第202話 魔法の本質
影世界に『潜』る時と同じような感触。
不死鳥模様を抜けた先は、視界の全てが赤に染まっているような薄暗い世界だった。赤黒い血の海、そう表現するのが一番近いかも知れない。影世界と同じく呼吸ができない訳ではないが。
「なんだ、この粘っこい……」
ジェイは、周りの空気に粘度を感じた。それこそ手足を動かして空間内を泳げそうな程に。
正確には、空気ではなくこの空間内に充満している魔素だ。その性質が、この粘っこさを生み出している。
そしてこの世界は、表の世界を再現している影世界と違って地面が無い。
ジェイは赤に染まる視界の中、眼下に巨大な目があるのを見付けた。
眼球が浮いているのではなく、何も無い空間で目蓋が開いて、大きな目がギョロリとジェイを睨み付けている。あれこそが魔神の『第三の眼』だ。
ジェイはその瞳目掛けて落ちていくが、粘着質な魔素のためゆっくりとした速度になっている。
「フ……フハハハハ!」
辺りに響き渡るロン・ティールの笑い声。
「バカめ! 自ら! 死地に! 飛び込んでくるとは!!」
声に力が込められるために、周囲の何も無い空間が爆発を起こす。
「ここは! 我が世界! 貴様には! 万が一にも! 勝ち目は無いぞ!!」
連続する爆発音。噴き出す噴煙が、ジェイに襲い掛かる。不死鳥模様から放出されていた噴煙、あれはこうやって生み出されたのだ。
泳ぐ要領でそれを巧みに避けるジェイ。そして忌々し気に睨んでくる瞳に対し、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「なるほどな……確かにここはお前の世界だ」
「フン! 何を分かり切った事を!」
魔神――極めた魔法が生み出す世界。魔法であり、魔神そのものでもある。
「ああ、分かったさ。正しくお前そのものだよ……ロン・ティール」
人によって異なる魔法。魔法は、その人となりを露わにする。
彼の魔法の本質は爆発そのものだ。
そして上半身だけの煙の姿は、魔法の本質を覆い隠すヴェール。
あの発射した指先が爆発するのも、指先自体は爆発の魔法を覆い隠すものなのだろう。
そして目から放たれる光線は、爆発が生み出す熱線である。
「本心は隠しているが、その内面は粘着質であり、すぐに激しく爆発する」
爆発そのものではなく、噴煙や熱を攻撃に使う。それは彼の求めるものが「隠す」事に重点を置いているからだ。
だが内面では粘っこく、激しく爆発している。それこそが人間だった頃からの彼の本質である。
そしてフライヤに殉じる愛。彼は覆面で本心を覆い隠しつつ、彼女のために怒りを爆発させていたのだろう。
「その調子で殺したんだろう? フライヤに借金返済を迫るオリヴァーも。フライヤを狙っていた眉我も」
一瞬、周囲の爆発が止まった。しかし、その数秒後には更に爆発が激しくなった。
「違う! 違う! 違う! 違う! 違う!」
狙いが定まっていない。ジェイは噴煙をかいくぐって眼に近付こうとする。
「オリヴァーは違う! 奴は不遜にも! 返済を待って欲しくばと! フライヤ様を穢そうとしたのだ!! だから私が罰を与えた!!」
ロン・ティールの怒声が響くと同時に爆発も激しくなるが、最早辺り構わずだ。
「眉我も違う! 奴はお前を陥れるのに失敗した! 奴のせいでフライヤ様にも調査の手が伸びそうになった!! だから私が罰を与えた!!」
だが眼の近くまでは爆発が及んでいない。近付くほど、接近が楽になる。
「お前だ! お前がフライヤ様のために、我等の同志となっていれば! 眉我が死んだのはお前の責任だ!!」
「……そんな訳あるか」
そしてジェイは『第三の眼』の、文字通り目前まで迫った。
大きく見開かれる眼。至近距離でジェイと見つめ合う形となる。
しばしの沈黙。
「フ……フハハ! フハハハハハハハハ!!」
だが、その後爆発するような音量の笑い声が響いた。
「バカめ! バカめ! バカめ!」
罵声に合わせて周囲の空間が爆発する。
「近付けば勝てると思ったか!? まだ気付いていないのか!?」
眼に近いジェイには被害は無いが、これまで以上の大音量でやかましい事この上ない。
「ここでは影は生まれん!! お前は!! お前の影魔法は!! ここでは使えんのだあぁぁぁッ!!」
そう、このロン・ティールの世界では影が生まれない。当然、影を起点とする『影刃八法』を使う事もできない。
ここまで接近を許したのも、ロン・ティールが油断していたからではない。
接近されても人間であるジェイには魔神を殺す手段が無い。絶対の勝利を確信していたからだ。
「ここまで接近できた褒美をくれてやろう!」
爆発は起きず、周囲の魔素が渦巻きだす。
「そうだ! お前を! 殺すためならば!」
語気を強めるごとに、魔素の圧力が増していく。
「どんな痛みだろうと! 甘んじて受けてやるぞおぉぉぉぉッ!!」
眼にも被害が及ぶ事を覚悟した上で爆発させる。
その圧が最高潮に達し、大爆発を起こさんとする。
その瞬間、無造作に振るわれた黒炎の『刀』が横薙ぎに眼を斬り裂いた。
「…………あっ?」
「悪いが、こいつだけは影じゃないんだ」
勇者と魔王の魂がジェイの中でひとつとなっているため、『影刃八法』もひとつの魔法として扱われている。
しかし『刀』だけは、黒炎を使う魔王の魔法。影を使う勇者の魔法とは、元々別のものなのだ。
ジェイのその言葉が、ロン・ティールに届いていたかは分からない。
直後、耳をつんざくような大絶叫と共に、ロン・ティールの世界は崩壊を始めた。
表の世界では煙の身体が大きく膨れ上がっていき――
「フ……フライヤ様……どうかお許し……く……だ……」
――風船が割れるように、思いのほか軽い音を立てて弾け飛んだ。
その後に立っているのはジェイ。爆発でダメージを負ってはいるが健在だ。
ここに魔神ロン・ティールは討伐されたのである。




