第25話 鬼の哭く街カムート
セルツ連合王国の王都カムート、その中枢である内都の一角に冷泉家の屋敷があった。敷地は大きいが、宮中伯の屋敷としてはいささか質素に見える。
屋敷の主は冷泉宰相こと、ヒューゴ=冷泉=ダーナ。彼がエラからの手紙を受け取ったのは事件の翌朝、早朝の事だ。
既に起床していた彼は、日課である朝の鍛錬を庭園で行っていた。
その年齢は既に老人と呼んでも差支えのないものだが、背筋は伸び、足腰はしっかりしていた。長剣を使った素振りが、鋭い風切り音を鳴らす。
エラからの手紙が彼の下に届いたのは、素振りを終えて一休みしている時の事だった。
こんな時間に届けるなど何事か。何か重大事が起きたと判断した冷泉宰相は、執事から老眼鏡を受け取り、その場で手紙を読む。
「ほぅ……」
ジェイが魔神を討伐した。そんな衝撃的な情報をもたらされても、内心の驚きをおくびにも出さず、眉をピクリと動かすだけに留まった。
額が広いため面長に見える鷲鼻の顔、そして射貫くように鋭い灰色の瞳。誰が呼んだか『冷血宰相』、その鉄面皮っぷりは見事なものである。
「フフフ……多少強引であったが、エラを押し込んだ甲斐があったというものだな」
しばしの時をもって落ち着きを取り戻した冷泉宰相は、娘婿の快挙に笑みを浮かべた。
普通であれば信じられないような内容の手紙であったが、エラが意味も無い嘘をついたりしない事を彼は知っている。
冷泉宰相とレイモンドは、『セルツの双璧』と謳われる者達だ。どちらも厳しい人物であり『護国の鬼』の異名も持っている。
レイモンドが軍における鬼だとすれば、冷泉宰相は政における鬼。
そういうつながりがあるため、年齢は少し離れポーラに通っていた時期も異なるが、いつしか二人は友人、いや、ある種の戦友のような間柄となっていた。
昴家と冷泉家の縁談は、次代のアーマガルト辺境伯であるジェイが、明日香姫との婚姻で幕府に寄り過ぎないようにするためのものだった。
その際にセルツ側から冷泉家が選ばれたのは、二人の関係あっての事である。
「後始末が少々手間ではあるが……これに文句を言うのは贅沢というものか」
龍門将軍を撃退した件は知っていたし、魔法使いである事も知っていた。
だが、魔神を討伐できるほどとは流石に予想外であった。
「レイモンドめ、いつの間にか良き後継者を育てておったわ」
魔法に関しては、ジェイがモニカ以外にはあまり知られないようにしていた。なのでレイモンドが隠していた訳ではないと言っておこう。
更に言うと、ジェイが勝手に育ったのであって、レイモンドが育てた訳でもない。
それはともかく、この件によって彼の中でのジェイの価値が上がった。彼との縁談は、絶対に逃せない話となった。
冷泉家としてではない。セルツ連合王国としてだ。
昴家を、魔神を討伐できる魔法使いの血筋を、幕府に渡す訳にはいかない。
少なくとも現段階で、ジェイとエラの縁談に問題は起きていない。ジェイを王国につなぎとめるためにも、このまま成立させなければならない。
そのためにも今、『純血派』に横槍を入れさせる訳にはいかないのだ。
龍門将軍撃退の件と合わせて、魔法使いである事を隠し通すのは難しいだろう。
しかし魔神を討伐できると知れば、『純血派』はなりふり構わずジェイを取り込もうとしてくるに違いない。その結果、幕府との縁談が潰れて戦争に突入するとしても。
つまり、魔法使いだが、各方面を敵に回してでも取り込もうとするのはデメリットが大きい……と思わせる。そんな難しい舵取りが求められている。
まず、魔神を討伐できる魔法使いであるという点を隠さねばなるまい。
その上で『護国の鬼』と謳われ、『冷血宰相』と恐れられている冷泉宰相が、縁談の邪魔をしようものなら容赦はしないと睨みを利かせる事が一番手っ取り早いだろう。
エラが冷泉宰相に手紙を送ったのは、つまりはそういう事なのだ。
「エラめ、ワシをアゴで使う気か……!」
言葉では憤っているが、その表情にはどこか喜びの感情が感じられる。
まず魔神の件を片付けねばなるまい。冷泉宰相は屋敷に戻りつつ、執事に今日の予定の変更を伝える。まず南天騎士団長の狼谷に会いに行かねばならない。
幸いジェイが魔神を討伐したところを目撃した者はいない。情報流出を押さえるのは、そこまで難しくはないだろう。
