第23話 黒炎の王
「喜ぶがいい、魔法使いよ……この魔神エルズ・デゥの軍門に下る事を許す……」
その降伏勧告を受け止めつつ、ジェイは魔神を、その第三の眼を真っ直ぐに睨み返す。
その性格故か、相手が魔法使いのジェイだからか、魔神エルズ・デゥは思いの外喋ってくれた。あらかた避難させられる時間は十分に稼げたはずだ。
流石に完全に避難完了とはいかないかもしれないが、後は南天騎士と風騎委員に任せられる。ジェイはそう判断した。
ならば、やるべき事はひとつである。
「これが答えだ! 『射』ァッ!!」
ジェイは返答と共に、『影刃八法』のひとつ『射』を発動。ジェイの影から放たれた影の矢が魔神エルズ・デゥに襲い掛かる。
しかしエルズ・デゥはローブの袖を一振りして矢を打ち払った。
「甘いわ!」
更に第三の眼が光り雷光を放つが、ジェイは眼が光った時点で横っ飛びして回避。そのまま半ば瓦礫と化した壁を蹴ってエルズ・デゥの背後に回り込む。
「まだだ!」
そして繰り出される影の矢。数本が背中に突き刺さるが、エルズ・デゥは意に介さずに振り返りざまに右腕を振るい雷光を放つ。
しかしそれはジェイを素通りして背後の壁を砕いた。エルズ・デゥの視界から外れた瞬間に『影刃八法』の『幻』による分身も同時に生み出していたのだ。
更に四方八方から影の矢が放たれ襲い掛かる。
「これはなかなか……!」
感嘆の声を上げたエルズ・デゥ。しかし影の矢は両手であっさりと打ち払われる。
「自身の影でなくとも……つながっていれば魔法を放てるといったところか……!」
そう、『射』はジェイ自身の影だけではなく、その影と一部でも重なっていればそこからも影の矢を放つ事ができるのだ。
そして今この倉庫は、瓦礫などでそこら中が影だらけだ。全方向から放たれた影の矢が次々にエルズ・デゥに突き刺さる。
「ほぅ……!」
しかし、エルズ・デゥは平然としている。やはり意に介していないようだ。
「さっき払ったのは何だったんだ。うっとうしかっただけじゃないだろうな!」
更に攻撃を続けるが、ダメージを受けた様子は無い。
対するエルズ・デゥは、ジェイの姿を探す事なく再び全身から雷光を迸らせる。
圧を感じたジェイは、咄嗟に倉庫から脱出。その直後先程よりも強烈な光が、轟音と共に壁を、床を、天井を、いや、建物そのものを吹き飛ばしてしまった。
建物の崩落に巻き込まれそうになったジェイは、瓦礫を避けながら上へ、上へとジャンプし、わずかに残った屋根の上まで退避する。
エルズ・デゥもそのまま瓦礫と土煙に飲まれて行ったが、それでどうにかなるような柔な相手ではないだろう。屋根の上から見下ろしながら、ジェイはそう確信している。
外は夜も更け、満月が輝き、ジェイの足下にくっきりとした影を生み出していた。
辺りは既に避難が完了しているようで、家の灯りも無く真っ暗だ。少し離れた家は避難していないらしく、遠くの家の灯りが地上の星のように見える。
書店の建物は入り口付近は辛うじて残っているようだが、それ以外は粉々の状態だ。隣家も被害を受けているようで、建物の一部が抉られているような状態となっている。
道側に南天騎士達の姿も無い。周辺住民の避難に動いているのだろう。明日香もジェイの家臣が説得してくれたと思われる。
これで安心して……戦う事ができる。
「とはいえ……多分まだ本気は出してないだろうな」
その呟きに応えるように雷光が空に向けて迸り、眼下の瓦礫を吹き飛ばした。
再び舞い上がった土煙の中から無傷のエルズ・デゥが姿を現し、ゆっくりとジェイの目の前へと飛んでくる。
「ククク……ひとつ訂正しよう。貴様の魔法、未熟ではない……」
「……そりゃ、どうも」
影の矢が効いた様子も無いのに未熟ではないなどと言われても、ジェイには皮肉にしか聞こえなかった。
「それでも、この魔神エルズ・デゥには遠く及ばぬ事は理解できたであろう? もう一度言おう……我が軍門に降る事を許す……」
「またか……!」
エルズ・デゥは完全にジェイを見下し、再び降伏勧告をしてくる。
「貴様ならば、魔神に至る事もできるであろう……」
