第212話 昴家の長い夜
「ややこしい話は、これで終わりですねっ! さぁ!」
明日香は両手を広げてハグを求めてくる。
今日の彼女がこうなのには、もちろん理由がある。それはアルフィルクの「架け橋となる子を頼む」発言だ。
ジェイと明日香の縁談に関しては、幕府側は元々即座に嫁入りさせたかったが、連合王国側の都合で待ってもらっているという経緯がある。
華族学園を卒業しなければ家を継ぐ事ができない、すなわち将来的に華族ではなくなると法で定められているため、ジェイが卒業するまで正式な結婚は待ってもらっているのが現状なのだ。
明日香もその事には納得していたが、内心できれば早く……という想いがあった。
そこにあの発言は、セルツ王がある種のお墨付きを与えたと言える。
アルフィルクは、そんな深い意図があって言った訳ではないだろう。しかし、周りにそういう話をする者はいたと考えられる。でなければ、あんな発言は出てこなかっただろう。
そして今宮廷は、少年王の発言に喝采を送りたい気分ではないだろうか。
というのも『純血派』の一部が暗躍している今、宮廷としては幕府という外敵まで抱えるのは避けたい。内に目を向けると、無防備な背中を晒す事になるからだ。
そのためにも両国の友好の証として、ジェイと明日香には早く子供を作って欲しい。
更に言えば、二人の子は有力なアルフィルクの婚約者候補となる。だからできるだけ早くと言うのは紛れもない宮廷の本音であった。
「そういえばお爺様が言ってたわ。ジェイ自身が子爵になっているから、卒業しなくても華族として結婚できるって」
「それ、辺境伯家は継げないよね?」
「ここまで活躍して、卒業させないなんて事はないわ」
「できない」ではなく「させない」なのがミソである。
「まぁ、正式な結婚は卒業後にしても、子供は早めに欲しいわねぇ」
そう言って微笑むエラ。アーロで先陣を切った彼女は、余裕の表情であった。
華族学園でも、在学中に子供ができる事は祝福されるものだ。よっぽど卒業できる見込みが無い人でなければ。
家を次代につなげる事が義務であり、使命である華族にとって、子供ができるというのはプラス評価となるのである。
「……ボ、ボクも遠慮しなくて済むし……」
そしてモニカも控えめに賛成に回った。顔を真っ赤にしながら。
彼女には幼馴染というアドバンテージはあるが、子供に関しては姫の明日香、華族のエラより先んじてしまうと色々と面倒な立場だ。
とはいえモニカ自身は、身分の差等で諦めかけていたのにこうして結婚できるようになった現状に大満足なので、子供については特に焦ってはいない。
しかし、できない事ができるようになるならば彼女としても反対する理由は無かった。
明日香は言わずもがな。そして侍女達も彼女の味方となると正に四面楚歌である。
では、当のジェイはどうなのか。
彼個人の意志としては、別段拒んでいる訳ではない。ただ、気になる事があった。
結婚前に子供を作るのは順序が違う。いけない事なのではないかという思いがあった。なんとなく恥ずかしいという感覚。前世の影響なのかも知れない。
この世界に転生して十数年。華族としての常識が身に付いていたジェイ。そんな彼にとってアルフィルクのお墨付きを得たというのはありがたかった。大義名分的な意味で。
それはそれとして、思うところが無い訳ではないが……。
「あの、お風呂の用意ができましたが」
ジェイが考え込んでいると、侍女がおずおずと声を掛けてきた。
「ジェイ君、先に入っちゃったら?」
「……そうだな」
「あたしも一緒に!」
「ボクもっ!」
ジェイがソファから腰を上げると、即座に明日香が、少し遅れてモニカがそれに続き、二人は左右からジェイの腕をがっちりホールドする。
「三人は狭いわよ~」
エラはそう言いつつも止める気は無いようで、手をひらひらとさせながら浴室に向かう三人の背を見送るのだった。
「お嬢様は行かなくてよろしいのですか?」
「今日のところはね。お茶をもらえるかしら?」
声を掛けてきた侍女に、エラはにっこり微笑んで魔草茶のおかわりをもらう。
お茶を飲みながらエラは考える。今の国内の、一歩間違えば内戦に発展しかねない危うい情勢について。
唐突なように思えるかも知れないが、実はここまでの話と全くの無関係という訳でもない。
華族学園在学中に子供ができる事は、稀によくある話だ。では、そのよくあるタイミングというのはどういう時期なのか?
実は、今のような不穏な空気が漂う情勢下こそが、その時期だったりする。
華族は次代に家を受け継がせていく事が大事とされているが、それは子供がいなければ始まらない。
不穏な情勢になる。場合によっては学生でも戦いに巻き込まれるかも知れない。家を守るために後継者を作っておかなければならない……という理屈である。
実際龍門将軍が親征を行った第五次サルタートの戦いの時は、ジェイが将軍を撃退するまで亡国の危機だと騒がれ、約一年後にはにわかに学生ベビーラッシュが訪れたとか。
エラも直接知っている訳ではないが、当時は実家からの催促も激しかったらしい。
冗談のように思えるかも知れないが、内都で蜂起騒動が起きた今、次はポーラ島で起きない保証は無い。何せこの島でも集会は行われていたのだから。
ジェイは当時の事を知らないだろうが、今の学生達も巻き込まれかねない不穏な空気は感じ取っているようだ。
「……まぁ、なるようにしかならないわね」
とはいえこの問題に関しては、エラにできる事は少ない。不穏な空気に戸惑う後輩達のフォローぐらいだろうか。
いや、もうひとつある。
今の時点で後継者がいない。それは冷泉家も同じである。
遠慮しているのか冷泉家からは何も言ってこないが、エラもまた励まなければならない立場だった。
「……臨時休校っていつまでだったかしら?」
「今週はずっとです、お嬢様」
侍女の言葉を聞いて、よしっと小さくガッツポーズをするエラ。
今夜は明日香に譲るが、明日からは……とエラは心に決める。
昴家はしばらく、長い夜が続きそうであった。




