第3話 ここで会ったが百時間目
橋を越え、一行はポーラ島に入った。
この島には、ポーラ華族学園と関連施設が揃っている。商店等もあり、島内だけで生活できるだけの環境が整えられている、正に学生のための島であった。
しばらく進むと小さな橋にたどり着く。ここも橋の袂に騎士達の詰め所があったが、先程よりは簡単なチェックで通る事ができた。
「は~い、ここがポーラ島8番通り、『学生街』となりま~す♪」
橋を越えて一軒家が立ち並ぶエリアに入ると、エラがにこやかにガイドを始めた。
この水路で囲まれた一帯が「学生街」だ。その名の通り学生用の宿舎は全てこのエリアにあり、特に大きな南北の橋を結ぶ通りが「8番通り」である。
「見て見て、ジェイ。全部庭も付いてるよ。結構良い家だなぁ」
「騎士として、鍛錬する場所が必要ですからね。お庭は必須です」
思いの外大きい家にモニカは驚いたが、エラがその理由を説明してくれた。
モニカは庭の方に注目しているが、宿舎の方も5LDKある。
家臣の人数によっては部屋が余るが、この辺りは一律そういう事になっているそうだ。
「学生一人につき一軒ですか? あたし達も、一緒に暮らせないんですか?」
「許婚がいる場合は、別の建物になるんです。だから大丈夫ですよ♪」
そう言ってエラは笑った。
「つまり独り身用……それはそれで気楽? あ、でも、ジェイがいないのは嫌だなぁ」
「家臣も一緒という事は、家内を差配する練習にもなるって事ですか?」
「ええ、まぁ……。いや、ホント大変なんですよ~……。ほら、許婚がいれば夫婦の共同作業~ってできますけど、私在学中は独り身でしたし~……うふふふふ……」
何かがにじみ出るような自嘲の笑いだった。
それからしばらく進むと、周りの建物が一軒家から屋敷に変わっていった。
「こ、これも宿舎? 学生用の? そりゃジェイの家よりは小さいけどさ」
モニカは驚いていたが、ジェイナスと明日香は納得していた。家臣達も一緒となると、これぐらいは必要になると。
「ああ、ここですね。昴家が契約した宿舎は」
そして到着したのは、通りの一角にある生け垣に囲まれた屋敷だった。厩舎と車庫付きで、他の屋敷と比べても庭が広い。エラ曰く獣車を持つ生徒用の宿舎だそうだ。
冷泉家の護衛達の役目はここまでだった。彼等はエラから任務完了の証明書を受け取ると、「がんばれよ、新入生!」と言い残して帰っていった。
まずは家臣達に荷物を運び込ませ、その間にジェイナス達は居間に集まる。
だがその前に、モニカが騒ぎ出した。
「ちょっと待ったー! ボクの荷物は自分でやるから!」
「モニカ様、それは私達の役目で……」
「その理屈は分かるけど……分かるでしょ!?」
絡まれた侍女は分からず、困惑している。
「あ~、モニカの荷物は、部屋に運び込むだけにしておいてくれ。開けなくていい」
「はぁ、承知しました」
そして不安そうなモニカの手を引いて居間に移動。家具は備え付けの物があったため、テーブルを囲んで腰を下ろす。
最後になったモニカは、どこに座るかでおろおろしていたが、明日香がにこやかに手招きしていたので、その隣にちょこんと座った。
四人が席に着いたところで、エラが神妙な面持ちで話し始める。
「さて、こうして無事に三年間を過ごすお屋敷に到着した訳ですが……」
真剣な表情だ。ジェイナス達からすれば、初めて見る顔だった。
何事かと、三人も居住まいを正して彼女の言葉を待つ。
「これからは私達は許婚として一緒に暮らしていく事になります。許婚として」
大事な事なので二回言った。
「ですから……お互いの呼び方を改めませんか?」
深刻な話ではと思っていたジェイナスは、思わずつんのめって倒れそうになった。
「……はい?」
「だって~、二人が『ジェイ♪』『モニカ♪』って呼び合ってるの、すっごくうらやましいんですもの~」
そう言っていやんいやんと駄々っ子の仕草を始めるが、微妙にわざとらしい。
しかし、そんな姿も可愛く見えてしまう十九歳である。
「はい! あたしもジェイって呼びたいですっ!!」
そして明日香も乗ってきた。エラの隣に移動して一緒に駄々っ子になる。
二人とも乗ってきたのか、段々身振りが大袈裟になってきた。
ジェイナス、いやジェイとしては、呼び捨てにされるのは構わない。
「ジェイって呼ばれるのは構いませんけど……俺は?」
「さん付けは無しで♪ あと、堅苦しい喋り方も改めてほしいな~♪」
口調も改めるように求めてくるエラ。確かにジェイは、ここまで二人を冷泉家の令嬢、幕府の姫として扱い、失礼が無いようにしてきた。
しかしモニカに対してだけはいつもの調子だったので、それが二人に壁を感じさせてしまったという面もあるのだろう。
すなわちエラの提案は、こうして共に暮らす家に着いたのだから、ここからは「客人相手」ではなく、「家族相手」に意識を切り替えようという事だ。
「あたしも『姫様』禁止です! モニカさんもですよ!」
「ボクはさん付け!? いやいやいやいや、こっちも呼び捨てでいいから!」
「分かりました、モニカっ!」
「それじゃ私も……」
「エラ姉さんで!」
呼び捨てにしてと言われる前に、先手を打って姉さんと呼ぶモニカ。
エラとしては皆と同じように呼び捨ての方が良かったようだが、明日香もその呼び方が気に入ったため、なし崩しに姉さんと呼ばれるようになっていた。
