第292話 モノクロームの死闘
「不敬であるぞ! 腐れ血の魔法使い!!」
獣の唸り声のような音を立てて黒子世界が震えた。
太陽の肉腕だけでなく、周囲のモノクロ空間から黒色の槍が生み出されジェイに襲い掛かる。
艶のある黒曜石のような巨大な円錐状の何か。鋭く、硬質で、ただただジェイを殺す事に特化した「形」をしている。
迫り来るそれらを、ジェイは背中の大蛇で迎え撃つ。
これは魔法同士のぶつかり合いだ。正面からでは魔神ではないジェイに勝ち目は無い。
大蛇でいなし、逆にその反動を利用して回避する。
これでは近付く事もできないが、それでもジェイはその一瞬に懸けるために両手に体内魔素を集めながら隙を窺っていた。
激しさを増していく攻撃に、ジェイは不敵に笑う。
ここまでの戦いの傾向から察するに、ダ・バルトという魔神は「形」に拘る傾向がある。
新魔王として君臨するために魔王像を作り上げた。
百魔夜行を率いて攻めてきた事も「軍勢を率いる王」を演出する意図があったと考えられる。
『純血派』とつながっていた事もそうだ。ダ・バルトの中には目指すべき魔法国の「形」があるのだろう。
操り人形ありきの魔法の主というのも影響しているのかも知れない。
「……余裕が無くなってきたか?」
だからこそ、ジェイはそう判断する。
避けきれずに黒の円錐が肩を掠めた。傷口はきれいなもので、一拍遅れて血が噴き出す。
一度でも直撃を食らえば敗北必至だろう。しかし、それでもジェイは揺らがない。
先程の黒の円錐がそうだ。あのジェイを殺す事だけに特化したシンプルさ。
ここまで『形』に拘ってきたダ・バルトとしては、文字通り『形』振り構わぬ必死さではないだろうか。
そう、ダ・バルトには焦りが見える。それは何故か?
「……ああ、やっと確信が持てた」
円錐を急旋回で避けつつも、ジェイの視線は醜悪な太陽を捉えて離さない。
「誤魔化そうとしていたようだが……やっぱりお前が本体だな?」
『形』に拘るという事は、表の顔を取り繕っているという事。
それすら忘れて形振り構わずジェイを始末しようとする理由は、正しくそれであった。
「余裕が無いのは……貴様であろう!」
更に激しさを増すダ・バルトの攻撃。
死角から襲い掛かる円錐、少しでも近付こうとすると無数の肉腕が迎え撃つ。
魔法使いと魔神、力の差は歴然だ。黒の円錐の攻撃は一撃必殺、命中すれば間違いなく人の身に過ぎない肉体は粉々となるだろう。
ジェイは回避一辺倒で、攻撃に転じる隙を見出せない。
「……本当にそうか?」
しかし、今この場において、焦りを見せているのはダ・バルトの方だ。ジェイはそのように感じられた。
ダ・バルトの攻勢も繕うための「形」だという考えに至った時、ジェイは思わず笑みを浮かべてしまった。
「ありがとう……礼を言っておこうか」
「……なんだと? 気でも触れたか?」
肉塊の表面が歪む。それが眉をひそめているように見えた。
「確信を持てたのはお前のおかげさ」
その間も止まぬ攻撃、弾いた反動で跳ね飛ばされるジェイ。それでも視線は真っ直ぐに醜悪な太陽を捉えて離さない。
「お前を倒せば、この戦いは終わる」
「……ッ!?」
直後、更に激しくなる攻撃。図星と言っているかのような反応である。
そう、醜悪な太陽が本体。黒子世界は魔法で生み出した空間。この空間のどこか別の場所に本体が隠れている訳ではない。それが答えだ。
ジェイの背後から声を出す等、本体は別にあると誤認させようとしていた。しかし、それはブラフ。
おそらく黒子世界もダ・バルトにとっては操る対象なのだろう。円錐による攻撃も、その一環だ。
「この戦いは終わる! その通りだ! お前の死をもってなぁッ!!」
