第270話 足りない一手
影世界の森を突き進むジェイ。
百魔夜行の足止めの方はさほどできていない。
それよりも急がねばならない理由ができてしまったのだ。
「まさか……ここに来て二手に分かれるとはな」
砂浜から退いたジェイは、しばらく森の入り口に留まり敵の数を減らそうと試みていたのだが、そこで百魔夜行の動きを知る事ができた。
まず空の魔物だが、黄煙は要塞級頭上の空を屯し、その場から動こうとしなかった。
無差別に電撃を放つので他の魔物――特に人面鳥との連携が難しいのかも知れない。
人面鳥は北に向けて飛び立ち、親衛隊と騎士団がそれに続いて真っ直ぐ森に向かってくる。
しかし、タコ頭と半魚人は海に戻ってしまった。
要塞級の守りにつく訳ではなさそうだ。海に戻った魔物達はジェイから見て右側、つまりポーラ島東側の海を進み始める。
「あいつら、内都を直接狙うつもりか!?」
そう、そのまま海を北上した先にあるのは、本土の内都である。
これは一刻も早く報せなければいけない。足止めは森でも奇襲されると警戒させる程度に留め、ジェイは森の向こうの防衛陣地に急ぐのだった。
演習場がある森を抜け、開けた平原を少し進んだ先に急造の防衛陣地はあった。
当然、演習場の森番達は既に避難してる。
陣地から『賢母院』ポーラが住んでいた古城のある繁華街までの間には、もう何もない。ここを抜かれてしまえば、町に百魔夜行が雪崩れ込む事になる。
それを阻止するべく急遽造られたのがこの陣地だ。森との間は視界を遮る物が無いため、森を抜け出てきた百魔夜行に矢の雨を降らせる作戦だと考えらえれる。
ジェイがそこに到着したのは、狼谷達が到着したすぐ後の事だった。影世界を進む場合、障害物となる木等は消しながら直進できるため、思いのほか早く到着できたようだ。
陣地には極天騎士団長の武者大路もいた。
ジェイはすぐさま狼谷と共に本部となっているテントに赴き、百魔夜行の動きについて報告。それを聞いた武者大路は、すぐさま内都へと使いを走らせた。
「しかし武者大路よ、内都に戦力は残っているのか?」
「分かっているだろう、狼谷。春草を動かすしかあるまい」
春草騎士団は、本来は王城を守る王家の親衛隊である。
王家直属の隠密部隊でもあるため戦場で戦う事は本領とは言い難いが、今はとにかく戦力が足りない。
春草騎士団長である愛染も、アルフィルク王を廃墟の町を治める王にしないためにも、戦場に出る事を拒みはしないだろう。
「クソッ! せめてあと一日あれば!!」
地図が広げられた机に、拳を叩き付ける武者大路。まだ各地からの援軍は到着していなかった。
援軍が遅いのではない、百魔夜行の到着が早過ぎたのだ。
「奴等がアーロを素通りしていなければ……!!」
「危ういぞ、武者大路」
たしなめるのは狼谷。アーロが戦場になって時間稼ぎしろとも取れる発言なので、あまり褒められたものではない。その度にアーロは少なくない被害を出しているのだから。
セルツの宮廷は、今までの百魔夜行の動きから到着までに掛かる時間を予測した。しかし、今回はそうはならなかったのだ。
ジェイもアルマからの援軍はなんとか間に合ったが、それ以外については厳しいと言わざるを得ない。
「……援軍を間に合わせないように直進してきた?」
ふとジェイが呟いた。
狼谷と武者大路は話を止めて、無言でジェイを見る。
そして二人揃って天を仰ぐ。
「……有り得る、な」
「だとすれば、連中も学習しておるの」
真っ直ぐセルツを目指して直進してきたのも、ここに来て二手に分かれたのも、そういう意図があったとすれば納得できるというのものだ。
「これまでは、そんな事は無かったのだが……」
「今回は違うという事だろう。厄介な事だ」
指揮官が変わった。あるいは今まではいなかった指揮官が現れた。
いずれにせよ、一筋縄ではいかないのは間違いあるまい。
「狼谷、東の港に動かせる船はどれだけある?」
「八隻あったはずだが、あれは海上警備用の小型船だぞ」
交易船の出入りを見張り、密輸を防ぐのが主な役割である。
「それでも何もせん訳にはいくまい」
「ならば南天が行こう。我々は慣れている」
そのような役割だけに、南天騎士団には海戦に慣れた騎士が多い。
かく言う狼谷自身も、海上で密輸犯達と戦った事は一度や二度ではなかった。
しかし、海を行くのはタコ頭に半魚人。どちらも自力で海を渡って来た者達だ。すなわち相手の得意フィールドに出向いての戦いとなる。
しかし、戦力のほとんどがポーラ島に来ている今、誰かが内都の防衛態勢を整えるまでの時間を稼ぐ必要があった。
「……私が行こう。ここは頼む」
故に狼谷は、自らが選りすぐりの南天騎士達を率いて行くと決めた。
ジェイが行けば何とかなるかも知れない。
しかし、それではこの陣地がジェイ抜きであの騎士団と戦う事になってしまう。
それが分かっているからこそ、ジェイは何も言えず見送る事しかできなかった。
ジェイと狼谷は同時にテントを出た。
狼谷は南天騎士達の所に戻って準備をするとの事なので、ジェイは黙ってその背を見送る。
やはり、戦力が足りない。
叛乱を起こした『純血派』に賛同する訳ではないが、せめてもっと魔法使いがいればと思わずにはいられない。
現在この陣地にいる魔法使いは、ジェイとアメリアのみ。今の数少ない魔法使いは、ほとんどが『純血派』なのだから仕方がない。
だからと言って彼女を狼谷達と一緒に行かせる事はできない。彼女はまだ未熟だ。犠牲者が一人増えるだけだろう。
宮廷が呼んだ援軍、ジェイの呼んだ援軍。せめてどちらかが間に合っていれば状況は変わっていたのだろうが……。
「せめてあと一日あれば……!」
ジェイの口から絞り出すように出た言葉は、奇しくも武者大路のそれと同じものであった。




