第206話 影の英雄と空の魔法使い
先に動いたのはジェイ。『絶兎』相手に足を止めるのは自殺行為だ。
弓を引き絞って放つように、手を向けた先の空間を真っ直ぐに削り取る魔法『空幻絶兎』。本来は空間転移の魔法であり、攻撃はその応用である。
不可視の攻撃ではあるが、その発動方法故に手を見れば大体の方向は分かるのだ。
ジェイは狙いを定められないよう、左右に跳躍して揺さぶりながら距離を詰めようとする。
「『射』ァッ!!」
手始めに影の矢を『射』るが、それらは『絶兎』に届く手前で消失した。
ジェイの目には何も無いところで、不意に消えたように見えた。おそらくそれも空間転移の応用だろう。影の矢をどこかへ転移させたのだ。
慣れている。影世界に『潜』る事も、ある種の空間転移。それ故に分かる。敵の魔法を咄嗟に転移できる、目の前の魔法使いの熟練ぶりに。
これは、時間を掛けられない。現状ジェイが彼を倒す方法は限られており、そのためにも『影刃八法』の力を把握される前に勝負を決める必要がある。
ジェイは駆け出し、勢いを殺す事無く『絶兎』へと肉迫。影の矢は牽制に徹し、すれ違いざまに腰の刀を抜き放ち、彼の胴を横薙ぎに斬り裂こうとした。
ほんの一瞬だけ響く、甲高い金属音。そのままジェイは『絶兎』の背後へと駆け抜けていった。
しかし、この時既に彼の剣は半ばから先が消失していた。影の矢と同じように『絶兎』の胴を斬るはずだった刀身を転移させられたのだ。
「直接も駄目かッ!」
もう少し踏み込んでいたら、こうなっていたのは自分の手かも知れない。ジェイは身震いしそうになるのを、声を張り上げて堪える。
「魔法使いが、騎士の剣如きに遅れを取るとでも!?」
しかし、それを侮辱と感じたのか『絶兎』の攻撃が激しくなる。抉り取る範囲が大きくなる。
ジェイはそこで怒るのかと若干呆れつつも『絶兎』のわずかな変化を見逃さなかった。
威力を高めるためか「溜め」の時間がわずかに長くなっている。
「そこで剣という選択肢が出てくる事が、貴様が半端者である、半端者である何よりの証拠だ!」
「は?」
思わずジェイが足を止めると、すかさずそこに『空幻絶兎』が撃ち込まれる。ジェイは咄嗟に飛び退いてそれを避けた。
「半端……魔法使いの事か?」
「それ以外に何があるッ!!」
『絶兎』は更に激昂する。
「貴様も誇り高き魔法使いならば! 支配者たる魔法使いならば! 魔法使いに相応しい振る舞いをせんかッ!!」
魔法使いならば、魔法のみで戦えという事だろう。尚武会の時のラフィアスもそうだった。
なるほど『純血派』か。予想はしていたが、ジェイは彼等の正体に確信を持った。
一連の事件における、ジェイを地方側に引き入れようとしていた動き。ジェイは昴家が辺境伯だからと考えていた。
しかし『絶兎』の言動を見るに、そもそも地方と中央の対立というのは隠れ蓑に過ぎなかったのかも知れない。
ただの地方ではなく、魔法国滅亡によって地方に落ち延びた魔法使い。
ただの中央ではなく、魔法国を滅ぼして中央に居座った今の王家。
一連の事件の正体はこの二つの争い、正確には地方に潜む『純血派』が中央に居座るセルツ王家を打倒して魔法国を再興させようとしていたという事だ。
「……だから俺を引き入れようとしたのか」
「フン! 貴様を直接見て考えが変わったわ、半端者がッ!!」
吐き捨てるように言う『絶兎』。ジェイは魔法を戦うための一手段と割り切っているところがあるのだから『純血派』と相容れないのは当然であろう。
ジェイは、ここであえて不敵な笑みを浮かべて『絶兎』を指差す。
「だったら試してみるか?」
「……なんだと?」
「人の事を半端者とか言ってるが、そもそもお前の魔法は半端者より強いのかって話だ」
