第288話 伝説の1ページ
一方その頃、町は騒然たる有様となっていた。
新たな魔王と呼ぶに相応しい姿となったダ・バルトの巨人。その威容は巨人が迫る繁華街だけでなく商店街、学生街からも見えていた。
それが人々の恐慌に拍車を掛け、本土に逃げようとする者達は橋へ、海へ逃げようとする者達は港へと向かう。
町に残っていた人達も迫る巨人には耐え切れなかったようだ。着の身着のままで逃げる者、荷車を曳いて逃げる者。町は逃げ出そうとする者達でごった返している。
ある家族も、荷車に家財道具一式を積み込んで避難しようとしていた。比較的逃げる準備に時間を掛けられた一家と言える。
父が荷車を曳き、母は後ろから押し、子は積み込んだ家財道具の上に腰掛けている。
その子が南方の空を指差しながら、父に声を掛ける。
「……ねえ、あれ! あれ!」
「あん? なん……!?」
父と母が振り向いた直後、直後、爆音と地震が彼等に襲い掛かった。
バランスを崩して転んだ父は、荷車に積み上げた荷物に顔をぶつけてしまう。
痛む鼻を押さえながら、子供が落ちていないか確認しようとすると……。
「な……なんだありゃ……?」
子の肩越しに見える異様な光景。巨大な光の柱が天を貫いていたのだ。
それが何であるのか、理解できない者には美しい光景にも見えたのではないだろうか。
しかし、理解できたものにとってはそうではない。
揺れと共に光が収まると、前に突き出されている巨人の両腕が見えた。そう、あれは魔王による攻撃であると。
同じく、その光景を目撃していた男が口を開く。
「き……消えた……!」
光の柱が立っていた場所、いつもならば遠目に見ていたものが見えない。
「……こ、古城が……消えた!!」
ダ・バルトの巨人の一撃は、繁華街に中心にそびえ立つ古城を消し飛ばしていたのである。
かつては華族学園の校舎としても使われていた古城。今なおポーラ島最大の建造物であり、ポーラ島の象徴とも言えるものが一瞬にして消滅した。
その光景を目の当たりにした人々が受けた衝撃は、どれほどのものか。
「うわあぁ! 逃げろおぉぉぉ!!」
誰かの声を皮切りに、皆が一斉に駆け出した。
巨人が再び攻撃してくるかも知れない。一刻も早く逃げなければいけない。
荷車を曳いていた一家も、このままでは逃げ切れないと荷車を捨て、父は子を背負い、母の手を引いて走り出すのだった。
「……そこまでやるか!」
その光景は、巨人の頭部に侵入できないかと首筋に貼り付いていたジェイからも見えていた。
一撃で古城を消滅させた破壊力は、凄まじいものがある。
しかし、それよりも問題となるのは射程だ。
繁華街に入れまいと待ち構えていたであろう武者大路達にしてみれば、いきなり頭上を飛び越えて町の中心部にある古城を攻撃されたのだから。
あの一撃は、町の人達とは別の意味で心を折りかねない一撃であった。
「それにしても、こいつは……」
ジェイは、冠から生えた仰々しい角に目を向ける。
これまでに何度か魔神と戦ってきたジェイ。そんな彼から見ても、この魔神ダ・バルトは明らかに毛色が違う。
魔神というのは、魔法を極めた者。それだけに自分の魔法に絶対の自信を持っている。
ラフィアスもそういう面があると考えると『純血派』の魔法使いとしては、そう珍しいものではないのかも知れない。
しかし、この魔神ダ・バルトは少々異なる。
魔法に絶対の自信があるのは変わらないだろうが、それだけではないのだ。
ダ・バルトには自身の魔法以外に重視しているものがある。それは……「権威」だ。
「魔神」ではなく「魔王」となるために必要なもの。
ただの巨人では終わらず、冠を被る等で着飾ったのもその一環であろう。
力だけでなく、それ以外でも人々を畏怖させようとしている。
「……本気で魔王になるつもり……いや、魔法国を復興させるつもりなのか」
その辺りから真の目的が見えてきた。ダ・バルトはただ魔神の頂点たる「新たなる魔王」になりたいのではない。「新たなる魔法国の王」になろうとしているのだ。
