第238話 胸のかがり火
「ただいま戻りました」
オーサが帰宅すると、家の中はしんとしていた。
海野は怪訝そうにキョロキョロと辺りを見回し、三好は何かを察して呆れ顔になっている。
「お、お帰りなさいませ……」
出迎えに現れた若い侍女に何かあったのかと尋ねると、先程まで現当主ミノスと隠居のヤマツが大声で言い争っていたらしい。屋敷中に声が響くほどの剣幕だったとか。
「……三好殿、分かっていたのですか?」
「まぁ、よくある話よ」
当主達が荒れていると、その家に仕える家臣達も巻き込まれてはたまらないと息を潜めるようになる。結果として屋敷の空気が重苦しいものになり、雰囲気も悪くなっていくそうだ。
流石の三好もそこまで口には出さないが、後継者争いをしている家は大体こうなる。
更に言えば、家臣達もピリピリしていないだけまだマシだ。その場合はそれぞれ支持する後継者候補がいて、家臣同士で対立していたりするのだから。
佐久野家の場合「後継者争いなんて余計な波風を立ててくれるな、長男のソックに継がせればいい」で家臣達の見解は一致している。
逆にオーサを推しているのは、隠居のヤマツ以外では寄騎である騎士隊員達。
身も蓋も無い話ではあるが、ソックが継げば今のまま安泰となる家臣達と、オーサに継がせて叛乱を利用して今より出世したい寄騎達の対立関係と言えた。
「それで、御当主殿と隠居殿が言い争っていた原因は……やはりオーサ殿の縁談ですか?」
「は、はい……」
海野が尋ねると、侍女はおどおどしながら肯定した。
「…………チッ!」
忌々しそうに舌打ちするオーサに、侍女はビクリと肩を震わせる。
困ったものだと顔を見合わせる海野と三好。この件についてはオーサに責任は無いので、こういう態度になるのも仕方がないという思いもあった。
「と、ところで、その言い争いは、今は収まっているのかな?」
話を変えようと、海野が侍女に尋ねる。
「え、ええ……ヤマツ様が、もう決まった事だと話を切り上げましたので……」
一時休戦といったところである。
ひとまず収まっているならば大丈夫だろうかと海野が考えていると、聞き覚えのあるけたたましい声が近付いてきた。
「オーサ! 何やってたんだい!!」
ヤマツである。怒りも露わに近付いてきた。
「明日は高城家に行くからね! ちゃんと準備しとくんだよ!!」
「…………は?」
唐突な物言いに、オーサは少し理解が遅れた。
「な、何しに……!?」
「挨拶に決まってるだろ! 嫁をもらう訳だからね!!」
「急過ぎる!」
「急いでるんだよッ!!」
オーサも言い返すが、勢いと迫力で負けている。
「これで佐久野家も『純血派』の仲間入りだよ! いや、魔法騎士であるお前はどんどん重用されるだろうさ! なにせ今の奴等は、どんどん魔法使いが減ってるんだからね!!」
オーサの思考を妨げるように、ヤマツが更に捲し立てた。
「そ、それは……」
確かに彼女の考えは間違ってはいない。オーサも、自分の実力ならば『純血派』も……と否定できずにいる。
現在高城家にはアメリアがいないが、それは特に問題は無かった。現時点では本人同士の顔合わせは二の次。縁談の約束を成立させる事さえできればいい。
そのために必要なのは、オーサ本人を連れて行き、彼の魔法使いとしての力を認めさせる事。
それさえできれば、今の『純血派』は若き魔法騎士を放ってはおけなくなる。そうなればこっちのものだ。
ミノスやソックでは、こうはならない。オーサでも北天の騎士隊長のままでは同様だ。
オーサを後継者として『純血派』に鞍替えする。そしてこれから起きるであろう叛乱を利用すれば、佐久野家はのし上がる事ができる。
それこそがヤマツの野望であった。彼女の中ではオーサを後継者とする事と『純血派』との婚姻は最初からセットだったのだ。
対するオーサはたじろぎ、助けを求めるように周りに目をやる。
そしてその視線は三好を見て止まった。
彼の言葉が脳裏に浮かぶ。これは本当に自分のやりたい事なのだろうか。
ヤマツの言う通りにすれば、確かに栄達できるかも知れない。いや、自分の実力ならばやれる。
しかし、その先に後悔が付いて回らないだろうか。
自問自答するオーサ。
そもそも、何を曲げようと言うのか。北天騎士隊長になろうとしていたのに『純血派』に鞍替えしようとしている事か。確かにそれもあるが、正確ではない。
今曲げられようとしているのは……オーサの将来、だ。
高城家との縁談、今のところは当主ミノスを無視して話を進めているヤマツが先走り過ぎていると言える。
しかし、オーサが出向いてしまってはそうも言ってられなくなってしまう。
元もより現当主ミノスの考えを否定して後継者になろうとしているのだ。当主に話が通ってないからなんて言い訳が使えるはずもない。
