第197話 決裂
それ以降、僧兵は完全に口をつぐんでしまった。
説得して味方につけるのも無理、数を頼りに捕らえるのも無理となると、話し掛けて油断を誘う必要も無いという事だろう。
こうなると同行させるのもまずいと考えているのか、覆面から覗き出る目元を見るだけでも不機嫌になっているのが見て取れた。
その一方で、ジェイ側も見切りをつけようとしていた。
元々同行していたのは、内都にはもう安全な場所は無いと言う彼等が子供達を避難させる場所、それはすなわち彼等の拠点ではないかと考えたからだ。
しかし、彼等が向かっているのは『風の丘』方面だ。
「行き先は……『風の丘』だな?」
「……そうだ」
尋ねるのではなく、確かめる声色。隠しても無駄と感じたのか、僧兵は素直に認めた。
そして、これ以上話す事は無いと言わんばかりに僧兵は先頭に立って歩き出した。ジェイもそれ以上は何も言わない。後続がついて来ているのを確認しつつ、その後に続く。
このタイミングで『風の丘』に向かうという事は、やはりアルフィルク誘拐チームと合流するつもりか。ジェイはそう判断した。
もしかしたらアルフィルクを孤児院の子供達の中に紛れさせて、国境を越える計画だったのかも知れない。
だが、そのチームはもういない。他ならぬジェイが『絶兎』以外を捕まえ、アルフィルクも救出済みである。
つまり、合流は不可能。彼等も異常事態に気付くだろう。拠点に行く前に。
そうなると求める情報は得られないだろう。そろそろ切り上げ時と考えられる。
ひとつだけ、まだ得られそうな情報が考えられるが……。
そこまで考えが至ったところで、ジェイはある事が気になった。
それは『風の丘』までそれなりに距離が有り、一行のほとんどは子供という事だ。
『風の丘』まで行って異常事態に気付き、慌てて更に移動する。子供の体力的に厳しいのではないだろうか。
ジェイも子供達を巻き込むなと言った手前、これを放置するのは気が引けた。
そんな事を考えている内に、内都の門が近付いてきた。門を守る衛兵の詰め所もある。
住宅街の暴動は、この辺りまでは広がっていないようだ。しかし、衛兵達は大きな門を閉じようとしている真っ最中だった。何事かと野次馬が集まってきている。
一行はここで一旦を足を止め、フライヤは人数を確認して誰もはぐれていない事を確認。
明日香はジェイの所に駆け寄ってきて、侍女はその後をついて来た。
これから内都を出るには、門を開けてもらう必要がある訳だが……。
「どうして外に出られないのですか!?」
「非常事態だ! 事が収まるまで門は閉鎖される!」
フライヤが子供達を逃がしたいから門を開けて欲しいと願い出たが、衛兵の反応は取りつく島も無かった。
それを見ていた僧兵だけでなく、ジェイも眉をひそめる。
町で非常事態が起きれば、内からの逃亡と、外からの援軍を防ぐために門を封鎖する。これは内都に限らずどこでも行う事ではある。それが大きな事態であれば。
これには大きな町程、慎重な判断が求められる。門を閉じると無関係の人々の流れも遮られ、流通にまで影響を及ぼすからだ。
「馬鹿な、この程度の暴動では……!」
僧兵の言う通り、住宅街の暴動程度では、閉門するよりも先に極天騎士団を動員して騒ぎを収める。おそらく彼等もそう考えていたのだろう。その判断は間違っていない。
だが、少年王アルフィルクの拉致も同時に起きているとなると話は違ってくる。
こちらは表沙汰にはできないため、それを理由に門を閉鎖するのは難しい。
だが、そこに閉門する程ではない暴動が重なったとなれば、宮廷はそれを建前にして閉門を命じるのではないだろうか。
当のアルフィルクは既に救出されているのだが、その情報が宮廷に伝わっているかは冷泉宰相と愛染団長次第である。おそらくまだ伝わっていないだろう。
「絶対に逃がさないって意志を感じますね!」
門を見上げながら言う明日香。それにはジェイも同感であった。
彼女の言う通り、誘拐犯がまだ内都にいるならば絶対に逃がさないという事であろう。実際には速攻で『風の丘』まで逃げられていた訳だが。
「そもそも貴女の孤児院は避難場所に指定されていたはずだろう? 戻りなさい!」
「建物が避難所として使える状態ではないのです! 国の支援が滞っているせいで!!」
衛兵とフライヤ先生の言い合いは続いている。
と言っても衛兵は命令だから開けられないの一点ばりで、その頑なな態度にフライヤは段々と声が大きくなっていた。
そのフライヤの様子に、子供達が不安気になってきていた。今にも泣き出しそうな子もいる。
「あっ、ちょっと行ってきます」
それに気付いた明日香は、侍女と共に子供達に近付いて行った。
ジェイは僧兵を注視していたが、彼は閉じられた門を見上げて呆然としている。
「……町を抜け出すルートは考えていなかったのか?」
ジェイが問い掛けると、僧兵はハッと振り返った。
その目には焦りの色が見える。実際に町を抜け出すルートを知っていたらやましいところがあると言っているようなものだが、それにも気付いていないようだ。
どうやら門は閉じられない。閉じられるとしても、それまでに町を抜けられると考えていたのかも知れない。実際、誘拐チームは間に合っていた。
