第47話 抜けば玉散る氷の大蛇
そろそろ次の手を打ってくる。そう判断したジェイは、警戒して少し距離を取った。
「……正解だ」
そう言うやいなや、ラフィアスはまた五本の氷の矢を放つ。
ジェイは剣で砕くが、その剣を戻すよりも早くラフィアスが間近に迫った。矢を放つと同時に動いていたのだ。
だが、ジェイは慌てない。剣を戻さず振り抜き、そのままの勢いで身体を回転させて後ろ回し蹴りを放つ。
それは牽制のためだった。しかし、剣戟のような硬質な音が響いた。
ジェイはすぐに距離を取り確かめる。蹴りが何に当たったのかを。
「なるほど、そうきたか!」
なんとラフィアスの手に、氷の大剣が握られていた。
鋭利で一見脆そうだが、先程の音から察するにかなりの強度がある。
違和感を感じ足下を見ると、蹴りを放った方の靴底に氷がまとわり付いていた。
ジェイは即座に床を蹴って氷を砕く。
見ると大剣の刀身は冷気を漂わせている。触れるとどうなるかは見ての通りだ。
「……寒くないのか?」
「多少はな」
ラフィアスは白い息を吐きながら、笑って答えた。
「だがこれは、僕の魔法の中でも使い勝手の良い方でね!」
その言葉と同時に、ラフィアスは斬り掛かってきた。
氷とはいえ大剣、軽い物ではないだろう。しかしその斬撃は鋭く、速い。本職騎士に劣らぬ腕だろう。
ジェイも負けてはいないが、剣で受けると、刀身に氷がまとわり付いた。やはり触れるだけで凍り付くようだ。
身体に触れれば、そこから凍り付いて動きが鈍るだろう。一度も触れられる訳にはいかないと、ジェイは大きな動きでその連撃を避ける。
「厄介な!」
「それはこっちのセリフだ!」
ここまで避けられるとは思っていなかったラフィアスが、声を大にして言い返す。
この氷の剣は、体内魔素を消費し続ける。長引かせる訳にはいかない。
「ならば!」
大振りの横薙ぎ、ジェイは後ろに飛んで避ける。
しかし次の瞬間、避けたはずの氷の刀身が彼の胸元をかすった。
制服のコートが凍り始め、ジェイの意識が一瞬そちらに向く。
ラフィアスはその隙を逃さず追撃しようとするが、ジェイはそれもかわしてみせた。
「……そりゃそうか、氷だもんな」
ジェイは胸元の氷を掃いながら呟く。
先程の攻撃は、避け損なった訳ではない。避けた瞬間に、氷の刀身が伸びたのだ。
「今ので決められると思ったが……」
そう言いつつ、ラフィアスは更に剣を振るう。
すると今度は巨大化した刀身が、大蛇のようにうねってジェイに襲い掛かった。
「こいつ、変幻自在か!」
「これこそが魔法だ!」
試合場を所狭しと暴れまくる氷の大蛇。審判はたまらず場外に逃げたが、ジェイは逃げる訳にはいかない。影の矢も駆使して攻撃をかわし、逸らし、そして防いでいる。
これまでにない派手な魔法を用いた戦いに、観客席から大きな歓声が上がった。
「ジェイー! がんばってーっ!!」
明日香も隣の試合場から元気いっぱいに両腕を振り回して応援している。
実は二人が戦っている間に隣では試合が進み、今は明日香が試合中だ。
しかし対戦相手も魔法使いの戦いに見入っており、明日香達はしばし戦いの手を止めていた。他の試合場でも同じ事が起きているようだ。
魔法使いが珍しいと言っても、上級生に一人もいないという訳ではない。
それでもこのような反応になるという事は、それだけラフィアスの魔法使いとしての実力が頭抜けているという事だろう。
「フフフ、良い歓声だ……魔法使いはこうでなくてはな」
歓声を浴びながら、ラフィアスは悦に入っている。しかし、大蛇は攻撃を緩めない。
触れれば凍り付いてしまうため、踏み込む事ができずに防戦一方だ。
一度直撃を防ぐために使った左腕は、肘まで氷に覆われてしまっていた。
下手に叩き割ろうとすれば腕にもダメージが入ってしまうため、その冷たさと重さに耐えながらそのままにしている。
「君も、もう少し魔法を使ったらどうだ?」
「そういうお前は、もう少し温存を考えろよ」
「それで勝てるかどうか、判断を誤るとでも?」
その笑みを見て、いっそ避け続けて体内魔素を枯渇させてやろうかと考えるジェイ。