違うとすれば、ジェイの価値を上方修正した事だ。
「魔神も少なくなった……魔法国再興のためには、新たな魔神も必要であろう……」
魔法国時代は『暴虐の魔王』こと魔法王を始めとして数多の魔神が存在していた。
だが、今も生き残っている魔神は少ない。魔神の壺も破壊されたのだろう。
故に、エルズ・デゥはこう考えているのだ。「カムート魔法国を再興するためには、魔神の数も増やさなければならない」と。
例の短剣も魔神候補を増やすためだったのだろう。エルズ・デゥの予想以上に現代の華族達の魔法の力が弱まっていたため上手くいかなかったが。
これが魔法至上主義者の『純血派』であれば、エルズ・デゥに同調していたかもしれない。しかしジェイは、そうはならなかった。
「魔法国再興だと?」
「断る……とでも言うつもりか?」
「当たり前だ! 今更魔法国など、時代錯誤も甚だしい!!」
ジェイは魔法を使えるが、魔法至上主義者ではない。何より彼は「魔法使いに非ずんば人に非ず」みたいな価値観は持ち合わせていないのだ。
「そもそも誰が『暴虐の魔王』の代わりになるつもりだ?」
「無論……」
「お前……とでも言うつもりか?」
ジェイは同じフレーズで言い返した。挑発も込めて。
その時、初めてエルズ・デゥに変化が現れた。眼窩の奥の光の色が強まり、冷めるような青から、燃え上がるような赤へと変わったのだ。
「クハハハ……! その通りだ!!」
そして満月の夜空を背に、両手を広げて叫んだ。
「魔法王亡き今……後継者が必要であろう?」
その言葉にジェイは怪訝そうな表情を浮かべる。
『暴虐の魔王』の壺がどこにあるのか、今も残っているか分からないため、死んだかどうかも分からない。それが今の常識だ。
だがエルズ・デゥは、魔王の死に確信を抱いているようだ。
「何故、死んだと言い切れる?」
「分からぬか? 実に愚か! 壺が無事なら、とうに復活しておるわ! 魔神が復活するのに何年も掛けると思ったか、実に無知蒙昧!!」
カムート魔法国が滅亡してから約百五十年。いずれ復活するにしては、時間が掛かり過ぎているという事だ。
「貴様も魔神の力の一端に触れたであろう……? どうして魔法王は、我等魔神を統べる事ができたと思う……?」
「…………強さ、か?」
「その通りだ!! 強者にこそ、この世を統べる権利がある!!」
天を仰ぎ叫ぶエルズ・デゥ。その声に合わせて雷光が迸る。
ジェイは『射』を空に向けて連射する事で、影の矢を盾にして雷光を防いだ。
一方エルズ・デゥは、叫び終えると同時に糸が切れたかのように動きを止める。
そしてしばし後、不意にグリンと首を回してジェイを見た。落ち着いたのか、眼窩の奥の光は再び青に戻っていた。
「これで分かっただろう……? 私が新たな魔王だ……さぁ、我が軍門に降れ……魔神となり、我が配下となれ……!」
全身からスパークの火花を散らしながらジェイに迫ってくる。
断わればどうするつもりかを雄弁に語っている。
だが、ジェイは臆さず、不敵に笑った。
「強いから魔王になるって言うなら……やっぱり、お前じゃないだろう?」
「……なにっ!?」
エルズ・デゥが驚きの声を上げる。
同時にジェイは後ろに飛んで距離を取り、隣の高い建物に飛び移った。
そして満月を背にしてエルズ・デゥを見下ろし、指差す。
「お前は言ったな、魔王が生きていればとうに復活していると! お前は言ったな、魔神が復活するのに何年も掛けないと!」
どちらもエルズ・デゥ自身が言った事である。
「ならば問おう! お前は何時、誰に倒された!?」
あの三人は、エルズ・デゥが復活するまで壺を守った事を理由に、褒美を要求した。
つまり、彼等が壺を手に入れた時点ではまだ復活できなかったという事だ。
それはここ数年の間に魔神を倒した者が存在したという事を意味する。
「ぐ、ぬぬ……!」
図星であった。エルズ・デゥは答えられない。答えられるはずがない。
「それで魔王の後継者を名乗るなど、片腹痛いッ!!」
「黙れえぇぇぇぇぇッ!!」
右手をジェイに向け、今までの雷光とは異なる極太の稲妻を放つ。
