第218話 もう戻れない
「ご飯できたよ~……って、どうしたの?」
モニカが居間に入ると、目を輝かせた明日香とエラ、しどろもどろになっているソック、そして頭を抱えているジェイの姿があった。
ぐったりするジェイとソックをよそに、明日香とエラから説明してもらったモニカ。
「へぇ~、その婚約者の人って幼馴染なんだ」
やはりと言うか、彼女が共感を示したのは婚約者の女性が幼馴染だという事だった。
「学園には来てないの?」
「彼女……タルラは、僕のひとつ下だから……」
婚約者の名はタルラ=芽野=ミコット。佐久野家と同じく北天騎士団の騎士隊長の家らしい。
華族でなければ侍女として連れてくるという手もあっただろうが、彼女も華族なのでそうはいかなかったのだ。来年、華族学園に入学する事になるだろう。
「弟さんの方は?」
「僕の二つ下です」
「あらあら……」
ソックとオーサは二歳差の兄弟で、幼馴染のタルラはその間の年齢らしい。
更に言えば小さい頃はよく三人一緒に遊んでいた間柄で、お互いに仲が良かったとか。
テレビドラマ等で三角関係をやらせるなら丁度良いかも知れない。そう感じたエラは、軽い口調とは裏腹に複雑そうな顔になっている。
かくいう冷泉家も、エラの妹・メアリーが縁談を嫌がってお抱えの料理人と駆け落ちするというドラマ顔負けのトラブルがあったばかりなので他人事とは言い難いのだ。
そこまで話を聞いたところで、モニカはジェイが頭を抱えている理由を察した。
ジェイ個人としては、ソックとタルラを応援したいのだろう。幼馴染同士の婚約、モニカだって応援する。
更に華族の筋目として考えれば、長子であるソックが後継者になるのが正しい。
だが、援軍等で多くの騎士達を見てきたジェイは、向いてないのに長子だからと後継者にされて苦しんでいた者や、不幸な結末になった者も多く見てきたのだ。
そして武芸を不得手としているソックは、明らかに同じタイプである。
更に、婚約者の存在が問題をややこしくしている。
メアリーの件を考えると、安易に駆け落ちを勧める事もできなかった。
「……オーサの方はどうなんだ? その気はあるのか?」
となると問題は、弟オーサが後継者争いに乗り気かどうかだ。
「それは……分かりません。武芸の稽古ばかりしているヤツでして、そういう話はした事がありませんので……」
「まぁ、普段からする話じゃないわね……」
エラの言う通り、兄弟姉妹で普段から「家を継ぐのはどちらか」なんて話は普通しない。
ただオーサは武芸に秀でいるため、ソックが騎士隊長になって大丈夫なのか?みたいな話はした事があるそうだ。
それ以上の情報は無く、この件に関してはオーサの出方を待つしかなかった。
そのためこれ以上話しても進展は無いと、話を切り上げて夕食にする。
食事の間に聞いてみたところ、騎士隊長の家だけあってソックは護衛となる家人をポーラ島に連れてきているとの事。
明日からはその家人を連れ歩くようにした方が良いと助言し、その日はお開きとなる。
ソックが帰った後、ジェイが即座に忍軍に密かに護衛するよう命じたのは言うまでもなかった。
「ええい! 風騎の小童め! 邪魔をしおって!」
一方その頃、内都の宿の一室ではヤマツが怒声を上げていた。
怒りの形相、先程自らの手で髪飾りをむしり取って投げ捨てたため、整えていた髪も乱れている。山姥だと言われれば信じてしまいそうな姿だ。
「落ち着いてください、ご隠居!」
護衛の騎士達は、彼女が癇癪を起こして部屋の物を壊してしまわないよう、三人で取り囲んで必死に宥めている。
「調べてみましたところ、あれはただの学生騎士ではありませんでした!」
「なんだと言うんじゃ!?」
「あれは『アーマガルトの守護者』です! それに小童ではありません、今はアルマ子爵家の当主でもあります!」
「ぐっ! ぐぬぬ……!」
英雄『アーマガルトの守護者』の名も重いが、それ以上に華族家の当主とそれ以外では大きな違いがある。
ヤマツは先代当主の夫人という事で佐久野家の中では多大な影響力を発揮しているが、外から見ればただの隠居に過ぎないのだ。それは理解できるため、彼女は忌々し気に唸り声を上げる。
それを説明している護衛の騎士も、相手が子爵家の当主本人であったと知って今日の件で抗議されないかと内心戦々恐々としていた。
「何故その子爵がソックの味方を!?」
「どうやら同じクラスのようで……」
「……厄介な!」
華族学園において、クラスメイトというのはそれなりに重い意味を持つ。
学園では実戦さながらの演習授業を行う事もあって、華族学園の「クラスメイト」は「戦友」と同等の意味を持っていたりする。
そのため不当な理由で後継者から外されようとしているクラスメイトがいれば助ける。それは華族社会において筋が通る話であった。
「まずい! まずいぞ!」
爪を噛みながら、部屋の中をグルグルと歩き回るヤマツ。
「このままではオーサを跡取りにできん!」
その姿はまるで落ち着きのない熊のようだ。
「いかん……! ソックではいかんのじゃ……!」
俯きながらブツブツと呟くヤマツの眼は見開き、血走っていた。
護衛の騎士達はそんな彼女に下手に触れる事もできず、顔を見合わせて大きなため息をつくのだった。
その時、けたたましい音を立てて扉が開かれた。
「今戻ったぞ!」
部屋に入ってきたのは鞘に収めたロングソードを肩に担いだ少年。
ヤマツはハッと顔を上げる。
「オーサ!」
そう、少年はオーサ=佐久野=タージャラオ。ヤマツが後継者にと推すソックの弟だ。
ソックと同じく色白の肌。雄々しい長い髪に、年の割には鍛えられた肉体。何より獰猛な肉食獣を彷彿とさせる笑みが粗野な印象を覚えさせる。
北のタルバではよく使われている毛皮のマントを羽織っている。
一緒に二人の少年が入ってくるが、こちらは寄騎の騎士ではなくオーサの従者達。地元でオーサと共に幅を利かせていた若者達だ。
「わ、若! その腕の傷は!?」
護衛の騎士の一人が、その腕の傷を見付けて目を丸くした。
「なに、大した傷ではない。田舎者と馬鹿にしてきおった愚か者に、身の程を教えてやったわ!」
「おお! それでこそ佐久野家の後継者に相応しい!」
打って変わって上機嫌になるヤマツ。オーサもフフンと笑いながら、ドカッとソファに腰を下ろす。
そしてソファに背中を預けて天井を仰ぎ見る。
「フン、兄上ごときと比べるな」
「そうじゃ、オーサ! 騎士隊長は強くなければならん! いや、お前ならばそれ以上も目指せよう!!」
更に騒ぎ立てるヤマツ。オーサは一瞬そちらを見たが、鬱陶しそうに視線をそらした。
そして壁に飾られた絵に目が留まる。馬上の騎士に、娘が花を一輪贈る姿が描かれた絵だ。
「兄上、あなたでは家を守れん……タルラもな……」
絵を見つめるオーサの呟きは、騒ぐヤマツの声にかき消され、他の者達の耳には届かなかった。




