第19話 Jの影忍
「えっ? あれ? 戻ってきましたよ?」
窓から外を覗き込んでいた明日香が混乱している。
何事かとエラも外を見てみると、先程と変わらぬ厩舎があった。
エラも疑問に思っている内に獣車が動き出す。外に出るとある「異常」に気付いた。
もう夜で、ほとんどの学生は帰宅しているはずなのに、どの家の窓にも明かりが灯っていないのだ。先程まで明るかった自宅さえも。
「これは一体……? どの家も真っ暗だわ」
「この前に説明した、ジェイの『影刃八法』が生み出す『影世界』だよ、エラ姉さん。あと、暗いんじゃないよ」
その疑問の声に答えたのはモニカだった。エラは改めて外を見て、そして気付いた。明かりが全く無いのに、普通に周囲が見えている事に。
「影世界はね、明るいも暗いもなくて……ただ、色が無いの」
そう、車窓の向こう側に広がる光景は、色が無いモノクロの世界であった。
自分の知らなかった世界が目の前に広がっている。エラは愕然とした表情で、肩を震わせながら問い掛ける。
「現実とそっくりの色の無い世界……これは、表裏一体の世界という事? この世には、こんな世界が存在したというの……?」
「えっ? 無いよ?」
「えっ?」
「だってこれ、『影刃八法』で作ってるんだよ? ジェイを中心にして」
「……えっ?」
元々影世界がある訳ではなく、魔法で現実そっくりの空間を作って『潜』り込む。それが『影刃八法』の八つの力の一つだ。
この影世界はジェイの周囲しか表の世界を再現しないが、ジェイの移動に合わせて世界も変わっていく。そして移動した先で表の世界に戻る事もできるのだ。
「それじゃ、このまま例の店の方に向かうから……モニカ」
「……うん、分かってる」
御者台から覗き窓越しに声を掛けてくるジェイ。モニカは神妙な面持ちで頷き、大きく深呼吸をした。
「うん……皆に話すよ、『天浄解眼』の事を……」
モニカは、明日香とエラに自分の魔法の事を伝えると決意した。
だから今夜の調査は四人で行こうと提案した。影世界ならば、絶対に他の者に話を聞かれる心配が無いからだ。
車内には前後に席があり、向かい合って座る形になっている。今はモニカが前に、明日香とエラが後ろに座っていた。
モニカにとって、この話をする事は勇気がいる事のようだ。車内はいつになく緊張感が漂っている。二人はそれを感じ取り、真剣に聞く態勢に入った。
「これから行く場所は、私の魔法で判明したんだけど……」
モニカはポツリポツリと、書面に書かれた間違いが赤く光って見える魔法『天浄解眼』の力を説明し始めた。
ジェイの許婚となった今、『純血派』もそう簡単に手出しできなくなった事は分かっているが、それでもあまり乗り気ではないようだ。
それでも話す事にしたのは、モニカなりに明日香とエラを家族として受け容れようと考えたからである。
その決意を察したエラは、モニカの隣の席に移る。モニカは反射的にビクッとなって距離を取ろうとするが、エラは逃さず抱きしめた。力いっぱい。
一方明日香はモニカの歩み寄りを、彼女との距離が近くなったと感じ取っていた。それが嬉しくてエラの反対側に座り、モニカに抱き着いて挟み込む。
「……でも、ごめんなさいね」
微笑ましい光景だが、ここで不意にエラが謝ってきた。
「話してくれたのは、ホントに嬉しいのよ? でも、ごめんなさい……正直今、一番気になってるのは周りに広がるジェイの魔法の方なのよ~……」
「ですよねー」
頬ずりしながら謝ってくるエラに、モニカは呆れつつも納得していた。
もっともこれぐらい軽く流してくれた方が気が楽なので、モニカ的にはエラの反応が嬉しかったりする。エラの方が気を使った可能性もあるが。
「え、え~っと、ジェイの魔法もボクの方から説明しておいていい?」
「そうだな、頼む」
恥ずかしくなってきたので話題を変えよう。そう考えたモニカは、エラの希望もあってジェイの魔法について説明する事にする。
こちらはモニカが話題を変えたそうだと察したジェイが、あっさりと許可を出した。
既にある程度説明している事なので、こちらは気楽なものだ。
ジェイの魔法『影刃八法』は、その名の通り八つの能力を持っている。
ポーラ島に来て以来、ジェイは三つの能力を使っていた。
今使用している影世界に入り込む『潜』。
アルバートの影を踏む事で金縛り状態にした『踏』。
曽野との戦いで囮となる影分身を生み出した『幻』。
「ねえねえ、モニカ。レストランで事件が起きた時ジェイの姿が見えなくなったじゃないですか。あれも魔法ですか?」
「あれは路地裏に飛び込んで『潜』ったんだと思うよ。影世界からなら、表の世界の扉は開けずに部屋の中に入れるから」
明日香とモニカの話を聞き、エラはあの時何が起きたのかを理解した。
こうなってくると、自分と違って平然と獣車を牽いている魔獣が気になってくる。そんなに影世界に慣れているのかと。