古城を消滅させたのも、そのためだろう。
魔法国時代のあの城は『賢母院』ポーラ、すなわち『暴虐の魔王』の一族が居城としていた。言うなれば、今も残る魔法国のシンボルとも言える城だ。
魔神ダ・バルトはそれを完膚なきまでに破壊する事で、自らがかつての魔法国以上の存在だと示そうとしたのだろう。
地上に目を向けると、ダ・バルトを足止めしようとしていた騎士達が散り散りに逃げていく姿が見えた。
武者大路は剣を振り回しながらも、他の騎士に羽交い絞めにされ、数人掛かりで引きずられていく。おそらく残って戦おうとする彼を、周りが必死に止めたのだろう。正しい判断である。
彼等に対して、ダ・バルトが追撃する事はない。意にも介していない様子だ。
あるいはあえて生かしておく事で、彼等を目撃者にしようといるのかもしれない。新しい魔王と魔法国誕生、その瞬間を見せるために。
「なるほど……分かりやすくなった」
新魔法国と新魔王。その権威を打ち立てるために旧魔法国の象徴を破壊した。ジェイは、先程の攻撃の意図をそう結論付けた。
そのまま巨人の足は繁華街に近付いているが、おそらくダ・バルトは繁華街そのものには興味が無いだろう。古城が失われたので、興味を失ったと言い換えてもいい。
それでも歩みを止めないのは、次の目標がその先にあるからだ。
旧魔法国を打倒して興された国、セルツ王国。その象徴である内都の王城である。
セルツ王国の権威をも破壊してこそ、新魔法国の権威は確かなものとなる。
つまり、先程古城を消滅させた攻撃が、王城に届くようになるまでがタイムリミットだ。
セルツの王城を消滅させられてしまえばジェイの敗北。
ならば、どうすればジェイの勝利となるのか?
「こっちも叩き潰してやるしかないだろう……完膚なきまでに!」
その言葉と共に、黒炎の『刀』が巨人の右目を斬り裂いた。
額から頬に掛けて付いた大きな傷。ジェイはそこを通って内部に侵入する。
頭部の中は、空洞になっていた。ダ・バルトの本体を収容するためだろう。
中は微かな光があり、薄暗い。頭部の裏側が光沢がある黒曜石のようで、ぼんやりと青白く光っているように見える。
光源に視線を向けると、頭部の中心であろう場所に何かが浮かんでいた。
「人……か?」
よく見るとそれは、膝を抱えてうずくまった人の形をしていた。顔は伏せられ、膝に埋まっている形だ。それが青白い光を微かに放ち、頭部内を照らしている。
「それがお前の本体か……魔神ダ・バルト!」
その言葉に応えるように、それはゆっくりと顔を上げる。
そこに人の顔は無く、逆さまにした卵のような頭部に切れ長の目だけが赤い光を放っていた。
「フフフ……人間風情が、よくぞここまでたどり着いた……」
頭部に口は無いはずなのに、声が聞こえる。頭に直接響いているのかも知れない。
「ああ、お前はまだたどり着いていないようだがな……こっちは王手だ」
ジェイの勝利条件、それは魔神ダ・バルトの権威を破壊し、新魔王たる資格は無いと示す事。
破壊すべき象徴は……ここにある。
「このまま叩き潰してやるよ……この巨人ごとな!」
そう、新魔王に相応しい姿となった巨人。旧魔法国の象徴を一撃で消滅してみせた巨人。
これを破壊する事により、新魔王ダ・バルトの権威を完膚なきまでに破壊する事ができる。
「フフフ……『王』手か……勇ましい事よ。そなたこそ、この時代の『勇者』に相応しい」
魔王になろうとしている者の前に一人立つ。確かにこの状況は、勇者伝説の一節のようだ。
逆に言えば、ここでジェイを返り討ちにできれば、新魔王ダ・バルトの権威はより強固なものとなるだろう。
ダ・バルトは膝を抱えていた両腕を広げ、足を伸ばし、戦闘態勢を取った。
「では、掛かってくるがいい……貴様を歴史の一節としてやろう……!」
伝説の1ページですが、誰の伝説になるかはこれから次第です。