しかしラフィアスも、その危険性は承知の上だ。闇雲に攻撃している訳ではない。ジェイが避けるのも計算の内であり、徐々に試合場の隅へと追い詰めて行く。
ラフィアスが大剣を掲げると、氷の大蛇が顎を大きく開いて襲い掛かってきた。
頭上から圧し潰そうと迫る大蛇。ジェイは影の矢を束ねて迎え撃ち、その頭を砕く。
すると今度は、その欠片が槍となって降り注いだ。
「ジェイーっ!?」
明日香が悲鳴のような声を上げる。
その声にも負けぬ音を立てて砕け散る槍。勢いよく飛び散った破片はラフィアスまで届き、彼はマントを使って顔を守る。
音と煙が収まると、ジェイがいた場所には砕けた氷が山となっていた。影の槍は既に消えている。
いかにジェイといえども、あのタイミングでは避けようが無かった。己の魔法に絶対の自信を持つラフィアスは、勝利を確信してぐっと拳に力を込める。
「油断したな?」
だが次の瞬間、強烈な衝撃が彼の背中を襲った。
そのまま倒れるが、咄嗟に受け身を取ったようで、ダメージそのものは少ない。
すぐに身を起こそうとするが、その喉元に切っ先が突き付けられた。
「…………降参だ」
魔法使いである彼ならばここからの反撃も可能だが、それは試合だからだ。実戦ならば突き付けられた剣が、そのまま喉に刺さっていただろう。
そう判断したラフィアスは、素直に負けを認めた。ジェイの勝利である。
「勝者、昴選手!」
試合場の外から審判が宣言すると、大歓声が闘技場を包んだ。
ジェイが手を差し出すと、ラフィアスはその手を取って立ち上がる。
「……いつの間に?」
「影を壁にして、その隙に。周りからは見えてたと思うぞ」
種明かしをすると、ジェイは氷の大蛇を迎え撃った時、影の槍を壁としてラフィアスから自分の姿が見えないようにしていたのだ。
そして氷の槍が降り注いだ時には既にジェイは影の槍から離れており、槍が砕け散ったのを目くらましにして、ラフィアスの懐に飛び込んだのだ。
丁度その時、ラフィアスがマントで顔を庇ったため、後ろに回り込むようにしたのだ。
おそらくそのまま攻撃していても、一撃では決着はつかずにそのまま試合は続いていただろう。
言うなれば敗因は、氷の槍で勝負は決まったと判断し、マントで視界を狭めてしまった彼の油断にあったと言える。
「……チッ!」
その事に気付いたラフィアスは、忌々しそうに舌打ちした。
彼の怒りは、ミスをしてしまった自分自身に向けられているのだろう。
「というかずいぶんと派手に魔法を使ったが、次の試合は大丈夫か?」
「ああ、それは問題無い」
右腕の腕輪をさすりながら、ラフィアスは答えた。いざという時の魔素結晶を嵌め込んだ、いわゆる「魔法使いの備え」である。
逆に言えば、備えを使うほど体内魔素の消耗が激しかったという事だが、それについてはジェイも触れなかった。
二人並んで試合場を出ると、興奮気味の明日香が嬉しそうにやってきた。
「すごいです、ジェイ!」
飛びついてきた彼女を、ジェイは受け止める。
そのままじゃれつく姿は微笑ましいのだが、ひとつ問題が。
「龍門選手、戻りなさい! 試合中ですよ!」
「あっ」
そう、彼女はまだ試合中だったのである。
戦いは止まっていたが、試合を中断していた訳ではなかったのだ。
本来ならば試合場の外に出た時点で場外負けだが、今回は事実上試合が中断していたという事で、注意だけして仕切り直しとなる。
「ジェイ~、見ててくださいね~♪」
そして再開した試合だが、明らかに勢いに差があった。
ジェイの勝利を見届けた明日香が、勢いに乗りまくっていたのだ。
武芸の腕にも差があったようで、怒涛の攻めを見せた明日香は、最後に相手の剣を試合場の外まで弾き飛ばした。
「ま、まいった! 降参だ!」
「勝者、龍門選手!」
審判は明日香の勝利を宣言。明日香は一礼すると踵を返し、改めてジェイに飛びつく。
これでジェイと明日香、お互いに一勝である。
今回のタイトルの元ネタは、活動写真の弁士などが剣劇で用いたフレーズ「抜けば玉散る氷の刃」です。
更にその元ネタは『南総里見八犬伝』の村雨だと言われています。