第287話 魔王顕現
「みなさーん! 逃げてくださーい!!」
防塁に到着した時、明日香はアメリアを背負っていた。彼女が途中で息切れしたためだ。
おかげで走らずに済んだが、揺れが酷かったようでアメリアは顔を青くしている。
「無事だったか! 向こうはどうなっているんだ!?」
極天騎士団団長の武者大路がドタドタと駆け寄ってきた。彼はここの指揮官だ。
怪我人を治療し、もはや戦えぬ者達は後方に送り、そして次の戦いに備えて防塁を応急修理していたところにあの巨人である。
「何があった!? まさか、あいつらは……!」
「大丈夫です! ジェイは今も戦ってます!」
そのように考えてしまうのも無理はないだろう。明日香は慌てて否定した。
「それより、早く逃げてください!」
「いや、しかしだな……」
やはり武者大路は良い顔をしない。元よりセルツを守るために命懸けの覚悟で来ているのだ。ここで命を惜しむという考えは無いのだ。
どう説得すればいいのか。明日香が途方に暮れていると、背負っているアメリアが口を開く。
「あ、あのっ……! 今、ジェイが魔神の本体を倒そうとしてるから……! でも、その間巨人の足を止める方法が無くて……!」
「たとえ敵わずとも、一秒でも進軍を遅らせるのが我等の役目だッ!」
「そ、その一秒が無理なんだって! 龍門将軍でも無理なんだからっ!! ケホッ、ケホッ」
「ぐぬぅ……!」
必死に訴え、そして咳き込むアメリア。その名前は効いた。龍門将軍の強さは、もはや伝説である。
「そ、そうです! ここはジェイを信じて!」
「うぅむ……」
ここぞとばかり畳み掛ける明日香。魔神討伐の実績があるジェイの名前も出されると、武者大路も納得せざるを得なかった。
「……仕方あるまい! 町まで防衛線を下げるぞ!」
町というのはポーラ島にある町の南端、古城のある繁華街の事だ。
そこまで巨人が到達するならば、無駄であろうとも戦う。そこが妥協点であり、譲れない一線なのだろう。
防塁に残っていた騎士達は、とにかく武器だけを手に取り移動を開始。
彼等も巨人が町に迫れば、命を捨てて戦う事になるだろう。
「ジェイ、がんばって……!」
明日香でも、それを止める事はできない。
彼女にできるのは、ジェイがその前に巨人を止めてくれる事を祈るばかりであった。
一方その頃巨人は無数の羽を発射、周囲を破壊しては回収する事を繰り返しつつ、ゆっくりと一歩ずつ内都に向かっていた。
羽が戻って来るたびにジェイの動きは妨害され、振り落とされこそしないものの、遅々として進まない。
龍門将軍も何度か巻き込まれているが、羽を弾き、叩き落として凌いでいる。
「ほほう、これはこれは……!」
ダ・バルトは、周りを攻撃する事だけを目的にはしていない。それに気付いたのは龍門将軍だった。
集まった羽は外套のようになっていた衣服部分を更に大きくし、更には集まった羽が衣服だけでなく装飾品まで形作り始めたのだ。
森であった場所を抜ける頃には一対の角を持つ冠まで完成しており、龍門将軍はその威容を見上げて口を開く。
「おお! まるで王のようではないか!」
無数の羽によって飾り立てられたその姿は、さながら黒衣の王、いや魔王であった。
「な、なんだあれは……!」
その姿は、撤退中の武者大路達からも見えていた。
ざわめく騎士達。戸惑いの声が多い。
人の姿と言うにはどこかいびつであったダ・バルトの巨人が、威厳すら感じさせる姿となっている。
その姿に恐れを抱く者も出始めているようだ。
「い、急げ! 足を止めるな!」
とにかく今は、町まで退くしかない。
しかし、巨人が迫った時に自分達は戦えるのか。慄く騎士達を叱咤する武者大路自身も、その点は自信を持てずにいた。
一方『黒衣の魔王』の足元では、龍門将軍が目を輝かせていた。
「これはこれは、随分と着飾ったものだ!」
皮肉を言っている訳ではなく、心底感心している様子だ。
そして、その大声はジェイにも届いている。
「なるほどな……『魔王の帰還』か」
魔神ダ・バルトの目標はセルツの内都。かつてはカムート魔法国の都であった地を取り戻し、魔法国を復活させようとしているのだろう。
その新たな魔法国に君臨するのは誰か。答えはこの姿にある。
ダ・バルトは内都に攻め込むにあたり、新魔王に相応しい姿となったのだ。
形から入ったとも言えるが、それだけではない。
この姿は、遠くからも見えているだろう。魔王の帰還を印象付ける演出としてはかなり有効なものだと言える。
巨人の魔王が目前まで迫り、降伏を迫れば、果たしてどれだけの人間が心折れずに抵抗する事ができるだろうか。
武者大路側の様子を知らないジェイでも、それは難しいという事が容易に想像できた。
町は最終防衛ラインではなく、『黒衣の魔王』がそこにたどり着けば、ゲームオーバーだ。
それまでに巨人を止めるしかない。
『黒衣の魔王』が完成したためか、羽を発射する頻度が下がった。その隙を突き、ジェイは影を使って頭部へと登っていく。
黒羽の外套に隠れながら、胸から肩へ。
羽一枚一枚が鋭い刃であるため影で身を守りながら進んだジェイは、やがて外套を抜けて巨人の首元までたどり着いた。
冠を被った頭部を見上げると、顔にも手が入ったのかより精悍になっている気がする。
黒曜石のような光沢のあるマスク。これが魔王の威厳というものなのかと考えつつ、ジェイは内部に侵入しようと試みるのだった。