「こうなってくると、エラで縁談を進めたのは正解であったな……」
他にもやらねばならぬ事が色々とあるが、それが王国を守る事につながるのであれば苦にもならない。冷泉宰相は、そういう男であった。
「ジェイ君~、お爺様からの返事が届いたわよ~」
数日後、冷泉宰相からの返事が届いた。
ジェイ達が居間でくつろいでいるところに、エラが手紙を読みながら入ってくる。
「宰相は何と?」
「そうねぇ……長々と書いてるから要約するけど、『魔神の件は任せてOK』ってところかしら? ジェイ君は壺を壊しただけって事にするみたい」
「エルズ・デゥの方は?」
「時期を見て倒されたと発表するそうよ。他にもいるかもしれないから、魔神は現実のものとして危機感を抱かせるために、しばらく警戒は続けるみたいね」
それ以外に『純血派』に対しても、冷泉宰相が睨みを利かせてくれるという。ジェイにとっても満足のいく返事だった。
「うぅ~……『魔神殺し』なんて名誉な事なのに~……」
しかし明日香は、少々不満そうだ。
どうも武功が正当に評価されないという部分が引っ掛かっているらしい。
「明日香はそっちか~……」
「モニカはどっちですか?」
「えっ? え~っと……そ、それはジェイに聞いてほしいかな」
モニカは照れ臭そうにして答えなかった。
明日香は首を傾げつつも、ジェイに視線で問い掛ける。
「い、いや、改めて説明を求められると、俺も恥ずかしいんだが……」
「ふふっ、ジェイ君は縁談に横槍を入れてほしくないのよ。武功よりも、私達との縁談の方を選んだの」
ジェイがしどろもどろになっていると、エラがフォローを入れた。それはもう、ハッキリキッパリと。
もちろんそれだけではない。ジェイも色々と考えている。
「その、和平の事も考えて……」
「ジェイ、そこまで考えてくれてたんですね……!」
それが明日香にとって好ましいものである事はいうまでもない。
「『純血派』が絡んでくると面倒臭いし」
「分かる。一番面倒臭くなるの間違いなくボクだし」
それはモニカも同じ気持ちであった。
何より結局のところ、ジェイは三人との縁談を大事にしているのは事実なのだ。
婚約者である彼女達と共に学園生活を楽しみたい。『純血派』は邪魔してくれるなというのが彼の本音であった。
満面の笑みを浮かべたモニカと明日香が、左右からジェイを挟み込んだ。
向かいのソファに座るエラは、そんな三人を見てクスクスと笑っている。
その微笑みに内心を見透かされているような気がしたジェイは、話題を変えようとエラに話を振る。
「えっと、冷泉宰相からの返事はそれだけですか? 他には?」
「えっ? そうねぇ……」
問われたエラは、再び返事の手紙に目を落とした。
「こっちも長いから要約すると……」
「すると?」
「『早く曾孫を』かしらねぇ♪」
ここでエラは『爆弾』を放り込んだ。それはもう、楽しそうな笑みを浮かべて。
その言葉に左右からの圧が増した。ジェイはそんな錯覚を覚えた。
「あの、俺新入生。卒業しないと家継げない立場」
「あら、卒業しないつもりなの?」
「いや、そんな事は……」
実際のところ、成績が悪ければ補習などで学園がフォローしてくれる。
華族家にとっては死活問題なので、その辺りはしっかりとやってくれるのだ。
そのため本当に成績が悪くて卒業できないという例は、ゼロとは言わないが、ほとんど無かったりする。
なお、この件で一番有利なのは、既にポーラを卒業していて自由の身であるエラだ。
冷泉宰相は「嫡男はセルツ華族であるエラが生め」と言いたかったのだろうが、エラがそれを無視して『爆弾』として使った形である。
明日香は目を輝かせてジェイに身を寄せる。モニカも興味津々のようで頬を紅潮させながらもチラチラとジェイの様子を窺っていた。
対するジェイは進みたいが進めない葛藤に身をよじらせているが、二人は容赦なく距離を縮めていく。
エラはそんな三人の姿を微笑ましそうに見つめていたが……。
「ちょっ、エラさん。二人を止め……」
「私も~♪」
困ったジェイが助けを求めると、ここぞとばかりに自らも飛び込むのだった。
今回のタイトルの元ネタは、『北斗の拳』の「鬼の哭く街カサンドラ」です。




