第203話 聖女の影
「ジェ~~~イ~~~!!」
大爆発の音を聞いたのか、明日香とその侍女が駆け寄ってきた。
「って、なんですかその怪我!?」
そのままの勢いで飛び付こうとしたが、直前で彼の怪我に気付いて急ブレーキを掛けた。
「世界の爆発に巻き込まれたら、流石にな……」
「世界が爆発!?」
『ロン・ティールの魔法世界』の話である。その世界では影で身を守る事もできなかったのだ。
あの時ジェイは、使えないのを承知の上でずっと『影刃八法』を使い続けていた。そのため爆発で世界が崩壊した直後に発動して防御。おかげでこの程度で済んでいた。
「手当てです! 手当て!」
「は、はい!」
「いや、それは中で……」
ジェイは、慌てる二人と一緒に影世界に『潜』る。
こちらは全てが影で構成された、光が無いのに見える世界。戦闘中足下の影を滑らせてスケートの如く移動していたように、それこそ座りながら移動する事もできる。
ジェイは影世界で腰を下ろすと、侍女が慣れた手付きで応急手当を始めた。その間にも影世界の景色は車窓から見る光景のように動き始める。
「どこに向かってるんですか?」
キョロキョロと周りを見ながら、明日香が尋ねた。
「『風の丘』だ。フライヤ達を捕まえないと」
「衛兵達が追っているのでは? それよりも若様は、しっかりと治療を……!」
いつも明日香を叱っている時のような口調の侍女。咎めているように聞こえるのは気のせいではあるまい。
「逃げ切られるとまずい。衛兵達も心配だ。行くぞ!」
しかしジェイは、それを聞き入れなかった。ロン・ティールが魔神化したごたごたで、逃げるフライヤ達に影を『添』わせる事ができなかった。
分かっているのは『風の丘』に向かっている事。もし『絶兎』と遭遇すれば、追い掛けている衛兵達は間違いなく全滅だ。
アルフィルク誘拐に失敗している以上、関係者であるフライヤだって始末される可能性もある。当然、連れて行る子供達も無事では済まないだろう。
「ジェイ、急ぎましょう!」
侍女としてはそれでも止めたかったが、こうして影世界の中に入ってしまってはどうしようもない。主である明日香が、子供達が危険ならばと助けに行く気満々なのだから尚更だ。
こうなれば侍女も黙って付いて行くしかない。移動中にジェイの怪我を手当てしていく。
「痛っ!」
少々力がこもってしまったが、仕方がない事だろう。
道中、衛兵達が子供を保護している姿を見掛けたが、そこにフライヤの姿は無い。
ジェイはまだ手当てを受けている最中だったため、明日香が外に出て話を聞いてくる。
「ちょっ! 何やってるんですか!?」
「この者達は抵抗してきたのです!」
明日香が止めようと近付くが、衛兵達は強い口調で反論してきた。
クイッと衛兵が顎で指し示した先には、彼等が持つには小さ過ぎる小刀が転がっていた。
「こいつらが抵抗してきたせいで、フライヤに逃げられた!」
なんと子供達は、衛兵に追い付かれそうになると衛兵達に襲い掛かってきたらしい。フライヤ達を逃がすために。
衛兵達は訓練を受けているだけあって、子供達を取り押さえる事に成功したが、負傷者が出てしまった。その間に、フライヤ達にも逃げられてしまっている。
「……フライヤ先生が、子供達に命じたんですか?」
「いや、何も言ってなかった……どうなっとるんだ、まったく……」
つまり、子供達は自分の意思で戦ったという事だ。
押さえ込まれても抵抗の意思を見せる子供の目に、明日香はロン・ティールと似たようなものを感じていた。あの魔神化させた短刀があれば、この子も迷わず使っていたのではないだろうかと。
「それで、フライヤ先生は?」
「『風の丘』に向かって、残った子供と一緒に……あと二人いるはずだ」
「分かりました! すぐに追います!!」
「あっ、こいつらを町に連れて行ってくれたら我々が……って、行っちまったよ」