ジェイがもうひとつ得られるかも知れないと考えていた情報というのは、実はこの町を抜け出すルートの情報だったりする。
この様子では、それに関しても期待ハズレだったようだが。
何事も無く逃げられるようならば、影を『添』わせて逃がす事も考えていた。しかし、このまま衛兵との間でトラブルが起きそうだ。
そうなると、子供達が巻き込まれてしまうだろう。
「……ここで子供の保護を頼んだらどうだ? 戦場はまだ遠い。今なら大丈夫だと思うぞ」
そこでジェイは、こう提案した。暗にこれ以上逃げるのは諦めろという事だ。事実上の降伏勧告である。
それに気付いた僧兵は、ジェイに鋭い視線を向ける。その瞬間に、周囲の空気が張り詰めたものに変わった。
まず明日香が、それに気付いて二人を見る。そして侍女と共に子供達を守るように背に庇った。
「さっきも言ったよな? 子供達を巻き込むなって」
しかし、ジェイも怯まない。僧兵の視線に負けずに言葉を続けた。
ここで戦いとなったら、子供達を守り切るのは難しいだろう。彼としても退けない一線だ。
無言で睨み合う形となったジェイと僧兵。
一部の衛兵、フライヤの順に空気の変化に気付いた。そうなると他の者達にも知られ、やがて皆の注目が二人に集まる。
「あ、あの……!」
フライヤが心配そうに、ジェイに声を掛けた。
すると僧兵は、ハッと弾かれるように彼女を見る。
彼の脳裏に渦巻いているのは、このまま降伏したところでフライヤが無事で済むかどうかだ。
脱出のタイミングでジェイ達が来た時点で、もはや疑われていないとは思っていない。
証拠まで掴んでいるかどうかは分からないが、疑わしきは罰せずが通じると思える程、彼はセルツ王家を信用していなかった。
すなわち、ここで子供達の保護を求めれば、降伏すれば、フライヤはただでは済まない。
しかしジェイが、このまま見逃してくれるとも思えなかった。
「こうなれば……!」
自分が時間を稼いでいる内にフライヤを逃がすしかない。僧兵は決意を固める。
しかし、彼女に一人で逃げろと言っても聞き入れないだろう。そして子供も一緒にとなると、逃げ切るのは不可能だろう。彼はここから町を脱げだす手段など持ち合わせていなかった。
彼が取り得る手段はひとつ。それに思い至った時、僧兵の表情はまるで悟ったかのような、ある種穏やかなものへと変わった。
それに気付いたフライヤ。しかしその穏やかさとは裏腹に、見ている彼女の心の中では不安が膨れ上がっていく。
僧兵はおもむろに薙刀を捨てる。けたたましい音を立てて地面に転がった。
そして懐に手を入れると、一振りの短刀を取り出する。
彼の質実剛健な薙刀とは正反対の、ごてごてしい装飾が施された物だ。
「あれは……」
それを見て、小さな声を漏らすフライヤ。
ジェイも目を凝らしてそれが何か探ろうとするが、そうはさせまいと僧兵は短刀を鞘から抜き、逆手に持って頭上に振り上げた。
「ま、待ちなさい……!」
「ここは……私にお任せください!!」
フライヤは慌てて制止しようとするが、遅かった。
次の瞬間、僧兵は勢いよく、そして渾身の力を込めて、短刀を自らの腹に突き立てていたのだ。
「きゃあぁぁぁぁ!!」
最初に悲鳴を上げたのは、野次馬の女性。それは周りにも伝播し、騒ぎとなる。
「切腹」という言葉が頭をよぎったジェイは、思わず一瞬動きを止めてしまった。
だが、それを握る手からはみ出した柄。そこに施された装飾が埋め込まれた魔素水晶である事に気付いた時、ジェイはある物を思い出した。
一時期ポーラ島で出回っていた、魔法使いになれるという短剣の存在を。
短剣に魔素水晶を仕込み、刃を通して体内に魔素を流し込む事で魔法使いになれるという物。小さなドクロの目サイズの魔素水晶でも一時的にだが魔法使いになる事が可能だった。
対して僧兵の短刀は、見える部分を埋めつくすように魔素水晶が埋め込まれている。おそらく握られている部分も同様だろう。一体どれ程の魔素が込められているというのか。
そこまで分析した次の瞬間、僧兵の大きな身体はうずくまり、その背中から何かが噴き出した。魔素の波動だ。
「衛兵ーッ! 野次馬を退避させろ! 子供達も!!」
即座に声を張り上げて、衛兵に指示を飛ばすジェイ。
しかし衛兵達が反応するよりも先に、背中から噴き出した魔素の波動は雲のようになり、何かを形作ってゆく。やがてそれは、極太の腕を持つ、大男の上半身となった。
ジェイはすぐさま身構えるが、その下半身の無い大男はジェイに背を向け、跳躍するように僧兵の身体から離れる。そして、その勢いのまま大きな拳を閉じられた門へと叩き付けた。
その一撃で両開きの門の片側がひしゃげて吹き飛ばされる。
舞い上がる土埃。その中で大男は再び身体を起こし、振り返った。
「フライヤ様、今の内にお逃げください! 子供達と共に!」
その声はどこか機械的で異質な響きを持っていたが、フライヤや子供達が聞けば、僧兵の声だとハッキリ分かるものであった。
「あれは……まさか魔神!?」
剣を抜き放ちながら声を上げたのはジェイ。
そう、あの時の短剣よりも遥かに多い魔素結晶は、突き刺した者を、魔法使いを超えて魔神へと変貌させたのである。
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