「後半は同意しかねるなぁッ!!」
こうなるとダ・バルトも、ジェイを生かして帰す訳にはいかなくなる。
黒子世界に入れる可能性がある時点で危険分子であったが、本体について知ってしまったとなると尚更だ。
ここまで肉腕は、ジェイの接近を待ち構える形を取り、攻撃は黒の円錐に任せていた。
しかし、ここからは肉腕を伸ばして攻撃に参加させてジェイを追い詰めようとしてくる。
肉腕で包囲網を作る事により、ジェイの回避を押さえ込もうというのだ。
これによりジェイは、大きく回避する事ができなくなるが……。
「ありがとう! もう一度言わせてもらうぞ!!」
「なっ……!?」
肉腕が彼の動きを制限するまで伸びてきたという事は、本体まで続く「道」が近付いてきたという事でもある。
ジェイは円錐の攻撃ギリギリをかいくぐり、頬と左腕に傷を作りながらも肉腕の上に降り立つ。
特に左腕の傷が重いが、問題は無い。本体まで走る足も『刀』を叩き込むための右腕も健在だ。
ジェイは本体に向かって駆け出し、ダ・バルトは肉腕で迎え撃つ。
しかし、それは「道」を増やす事でもある。黒の円錐による背後からの攻撃を、ジェイは手近な肉腕に飛び移る事で回避した。
「ギャアァァァァァッ!!」
回避された円錐は、止まらずそのまま本体に命中。ダ・バルトの叫びが黒子世界そのものを震えさせた。
肉腕も震えて足場が不安定となるが、ジェイは前のめりに突き進む事で辛うじて転倒を防いだ。
そして『刀』を発動させ、そのまま倒れ込むように本体へと突き立てようとする。
「滅びろ、ダ・バルト!」
「させるかぁぁぁ!!」
だがダ・バルトは肉腕を集め、食らいつくように黒炎の『刀』を受け止めた。
黒炎と肉腕が相殺し合い、モノクロの黒子世界を雷光がつんざく。
「ぐっ……!」
「……勝った!」
喜色が漏れる声で勝ち誇るのはダ・バルト。
相殺し合うとなれば、体内魔素の量で勝負が決まる。そしてその分野においては、魔法使いに勝ち目は無い。
今ジェイは、急激に体内魔素を失う脱力感に襲われているだろう。
黒炎の『刀』を相殺して消し飛ばしたら、後は肉腕でジェイを貫いて終わりだ。紙を破るように、容易く引き裂く事ができる。
これで黒子世界を知る者は、入り込める者はいなくなる。
何よりダ・バルトを止められる者がいなくなる。
これぞ完全勝利だ。後は新魔王の像を内都の王城まで進めるだけである。
「舞台裏を……覗くべきではなかったな」
ダ・バルトに口という器官があれば、ほくそ笑んでいたであろう。
これで仕上げだと、肉腕に力を込め――
「なぁっ!?」
――その肉腕が弾け飛んだ。
「馬鹿な!? 馬鹿な!!」
何故魔素量の勝負で負けるのか。
有り得ない。有り得るはずがない。魔法使いを凌駕するからこそ魔神のはずだ。
ダ・バルトは新たな肉腕でジェイを止めようとするが、全て黒炎の『刀』で斬り払われて塵となり、その間にもジェイは本体に近付いて行く。
「何故だ!? 何故斬れる!? 腐れ血の魔法使いの魔法ごときで!!」
魔法も、魔神の肉体も魔素によって形作られている。
魔神の肉体を傷付けるには、魔神の膨大な魔素に打ち勝たなければならない。
にもかかわらず斬られる。容易く斬り刻まれる。
ジェイがこの一瞬で勝負で決めるために体内魔素を振り絞っているというのもある。
だが、それだけではない。
ダ・バルトは知らなかったのだ。
ダ・バルトの魔法が操る事に特化した魔法ならば、『暴虐の魔王』から受け継がれた黒炎の『刀』は……魔神を滅ぼす事に特化した魔法である事を。
「これで……終わりだ!」
そして肉腕の根本、本体の目の前まで到達したジェイは、黒炎の『刀』を醜悪な太陽に突き立てた。