだ。
その後エラと店長がやってきて、ウェイトレスは店長へと引き渡される。
ジェイは、後日事情を伺うかもしれないと説明を受け、エラと共に店を後にした。
去り際に振り返り、先程の部屋の鎧戸が閉じたままの窓を見上げるジェイ。
これが『風騎委員ジェイナス』として関わる最初の大事件の始まりだとは、今の彼は知る由も無かった。
「ボー先輩」は「某先輩」なので、名前に特に意味はありません。