第28話 森のーくまさーん
モニカはジェイに顔を近付けると、騎士達には聞こえないよう、耳元で小さく囁いた。
「ねえ、ジェイ……この地図……赤く光ってる部分がある。嘘が書かれてるよ」
モニカの魔法『天浄解眼』。それは書面上に書かれた文章の間違っている箇所が、使用者にだけ赤く光って見える魔法である。
ジェイはすぐさま騎士達の様子を確認。モニカの言葉が聞こえていた様子は無い。
すぐさま指の動きで家臣に指示出し、騎士達からジェイ達が見えないようにさせる。
そして明日香も呼び、ジェイ、モニカ、明日香の三人で一枚の地図を覗き込んだ。
「ほら、ここ……」
そう言ってモニカが指差したのは森の奥「森番の小屋」と書かれていた。
「ここのね、『森番』だけが光ってるの」
「それ以外は本当なのか」
ジェイの言葉に、モニカが小さく頷いた。地図上にはいくつかの「森番の小屋」があるが、その内のひとつの「森番」だけが光っているとの事だ。
「それってつまり……小屋は有るけど、居るのが森番じゃないって事ですか?」
そういう事になる。問題は小屋にいるのが何者かという事だが……。
「えっと、先生とか?」
「先生の待機場所としては遠くないか?」
明日香の推測に、ジェイは首を傾げる。
その小屋の場所は、演習のゴールに向かうルートとは大きく離れていた。ゴールが南東の端だとすれば、小屋は南西の半ばといったところだ。
迷子に対する備え、実は最初のゴールはチェックポイントで小屋が最終ゴールなど、色々と思い付きはするが、そこまでだ。
ここで三人顔を突き合わせていても文殊の知恵とはならない。これ以上の情報が無い以上、確かめるならば現地に行ってみるしかない。
演習とは関係無いかもしれないが、気になる。
地図に嘘がある前提で考えてきたが、もし仮に嘘が無いとすれば、本物の森番が排除されて小屋を乗っ取られている可能性も考えられるのだ。
「よし、俺が先導する。『の小屋』が正しいなら、場所は合ってるはずだ」
放ってはおけない。ジェイは、そう判断した。
モニカのフォローをしながら、小屋に向かって進んで行く。
ついてくる三人の騎士は、時折ひそひそと話しながら付いて来る。演習中だから口は挟んでは来ないが、大幅に道を間違えているとでも思っているのだろう。
「魔獣は出ませんねぇ……」
「演習前に間引くとかしてるんじゃないか?」
ジェイがチラリと騎士達に視線を向けると、彼等は視線を逸らした。
新入生初の校外演習、華族子女を預かっているのだから、事故が起きてもらっては困るのだ。当然それぐらいのフォローはしていた。
依頼料以外に、討伐した魔獣の素材も買い取ってもらえる。これも無役騎士達にとっておいしい仕事のひとつであった。
もっとも、生徒達のお守りと同じく、依頼を受けるためにまず実績が必要ではあるが。
モニカの体力の問題で休憩を挟みつつ、一行は森番の小屋に到着。
森の中でそこだけ少し開けた場所があり、小さな丸太小屋が建てられていた。
人の気配は感じられない。まずジェイと家臣の一人だけで近付き、窓から中を覗く。
「誰もいない、か。一応確認しておくが、ここで先生が待っていたなんて事は?」
ジェイは振り返り、騎士達に向かって問い掛ける。
彼等は戸惑い、顔を見合わせていたが、やがて一番年配の女性騎士が代表して答える。
「……それならば答えてもいいか。それは無いよ。君は道を間違えたのさ。ここは地図にもある森番の小屋だよ」
彼女が言うには、この森は南西に行く程魔素が濃くなり、強い魔獣が生息しているそうだ。だから演習中の学生がこれ以上奥まで行かないように見張る番人がいるらしい。
改めて地図を見てみると、地図上の森番の小屋は、森の南西部分とそれ以外を切り離すように弧を描いて並んでいる。
「森番は、森の管理も任されている。給料は良いらしいけど、私は遠慮したいねぇ」
そう言って女騎士は肩をすくめた。定期的に交代するらしいが、期間中はずっとこの小屋で暮らさなければいけないとか。
本来森番というは、文字通り「森の管理人」という意味しかない。
しかし、魔獣が出没するこの世界では、むしろそちらに対する対処の方が主眼であり、実力のある者にしか任せられない仕事であった。
「中に誰もいないみたいだが」
「演習中だし、見回りに出てるんじゃないかい?」
女騎士はそう言うが、モニカの魔法によると今のここの小屋だけ「森番」の小屋ではないのだ。窓から見える範囲に事件の痕跡などは無いようだが……。
「なんだ珍しい、今日は千客万来だな」
