第272話 防衛線までは何マイル?
海でも戦いが始まろうとしていた。
狼谷達が乗る船は、巡回部隊で使われている船。小型だが、魔動エンジンを積んでいる最新の船である。密輸を目論む不審船を相手にするための、速度に優れた船だ。
船首と船尾には、一門ずつ据置式大型弩砲が設置されている。
南天騎士団にも五隻しかない虎の子だが、こちらに数を割けない今はそれが丁度良い。狼谷が連れてきたのは、この船に乗れる限界の人数五十人であった。
「撃てぇッ!!」
狼谷の号令に合わせて放たれる無数の矢。バリスタも出し惜しみは無しだ。狼谷自身も、弓を手に取り攻撃に参加する。
魔物の群と正面からぶつかれるような船ではないため、並走しながらの攻撃となる。
これで魔物が狼谷達を狙ってくれば、船の速度を活かして引き撃ちで時間を稼ぐ。そのように作戦を立てていたのだが……。
「団長! あいつら見向きもしません!」
「なんだと!?」
しかし、それでも百魔夜行の進行は止まらない。攻撃を仕掛けている狼谷達を見向きもせず、真っ直ぐに内都を目指して進み続けている。
傷付く事が怖くないのか、それともより怖いものがいるのか。
その自分達の攻撃を意にも介さない魔物達の姿に、船上の騎士達は背が粟立つのを感じた。
「これでは足止めにならんぞ……!」
思わず矢を放つ手を止めて、辺りを見回す狼谷。五隻がそれぞれに攻撃を仕掛けているが、百魔夜行の反応は変わらない。
これでは魔物を引き寄せて時間を稼ぐという作戦が成立しない。
「前に回り込め!」
ならばと狼谷は新たな命令を下す。
「なっ……!? それは無茶です!」
「この船では壁にはなれません!」
小型船で百魔夜行を受け止めればひとたまりもない。運が良くて転覆、悪ければ船体を破壊されて轟沈だろう。
「分かっている! 先頭集団を狙うのだ!!」
「ハ、ハッ!」
狙いは先頭を進む魔物達。彼等に狙いを定める事で、少しでも進行を遅らせようと言うのだ。
この船の速度ならば、接敵されないまま百魔夜行の先頭と併走し続ける事が可能だろう。
しかし……いくら矢の雨を降らせても勢いが落ちない。
効いていない訳ではない。バリスタの破壊力は十分だ。タコ頭を一撃で仕留め、海に沈める事ができている。
しかし、弓矢の方は少々心許ない。半魚人は何本も撃ち込めば倒す事ができているが、タコ頭は平然としており、本当に効いているのか不安になる。
これでは、ほとんど足止めになっていない。
遠巻きに攻撃しているだけではどうしようもないのではないか。危険を承知で距離を詰めて戦わねばならないのではないか。そんな考えが頭をよぎる。
「団長! 我々が奴等を止めます!」
その時、一隻の船が動きを変えた。
船を停め、そのまま百魔夜行の前に立ち塞がろうとする。
バリスタを担当する者はそのまま撃ち続け、他の者達は武器を弓から槍へと持ち替えた。
「待て、お前達!」
自分と同じ結論に達した。そう察した狼谷は慌てて制止しようとする。
「おっと、一隻ではすぐに飲み込まれるぞ!」
しかし止まるどころか、もう一隻がその船に続く。
「団長! 奴等が進行を止めた隙に!」
「クッ……! 弓は半魚人を! バリスタはタコ頭を狙え!!」
彼等の覚悟を無駄にしてはいけない。狼谷は血が滲み出る程に唇を強く噛みしめ、再び弓を構えるのだった。
一方、防衛陣地でも激しい戦いが繰り広げられていた。
ジェイと風騎士の剣戟に誰も近付く事ができない。明日香達さえもだ。
ジェイの影の『刀』と、風騎士の双剣がぶつかり合う度に周囲に暴風が吹き荒れる。