それが瞬く間に迫る強烈な光、当たれば跡形も残らない。
しかしジェイは、避ける事なく、それを真っ二つに斬り払った。
「バ……バカな……!?」
エルズ・デゥの驚愕の声。眼窩の奥の光が明滅する。
いつの間にかジェイの手には漆黒の刀があった。
「な、なんだその魔法は!? 我が魔法を、斬り裂いたと言うのか!?」
正確には刀ではない。ジェイの手から伸びた影が、刀の形を取っている。
そのシルエットはゆらゆらと揺らめき、まるで黒い炎の刀を持っているかのようだ。
これこそ『影刃八法』の『刀』、その強さに比例して、制御の難しい魔法だ。
ジェイは影の刃を眼前に構え、その目を閉じた。
そして大きく息を吐いて精神を集中させると、影の刃が燃え盛る炎のようになる。
ジェイは、何の勝算も無しに一人残った訳ではない。これこそが彼の最後の切り札だ。
「強さが次の魔王を決めるというなら……俺が証明してやろう! お前ではないと!」
「やれるものならやってみろ! 魔法使い風情がッ!!」
エルズ・デゥが稲妻を連射するが、ジェイはそれらを全て斬り払う。
稲妻が魔素となり、月夜に光の華を咲かせて散った。
「な、なんだ、その魔法は……!?」
エルズ・デゥは理解した。それが、魔神である自分に対抗しうる魔法であると。
これは、ジェイが自ら『影刃八法』の八番目、最後の魔法と定めたもの。
魔神の一撃をもたやすく斬り裂く黒き刀。
「邪心滅却……! 今ここに滅びよ、魔神よ!!」
その影の刃を手に、ジェイはエルズ・デゥ目掛けて踊り掛かる。
「来るな! 来るなァッ!!」
稲妻を放って迎え撃つエルズ・デゥ。しかし影の刃から放たれた炎がジェイを包み、稲妻を打ち消していく。
「馬鹿な!? この……この魔神エルズ・デゥがあぁぁぁぁぁッ!!」
炎を纏ったジェイは黒き流星となり、エルズ・デゥの身体を真っ二つに斬り裂いた。
辛うじて残った半身が、下の倉庫まで落ちていく。
「や、休まねば……また復活する日まで……!」
これが、魔神がほぼ不老不死である所以。ここまでやられても、いや、これ以上やられたとしても再び蘇る事ができる。それが魔神なのだ。
エルズ・デゥは、這いずりながら何とか魔神の壺に入り込もうと手を伸ばした。
「ぐ……!?」
だが、その骨の手は真っ白な灰となって崩れていく。
「なっ……何が起きて……!? 私の身体が……!?」
手だけではない。残された半身がどんどん灰になっていく。
「それが、この魔法の力だ」
その時、ジェイがエルズ・デゥを追って倉庫に降り立った。
『影刃八法』の『刀』は、魂を斬る刀。魂の中の邪心を焼き尽くす炎からは、魔神すらも逃れる事ができない。
滅びる。エルズ・デゥは否応にも理解せざるを得なかった。
「ク……ククククク……クハハハハハハハハ!!」
そして笑い出した。笑わずにはいられなかった。
今にも崩れて無くなってしまいそうな腕で身体を起こし、真っ二つになった第三の眼でジェイを見据える。
そして叫んだ。最後の力を振り絞って。
「そのようなところにおられたのですか! 魔法王陛下!!」
「…………はっ? 一体何を……?」
「魔神を滅ぼす力! 魔神を統べる魔法王の証!!」
「待て! 一体何の事だ!?」
「魔法国再興は成ったぞ! バンザーイ!! バンザーーーイ!!」
ジェイは問い詰めようとするが、もはやその声はエルズ・デゥには届かない。
エルズ・デゥは狂ったような笑い声を残しつつ、白い灰となって散っていった。
「俺が魔法王……魔王……? どういう事なんだ……?」
後に残されたジェイは、茫然と魔神の壺を見る。
しかし、壺は主を失い、彼の疑問に答える者は無い。
「俺は……日本から転生してきたんじゃなかったのか……?」
確かに彼には、その記憶がある。だが、何故転生したかは彼自身にも分からず、またその記憶が本物であると証明する手段はどこにも無かった……。
「魔神エルズ・デゥ」の名前の元ネタは、オランダ語の「eerste」です。濁音を増やしてエルズ・デゥとしました。
意味は「最初、第一」。最初に登場する魔神という事ですね。