「……ハッ! 何を言うかと思えば……貴様の魔法は、先程削り消してやったばかりではないか」
「生憎と俺の魔法は、お前のほど……底が浅くないのでな」
その瞬間『絶兎』の目付きが変わった。
魔法とは魂の個性の発露という考え方がある。『純血派』魔法使いは特にその考えが根強い。
そのため彼等にとって、魔法を侮辱されるという事は魂を侮辱される事に等しい。最大限の侮辱である。
「フン……半端者は魔法の優劣も分からんのか」
こうなると『絶兎』は退く事ができない。元よりそのつもりであったが、ここで必ず殺さねばならぬと更に殺意を滾らせる。
乗ってきた。対するジェイは、内心ほくそ笑む。
『絶兎』がジェイを殺そうとしているように、ジェイもまた彼をここで仕留めておきたかった。
空間転移という移動手段と、障害物をものともしない一撃必殺の魔法を持つ敵。こちらも生かしておくには危険過ぎる。だからこその挑発だ。
ジェイは姿勢を低くして、再び『絶兎』に向けて駆け出す。
『絶兎』が迎え撃とうと手を向けると、ジェイの足下の影が大蛇のように鎌首をもたげ、覆い被さるようにして彼の姿を隠した。
そのまま影が巨大な槍の穂先のようになって吶喊してくる。スピードは変わらない。
対する『絶兎』は一瞬眉をしかめる。所詮は半端者という見下す思いと、『アーマガルトの守護者』と呼ばれた魔法使いがこの程度かという疑問がせめぎ合う。
これも囮かも知れない。だが、影はジェイの足下から伸びている。彼はそこにいる。
あるとすれば左右どちらかに避けてからの攻撃。小細工だ。ならば避ける先ごと削るまで。
二連射するよりも、最大範囲で撃ち込んだ方が早い。『絶兎』は即座にそう判断する。
「半端者がぁ! その小賢しさごと削り飛ばしてくれるわぁッ!!」
両手を構え、魔素を溜め、迫り来る影の巨槍に向けて――
「……あっ?」
――放とうとしたその瞬間、影からジェイが飛び出してきた。
速い。『絶兎』がそう感じた瞬間には、彼が突き出した右腕が宙を舞っていた。
痛みを感じる前にそれが視界に入り、一瞬思考が真っ白になる。
「な、なんだこれはあぁぁぁっ!?」
直後『絶兎』の絶叫が響き渡った。
種明かしをすると、なんてことはない。ジェイは、いつもの足下の影を使って滑る方法でスピードを上げて、影の槍を追い抜いたのだ。
その際に影を手に纏わせ手刀を一閃。『絶兎』の右腕を斬り飛ばした。
ここまで見せていなかった影の使い方。『絶兎』には何が起きたか理解できなかっただろう。
そのままジェイは駆け抜け『絶兎』から距離を取る。
離れた所で振り返り身構えた時、それは起きた。
「バ、バカな! こぉの私ぃぃぃがぁあぁぁぁ……!?」
『絶兎』の声が歪む。いや、それだけではない。彼の姿も、周りの空間も歪んで行く。
両手を使って放つ空間転移の魔法、制御に使う片方の手が失われたらどうなるのか。
「ぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁああぁあああぁぁぁ……!?」
これがその答えだ。『絶兎』の姿が一瞬捻じれたかと思った次の瞬間、音も無く彼の姿がかき消え、衝撃波の暴風と遅れてきた轟音が周囲を薙ぎ払った。
ジェイは咄嗟に近くの木の幹に隠れて難を逃れる。
暴風が収まり、幹の陰から顔を覗かせるジェイ。衝撃波によって地面が抉られ大きなクレーターができていた。
『絶兎』の姿は無い。彼がいた痕跡も見つからない。空間転移の制御に失敗した者の末路であった……。
今回のタイトル、ジェイは「魔法を使う英雄」だが『純血派』の「魔法使い」とは違うという意味もあります。