衛兵としては子供の連行を風騎委員である明日香に頼んで、自分達が追跡するつもりだったが、それを言う前に明日香は猛スピードで走り去ってしまった。
そして彼等から見えなくなった辺りで影世界に『潜』って合流。
その頃にはジェイの手当ても終わっていた。本人は平然としているが、ジェイの怪我は決して軽いものではなく、侍女は手持ちの薬をほとんど使い切ってしまっている。
だからと言って、ここまで来て引き返すという選択肢は無い。
「フライヤは……危険だな」
明日香から子供達の様子を聞いたジェイは、そう呟いた。
魔神となってまで愛に殉じたロン・ティール。極天騎士の眉我も心酔させ、金貸しのオリヴァーもある意味彼女の魅力に参っていたと言える。
更に子供ですらロン・ティールのように命懸けでフライヤを守ろうとする。大の大人に向かって小刀を手に立ち向かうなど、生半可の事ではない。
彼女が全ての黒幕だと言う証拠は無い。王家に対する敵意はあったが、それがどれ程のものだったかも分からない。
だが、悪意が無かったとしても、子供にそこまでやらせてしまう彼女の「魅力」は危険だ。魔性と言ってもいいだろう。これを放っておく訳にはいかない。
一行は、スピードを上げて『風の丘』へと向かうのだった。
しかし『風の丘』に到着しても、周囲にそれらしい姿は無かった。
「……やっぱりあそこか?」
ジェイの心当たりは、森の中のアルフィルクを救出した場所。
おそらくフライヤ達の本来の計画では、アルフィルク誘拐後あそこで合流。その後セルツから撤収する予定だったのではないだろうか。
「そ、それって……あの妙な魔法使いが暴れてましたよね?」
口元をヒクつかせて言う明日香。そう、『絶兎』が落ち着いていればいいが、あのままだと仲間であろうフライヤ達も危ないかも知れない。
もし戦闘が発生した場合、子供達がフライヤを守ろうとすればどうなるのか。
「……急ごう」
最悪の事態を想像したジェイ達は、急いで森に入った。
「あっ! ジェイ、ジェイ! あれ見てください!」
しばらく進んだところで、外の様子を窺っていた明日香が声を上げる。
いつもの勢いでジェイの肩を掴もうとして、ハッと気付き、そそくさと手を引っ込めた。
「子供……二人だな」
フライヤが連れて逃げているという残りの二人だろう。
だが、様子がおかしい。近くにフライヤの姿は無く、何より二人とも泣きながら走っている。何かから逃げるように。
「何かあったな、あれは……」
あれが騙し討ちという事は流石に無いだろう。ジェイ達は外に出て子供達を保護する事にした。
「は~い、もう大丈夫ですよ~」
その二人は男女の幼い子供達だった。男の子の方は涙ぐみつつも強がっているが、女の子の方は大泣きで、明日香が抱きしめ宥めている。
「何があった? フライヤ先生は?」
ジェイは男の子の方に事情を聞く。すると少年は涙をこらえながら、声を絞り出す。
「こ……怖い人が来たの! 大きな、ウサギの人!」
その言葉を聞いてジェイの脳裏に浮かんだのは、二房の銀髪が逆立った『絶兎』の髪型だった。
「ウサギ? 髪の毛がこうなってる?」
両手でその形を真似でみると、少年はコクコクと勢いよく頷く。
「そいつがフライヤ先生に! 先生、僕達に逃げろって……!!」
眉をひそめるジェイ。どうやら本当に『絶兎』がフライヤに襲い掛かっているようだ。
単に先程と変わらず怒り狂っているのか、それとも任務を失敗したから粛清されようとしているのか。そうなる可能性は考えていたが、まさか本当に起きているとは。
「ジェイ、早く行きましょう!」
「俺が行くから、二人はここに」
「一人は危険ですよ!?」
「ああ、だから二人で子供達を頼む」
そう言ってジェイは、明日香達に子供二人を任せて『絶兎』がいた場所へと急ぐのだった。