その時、背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこには背の低い男が立っていた。毛皮の帽子を被り、毛皮のベストを着ている。おそらく魔獣の毛皮製だろう。
もじゃもじゃのヒゲ面なのもあって年の頃は分かりにくいが、中年以上なのは間違いないだろう。目付きは鋭く、野性味ある風貌の男である。
弓を持ち、矢筒を背負っているため狩人のように見えるが、演習場であるここに狩人は入れない。つまり彼が森番なのだろう。れっきとした華族である。
「おや、何かあったのかい?」
「怪我人を拾っちまってな」
彼の後ろには色部とその担当であろう騎士の姿があった。色部は怪我をしているのか片足を引きずっている。
慌てて明日香が駆け寄り、ジェイもそれに続く。
「色部君、大丈夫ですか!?」
「いやぁ、魔獣と遭っちゃってさぁ」
追い払ったが、足に一撃もらってしまったらしい。出血しているようで、脛に布を巻きつけている。血が滲んでいるが、大量出血という程ではなさそうだ。
「怪我人の次は迷子か、まったく面倒な……」
狩人騎士は、ジェイ達を見て迷子と判断したようだ。多少道を間違えたぐらいではたどり着かないような場所なので無理もない。
彼はそのままズカズカと小屋に入っていく。足を怪我した色部ではついていけない。
彼に付いてきた騎士も手を貸せないようなので、ジェイが彼に肩を貸して一緒に小屋に入った。明日香とモニカは入り口から心配そうに覗き込む。
「入ってきやがったのか……外で待ってりゃ良かったものを……」
小屋に入ってきた色部達を見て、狩人騎士は露骨に迷惑そうな顔をした。
「仕方ねえ……そこに座れ」
しかし怪我人を追い出す訳にもいかないのか、手近な椅子に座らせ、縛っていた布を外して手当てを始める。
「……床に血は落としてねえだろうな?」
「だ、大丈夫っス! そこまで傷深くないんで!」
そんな会話をしながらも、手慣れた様子で止血の薬草を貼り付け、手当てをする。
「ほら、さっさと行け! 演習中だろうが!」
そしてそれが終わると、狩人騎士は急かすようにジェイ達を追い出した。
「ちぇー! 怪我人なんだから、もうちょっと休ませてくれればいいのに!」
悪態をつく色部。しかし怪我の手当ては上手かったようで、先程と比べると問題無く歩けているようだ。
その少し後ろを歩きながら、ジェイとモニカが小声で話し合っている。
実は色部が怪我の手当てをされていた時、モニカは『天浄解眼』で入り口から見える範囲を一通りチェックしていたのだ。
「どうだった?」
「光ってるのは無かったみたい」
しかし、光るようなものは無く、空振りであった。
「奥の棚に怪しい瓶が並んでたけど、文字が無いのは光らないから……」
「ああ、あれお茶っ葉だと思いますよ?」
ここで明日香が話に加わってきた。
「あの部屋、魔草茶の匂いがしてました! 好きなんですかね~」
「ボク、全然気付かなかった……」
「俺は、薬草の匂いだと思ってた」
モニカとジェイは、顔を見合わせた。
小屋に入っていたジェイも瓶の存在には気付いたが、魔草茶とは気付かなかった。
貨幣にも使われている魔素種、それを生み出すのが魔草や魔木。そして魔草の葉を干したり、煎じたりしたものが魔草茶である。
飲むと心が落ち着き、また魔素欠乏症を予防してくれると言われている。そのため特に魔法使いの間で人気が高い。
魔草茶を飲む文化は国を問わずに浸透している。セルツでは近年、華族以外にも茶道文化が広まりつつあった。
ちなみに魔草が種に魔素を貯め込むのに対し、葉に魔素を貯め込むタイプの植物が薬草に使われている。
明日香は区別できるようだが、これらは匂いがかなり似ており区別が難しいものだ。
「間違いないのか?」
「はい! あたし、鼻は良いので!」
えへんと胸を張る明日香。かなり自信があるようだ。
「……でも、あんまり良い匂いではありませんでしたね。香気が弱いというか……。たくさんありましたけど、等級はかなり低いと思いますよ、あれ」
そんな彼女の鼻は、茶葉の質まで見抜いていた。
それが大量にあるのが謎だが、安くても茶が好きなのか、実は森番のための支給品という可能性も考えられる。
「おーい、早く行こうぜ! 俺ら、すっげぇ遅れちゃってるよ!」
前を進む色部が声を掛けてきた。
色々考えなければならない事が多いが、今はまだ演習中だ。まずはそれを終わらせなければならない。
ジェイ達は話を一旦止めて、ひとまずゴールを目指すのだった。
今回のタイトルの元ネタは童謡『森のくまさん』と、『機動戦士Zガンダム』に登場するモビルスーツ、ボリノーク・サマーンです。