その事に気付いた時、オーサは理解した。
ここで曲げられようとしているのは、オーサの望みだ。
栄達のために高城家の縁談を受け容れるという事は、芽野家を――恋焦がれているタルラを切り捨てるという事。
三好の言葉を心から理解できた。これを曲げれば間違いなく後悔する。
確かに中途半端ではいけない。曲げるならば本気で覚悟を決めるか、或いは……。
「ふ、ふ……ふざけるなッ!!」
ついに我慢できずに大声を張り上げたオーサ。
初志貫徹。彼は曲げずに貫く事を選んだ。
「ふざけてるのはどっちだい!? オーサ、アンタ家督がいらないってのかい!?」
「俺が欲しいのは寝返った家の家督なんかじゃない!!」
彼の「初志」は「兄の婚約者タルラを自分のものにする」こと。オーサにとって後継者の座を乗っ取る事は、目的ではなく手段に過ぎなかった。
その事に気付いたオーサは、初めて自分とヤマツの目指す先が同じでない事を理解したのだ。
こうなってしまうと、ヤマツが高城家との縁談を進めようとしている限り、決裂するしかない。
「行くぞ、お前ら!」
「どこに行く気だい、オーサ!!」
「……えっ? あ、はい!」
踵を返して家を出るオーサ。ヤマツは止めようとするが、止まらない。
海野は慌ててオーサを追う。その後に三好が続く訳だが、その顔には年齢よりも若く感じられる、やんちゃと表現するのが似合いそうな笑みが浮かんでいた。
ズカズカと大股で夜の通りを進んで行くオーサ。
酒場の客引きなどがチラホラいるが、彼の怒気に気圧されて声を掛ける事もできない。
「って、家飛び出してどこ行くんですか!?」
「そりゃ寺に決まっとるじゃろ」
追いすがる海野が尋ねるが、それに答えたのはオーサではなく三好だった。
「あの隠居、このまま引き下がると思うか?」
「えっ? あ、いや~……」
逆に問い返されて、海野はしどろもどろになってしまう。
そう、このままおとなしく引き下がるような性格はしていない。今頃近所に住んでいる寄騎の取り巻き達を呼び集めて、力尽くでオーサを連れ戻そうとしているに違いない。
一対一なら魔法騎士であるオーサに勝てないが、数を揃えれば……とでも考えているのだろう。
「力の差を見せてやってもいいが、それだけでは足りん!!」
視線を前に向けたまま、オーサが吠えた。
「クックックッ、その意気じゃ! もはや一人の小僧ではない事を見せてやらんとのう!」
「こちらも数を揃えるという事ですか……」
だから寺院に向かい、残りの十勇士と合流するのだ。
「ああ、住職殿に迷惑を掛けてしまう~!」
「寺院というのは、古来より軍事拠点じゃぞ?」
「そうかも知れませんけどぉ!」
「まぁ、こちらにも戦力があると分かれば、無茶はせんと思うがの」
つまり、十勇士は抑止力という事である。
セルツの内都で叛乱があったばかりのこの時期に、タルバの王都で武力を行使すればただでは済まないだろう。
「そ、そうですよね! そこまで無茶はしませんよね!?」
「門前で睨み合いぐらいはするかも知れんがの」
「実際に兵刃を交える事にならないなら、それぐらいは!」
そんな二人の会話を聞きながら、オーサは別に戦う事になっても構わない程度に考えていた。
ヤマツが連れて来るのは、取り巻きの寄騎達。つまり『純血派』に鞍替えする事を良しとした者達。ついでに片付けてやろうと。
勝てるかどうかは一切心配していないあたり、彼の自信が窺える話である。
一方、寄騎達を叩き起こして集めたヤマツは馬に乗り、徒歩の彼等を率いて寺院に向かっていた。
十勇士が待ち構えている事が予想できるので、寄騎達は実戦用の装備で身を固めている。
「急ぐんだよ! 夜明けまでにけりを付けるからね!!」
馬上から喝を入れるヤマツ。手綱を握る姿は、思いのほかしっかりしている。
明日は高城家と面会する約束があるからか、物凄い勢いで夜の大通りをひた走っている。
「なんだなんだ?」
「お、おい、あいつら武装してるぞ!」
しかし、まだ酔客も途切れていない夜の通り。完全武装のヤマツ達の姿は目立つ。
「通報した方がいいのか……?」
酔いが醒めて冷静になった者が、目の前を通り過ぎた異様な光景を騎士団に報せるべく動き出した。
無言で支払いを済ませたフードの男も店を出る。彼が報せる先は『純血派』だ。ヤマツの動きは高城家以外にも知られており、派閥全体から注目されていたのだ。
おそらく当事者達だけならば小さな火で済んでいただろう。
しかし、図らずも注目を集めてしまったそれは、周囲も巻き込んで大火になろうとしていた……。
タイトルで格好付けてますが、オーサのかがり火は「兄の婚約者欲しい」です。