一見互角に見えるが、ジェイの中には戸惑いがある。
魔神すら一刀両断にする『刀』相手に鍔迫り合いが成立している。この時点で普通ではない。
風騎士は双剣に風を纏わせている。剣を軸にして、旋風が巻き起こっているのだ。近くに立つだけでジェイの髪が揺れている。
ならばと双剣をかいくぐって胴体を狙おうとするが、風騎士はフワリとそれをかわした。
双剣と言っても手の先端が伸びたもの、すなわち身体の一部。胴体も同じように風を纏っているのだろう。
攻撃する際にも、地面の上を滑るような動きを見せている。よく見れば足元の草が揺れている。まるでヘリコプターが草原に降りようとして、草が風に薙ぎ倒されるように。
おそらく風の力で浮遊しているのだろう。魔法ではない。しかし、それに近い能力を持つ魔物と考えらえる。
『刀』と双剣が触れると、風が炸裂して散る。その時に暴風が発生しているのだ。いや、正確には旋風に阻まれて、剣には触れられていないと言うべきか。
力関係では『刀』の方が勝っているが、双剣――風騎士を斬る事ができない。
戦いの最中そう分析したジェイは、こういう防ぎ方もあるのかと感心する事しきりだった。
二人の戦いの周囲では、明日香が中心となって優先に戦いを進めている。
時折風が吹き荒れるが、逆に言えばそれだけだ。アメリアの風の刃のような殺傷力は無い。
油断すれば体勢が崩れたところを狙われるが、ここで戦っているのは明日香達と戦闘経験豊富な忍軍。そのような隙は見せていない。
その一方で、他の場所では苦戦を強いられていた。
風騎士以外の三騎士を押さえられる者がいないのだ。
炎騎士は、風騎士と違って剣状になっているのは片手だけだ。ただし、その片手の剣は騎士本体よりも大きい。人間ならば両手で持たねばならないサイズの剣だ。
剣を振り回す度に豪快な風切り音と共に炎が噴き出す。
風騎士の暴風と違い、炎は魔物達に影響は無く、人間にのみ牙を剥いていた。
数人まとめて薙ぎ斬る一撃と、その周りの者を飲み込む炎。意外と動きも速く、次々に騎士達に襲い掛かっている。
土騎士は右手が剣、左手が盾状になっている。剣を振るような動作も無く、周辺の地面から岩の槍を無数に生み出す。魔物達の硬質な身体には効かないようだが、人間には脅威だ。
こちらは自身は剣を振るう事も無く、近付こうとする者を岩槍で迎撃しながら、ゆっくりと防衛陣地に歩みを進めていた。
土騎士が防衛陣地にたどり着いた時、止められる者はいないだろう。
水騎士は、片手が突剣状になっており、その剣の動きに合わせて大量の水を生み、波を起こしている。
波に押されて体勢を崩される。足を取られる。そうでなくても足場が悪くなる。
そして少しでも隙を見せたところに水騎士だけでなく百魔夜行の魔物達が襲い掛かってくるのだ。
明らかに水騎士は、他の魔物達と連携を取っている。ある意味一番危険な魔物である。
敵の動きを阻害する事で、百魔夜行の魔物達と連携できる能力。それはおそらく風騎士のそれに近い。
実際、水騎士のいる所が一番大きな被害を出しており、また深く攻め込まれている。
ジェイが風騎士を止めていなければ、同じような状態に陥っていただろう。
それ故に、ジェイは風騎士から離れる訳にはいかない。
結果として他の三騎士が野放しになってしまう。
防衛陣地の戦いは、徐々に人間側の劣勢へと推移していた……。
今回のタイトルの元ネタは、マザーグースの一説「バビロンまでは何マイル?」です。
『ポケットの中の戦争』の「戦場までは何マイル?」のイメージの方が強いかも知れませんが。