「ジェイ君は、エラって呼んでね♪」
「分かりました……いや、分かった。というか『君』は付けるんだな」
「これは親しみを込めて、ですよ♪」
明日香とモニカも、ちゃん付けで呼ぶようだ。
これも彼等が家族となるための通過儀礼のひとつであろう。
「ところでエラ、この後は挨拶回りに行けばいいのかな?」
「いえ、それは来客を迎える準備が整ってからですね。返礼の使者が来ますし」
ここは学生街なので、周りの先輩達もその辺りの事情は分かっている。そのため、新入生から挨拶に来ない限りは、その家を訪ねないというのが暗黙の了解らしい。
その辺りを知らない新入生が先に挨拶回りに行き、後で大慌てになるというのも、この時期の学生街では割と見掛ける光景であった。
「そういえば、アーマガルトの名産品は持ってきました?」
「『アマイモ』なら」
赤みがかった甘い芋、いわゆる「サツマイモ」のような芋だ。「アーマガルトのイモ」略して「アマイモ」である。
「では、それで何かを作って挨拶の手土産としましょう」
「それなら『アマイモケーキ』だな」
いわゆる「スイートポテト」である。
「あ……アマイモケーキ作るには、材料足りないんじゃないかな? ミルクとか」
「それじゃ、お買い物ですね♪ あたし、自分でお買い物するの初めてなんです!」
「じゃ、ボクは留守番……」
「皆でお買い物ですよっ!」
「ちょっ、放……力強っ!?」
残ろうとするモニカを明日香が連れ出し、四人は買い物に出掛ける事にする。
お供はジェイの護衛、明日香の護衛、エラの従者の三人だ。
護衛だけでなくジェイ達も腰に剣を佩いている。彼等は学生とはいえ華族なので、出掛ける時は必須である。モニカが不慣れだが、それでも短剣だけは持たせておいた。
学生街を出て東に進むと、様々な商店が立ち並ぶ大きな通りに出た。
学生用宿舎が並ぶ「学生街」に対し、こちらは「商店街」である。この通りは獣車の進入が禁止されているため、通りには歩行者の姿しか無い。
「へぇ~、賑やかですねっ!」
明日香が早速目をキラキラさせて、今にも駆け出しそうだ。
ジェイが手をつないで止めようとするが、その前に背後から声を掛けてくる者がいた。
「昴家のジェイナス! ここで待っていれば必ず来ると思っていたぞ!」
明日香も足を止め、声のする方に振り向くと、明るい金髪をやたらと仰々しい七三分けにした男がジェイを指さしていた。
「何故なら! 商店街は、新入生にとって必須の場所だからっだァーーーッ!!」
そして高笑いを始める。ちなみにこの男、毎日ここで待ち続け、今日で三日目である。
とはいえ身なりは良く、後ろに護衛と侍女が控えている。この男も華族だ。
ひとしきり笑うと、男はずかずかとジェイに近付いてきた。
モニカがジェイの背に隠れ、明日香が前に出ようとするのをジェイが止める。
「フッフッフッ……知っているぞ。卿は冷泉家と見合いをしたのだろう?」
チラリとエラの方を見ると「お見合いに行くために冷泉家の獣車が内都を出た事は知られているでしょうし、相手が昴家というのも噂にはなってたでしょうね」と返ってきた。
「その事でしたら、無事にまとまりましたが……」
「なんだとぉ!?」
ジェイより背が高く大柄な男が、目をむいて顔を近付けてきた。
「つまりあれか!? 君がメアリーさんと婚約を!? やっちゃったのか!? 婚約を!!」
「は? 何の話だ!?」
その勢いに、反射的に手で押し返そうになるが、その前に男の方がのけぞって離れる。
「メアリーさんを危険な国境最前線まで呼びつけるなど! 失っっっ礼にも程があるぞ、卿ぉ~~~っ!!」
「……だから誰だよ、メアリーさん」
「私の妹で~す♪」
エラの一言で、おおよその事情が見えて来た。
「メアリーさん! 可憐な貴女には吾輩! このオード=山吹=オーカーこそがぁ相応しいぃぃぃ…………って、あれ?」
そこでオードは、ピタリと動きを止めた。彼の言うメアリーさんがこの場にいない事にようやく気付いたのだろう。
「おや、お久しぶりですエラさん。どうしてこちらに?」
そしてエラの存在に気付き、恭しく一礼する。
「この度、婚約が決まりまして♪」
そう言ってエラは、ジェイと腕を組んだ。
「…………マジで?」
あんぐりと口を開けるオード。言葉遣いを忘れるぐらい驚いたようだ。
「そ、それはそれはおめでとうございます! どうやら勘違いをしていたようです! 失礼いたしました!!」
オードはズザザッと後退って、深々と頭を下げた。
「……まぁ、私は構いませんよ」
「いや、まぁ、誤解は解けたようなので、俺も謝罪は受け取ります」
「そ、そうか! 卿は良いヤツだな! 改めて名乗らせていただこう! 吾輩は新入生のオード=山吹=オーカーだ!」
「ジェイナス=昴=アーマガルト。俺も新入生です」
お互いに自己紹介をして、ひとまず握手をしようとする。
しかしその瞬間、商店街の中から絹を裂くような悲鳴が聞こえて来た。
「何事だッ!?」
途端に駆け出すオード。彼の護衛と侍女もその後に続く。
「行こう!」
ジェイ達もこれは放っておけないと、悲鳴が聞こえた方へと駆け出した。
今回のタイトルの元ネタは、落語の演目『百年目』にあるセリフ「ここで会ったが百年目」です。