第253話 千夜到来
「あれは……!?」
百魔夜行と最初に接触したのはアーロ海軍の巡回部隊だった。
空から、海から、雲霞のごとく攻め寄せる魔物の群が見える。船首に立つ騎士の視界に映るのは、魔物が七、空海が三といったところか。
圧倒的な数だ。アーロに上陸すれば、途方もない被害が出るだろう。
だが、そのおかげで遠くからでも視認する事ができた。今ならば接敵する前に退く事もできるが……。
「キャプテン、どうします?」
「…………」
神殿騎士の一人が船長も兼ねている騎士隊長に問い掛けたが、隊長はすぐには答えられない。
というのも、ここにいる巡回部隊の船は二隻だけなのだ。アーロ海軍では普段から二隻一組で巡回をしている。船一隻に騎士隊ひとつが乗り込む形だ。
対して百魔夜行は空と海がほとんど見えない程。数が違い過ぎる。このまま吶喊しても、食い止められるのは僅かで、時間を稼ぐ事すらできないだろう。
アーロを守るためならば玉砕する事も厭わない覚悟はある。
「……撤退だ。一刻も早く報せて防衛の準備を!」
しかし、あまりにも状況が悪過ぎる。隊長は苦渋の決断を下すのだった。
その後、部隊は二手に分かれて一隻は島南端の防衛拠点に。もう一隻はアーロ大神殿へと向かわせる。
その際に二隻の船は、一部騎士の乗り換えを行った。
「若い連中は大神殿行きに」
「ですな」
二人の隊長は、揃って防衛拠点行きの船に乗り込んだ。
この異常事態に、若い騎士達を一人でも多く生き残らせるために。
二隻の船に乗る騎士達は甲板に並び、敬礼をして互いを見送った。
大神殿行きの船は、東に針路を取って離れていく。このまま東海岸沿いに北上して大神殿に向かうだろう。
彼等が無事に逃げ切れるかどうかは、防衛拠点でどれだけ時間を稼げるかによるだろう。隊長達も急ぎ船を動かした。
向かうのは『死の島』からの攻撃に備えた防衛拠点『死島防塁』である。
死島防塁、それはアーロ南端の海岸線に沿って石垣を築いて造られたものだ。
石垣で海の魔物の上陸を食い止め、海に向けて並べられた備え付けの大型弩弓が空からの魔物を迎え撃つ。撃ち込むのは槍サイズの大きな矢だ。
隊長達の船が防塁に到着した時、百魔夜行は先行している空の魔物がかすかに見えている状態だった。
「――という訳で、そちらの指揮下に入らせてもらう!」
二人の隊長は、すぐさま防塁の守りに就いていた騎士達に百魔夜行の接近を報せた。防塁の騎士達は、慌ただしく迎撃の準備を始める。
「ときに、若い連中は?」
「最初からおらんよ」
夏の魔神襲来があったため、大神殿はここに駐屯する騎士を増やして備えると同時に、若い騎士が外されるようにもなっていた。
いざ事が起きれば、無事で済まない可能性が高かったためである。
それだけに熟練の騎士達がそろっており、準備は滞りなく進んでいく。並べられた大型弩弓の準備が全て終わる頃には、小さくだが肉眼で百魔夜行の姿が確認できるまでになっていた。
「見た事もない数だな……!」
老境に入ろうかという騎士が、口元を引きつらせながら呟いた。
『死の島』から魔物が襲来する事は度々あるが、ここまでの規模は長年の騎士人生の中でも初めての事。それだけに激戦が予想される。
「『百魔』と名付けたのは誤りだったのではないか?」
一人の騎士が、肩をすくめながら言う。
「ならば『万魔』か?」
「いや、千には届いてない……と思いたいがな」
そう言いつつも視界には数えきれないほどの魔物の群が見える。
実際に万を超える魔獣が襲来すれば時間稼ぎどころではない。瞬く間にアーロ全体が魔物の波に飲み込まれていただろう。
防塁の騎士達は、そこまでの数ではない事を祈りつつ、迎え撃つしかなかった。
海の魔物よりも、空の魔物の方が少しだけ早い。騎士達は、それらが射程内に入ってくるまで静かに時を待つ。
防塁の隊長が双眼鏡を片手に空を見渡し、先頭集団でこちらに接近してくる飛竜に目をつける。
知っている魔獣。角を見れば分かる、間違いなく成体だ。あれならば大きさから距離を推し測る事ができるだろう。
双眼鏡を降ろして肉眼でも飛竜を確認。有効射程に入ってくるのを待つ。
肌がヒリつくような静寂。覚悟を決めた騎士達は身震いしながらも先走る事なく時を待つ。
「……ッ! 撃てぇッ!!」
隊長の号令に合わせて、一斉に大型弩弓を放った。
有効射程ギリギリで攻撃を仕掛けたため、魔物の断末魔は聞こえない。しかし、この数だ。ほとんどが命中しただろう。
しかし、それで倒せたかどうかは分からない。
「次弾装填!」
確認する間も無く、隊長は続けざまに命令を出す。
「装填でき次第撃っていけ! 命令を待つ必要は無い!!」
その言葉を皮切りに、次々と矢が発射される。
「狙いを付ける暇があるなら数を撃て!」
「どうせどこかに当たるぞ!」
巡回部隊の隊長達も両翼を任されており、声を張り上げている。
横殴りの雨のように撃ち込まれる大矢。
貫かれた空の魔物がボトボトと落ちて行く。海の魔物の中には、それに巻き込まれているものもいるかも知れないが、あまり期待はできないだろう。
「キリがないッ!」
大矢の束を抱えて走り回っていた騎士の怒声か悲鳴かも分からぬ声が響く。
誰も咎めず、返事もしなかったが、心の中では同意していた。
休む間もなく大矢を放ち続け、既に何体も落としているが、敵は後から後からわいてくる。まったく減っているようには見えない。
「海からも来ます!」
「一番隊、海を狙え!」
その間に海の魔物も接近してきた。
見張りを任せていた騎士が声を張り上げると、隊長はすぐさま指示を飛ばして海にも大矢を撃ち込ませる。
だが、空を全力で攻撃しても食い止められなかったものを、空海に分散させてしまったらどうなるだろうか?
言うまでもない。どちらも止められないだろう。
「チッ……! 迎え撃つぞッ! 射手は撃ち続けろ!!」
それでも大型弩弓を止める訳にはいかない。
隊長は自ら槍を手に取り、石垣を登ってこようとしていたカニ型のモンスターを突き落とす。
他の騎士達もそれにぞれに武器を構え、大きな盾を持ち、設置された大型弩弓を守るように防戦している。
分かっていた事だが、勝ち目はほぼ見えない。
だがここで数を減らしただけ、アーロに上陸する魔物の数を減らせる。
ここで時間を稼いだ分だけ、民が避難するための時間を稼げる。
この絶望的な戦場において、騎士達は誰一人として逃げようとはしなかった。