「ねえ、モニカちゃん。あの子って……」
「もちろん、影世界には何度も来てますよ」
この『潜』の能力は、影世界を移動する事ができるが、移動速度が上がる訳ではない。
それを補うのは獣車や騎獣なので、昴家には影世界に慣れた魔獣がそれなりにいた。
というのもジェイが魔法の練習をするのに、家を抜け出すために使っていたのだ。
その際はいつもモニカが一緒だったので、家族からはモニカと遠乗りに出掛けたとか思われていたりする。
ポーラでもいつ必要になるかも分からないという事で、入学する際も一番影世界に慣れた魔獣を連れて来ていた。今回は、それが功を奏した形であった。
モノクロの世界を獣車で進み、商店街に入った。
いくつか開いている店もあるが、全て無人で静まり返っている。
窓から外を覗いていた明日香が、ある店内を見て気付いた。
「あれ? テーブルに料理が並んでますよ?」
「『潜』の効果範囲に入った時、表の世界にあったものがそのまま再現されているんだ」
「食べれるんですか? 彩りが無さ過ぎて美味しくなさそうですけど」
「見た目が料理なだけの魔素の塊だぞ」
影世界の物は動かしたりはできるが、見た目が似ているだけだ。当然、食べられない。魔素の塊だからといって、魔素欠乏症の治療などには使えないだろう。
そして獣車は、商店街から脇道に逸れた先にある書店にたどり着いた。
一行は獣車を降りて店の前に立つ。その店舗の大きさは表通りの店にも負けていない。
「こんな所に本屋さんがあったんですね……私も知りませんでした」
エラはキョロキョロと辺りを見回している。三年この島で過ごしていた彼女だが、この店は知らないようだ。
「ここに短剣が届けられたとしたら、わざと見付かりにくくしてるのかな?」
「かも知れないな……鍵が掛かっているか」
ジェイが扉に手を向けると、扉だけが霧散して消える。
「すごいです、ジェイ! 何をしたんですか?」
「扉だけ魔素に戻したんだ。ああ、表の世界の扉は大丈夫だぞ」
影世界にあるのは全てジェイの魔法で再現されたものだ。そのため逆に一部分だけ元の魔素に戻す事もできる。当然、表の世界に影響は無い。
「あの……この世界はジェイ君を中心に一定範囲しか再現されてないんですよね? 獣車を置いたまま入って大丈夫ですか?」
「大丈夫、範囲は変えられるから」
そのため安全のためにも影世界から表の世界に戻る時は皆一緒の方が良いのだが、今回は捜査だけなので特に問題は無いだろう。
そのまま中に入っていくジェイ。明日香とモニカもそれに続く。
そして残されたエラは、ジェイの言葉からある事に気付いた。
この『潜』の魔法が、かなり大規模で、大量の魔素を使用しているであろう事に。
つまりジェイは、それを成し得るだけの体内魔素を持っているという事だ。
魔法に関しては素人であるエラでも、それが尋常なものではない事は理解できる。
先代アーマガルト卿であるレイモンドが一線を退いた今、龍門将軍に対抗できるのは彼一人と聞いていたエラだったが、その理由の一端を知った気がした。
そのジェイと龍門将軍だけが縁戚となる。セルツとしても見過ごせるはずがない。
「……お爺様が、私なんかでもいいからって送り込む訳よね」
その微かな呟きを聞いていたのは、獣車の魔獣だけだった。
中は本棚が並んでいるが、店舗サイズの割には数が多く、通路が狭くなっている。
「あ~……」
「えっ? ちょっ? モニカ、これじゃ見えませんよ?」
「教育に悪いっ!」
本棚のラインナップを見て、ここがどういう店か察したモニカは、呆れた声を漏らしつつ後ろから明日香に目隠しをした。
どうもここは、いわゆる『男子向け』の割合が非常に高い書店のようだ。
ポーラは成人したと認められた子女達が集まる学園なので、こういう店もある。
「そりゃ、ずっと閉めてて営業してなかったら、いずれ怪しまれるだろうけどさ……どうりでエラ姉さんも知らないはずだよ」
モニカは、どうしてこういうラインナップになっているかが理解できるだけに、呆れる事しかできなかった。
客層が限定され、かつその客もあまり大っぴらにしないのだ、こういう店は。
それを隠れ蓑にして、密輸品の受け取り場所として利用しているのだろう。
物が本だけに、分厚く大きい本の中をくり抜けば、密輸品を隠せるというのも大きい。
モニカがそんな事を考えている間に、ジェイは両手をかざし本だけを霧散させていく。
もし本の中に何か隠していればそれだけが後に残ったはずだが、流石にここに密輸品を隠しているという事は無かったようだ。
このタイミングでエラも店内に入ってきたので、四人は店の奥に入っていく。
奥は商品の倉庫があった。商品を霧散させてみたが、密輸品らしき物は見付からない。
更にその奥は住居になっているが、食い散らかされた料理や酒瓶が散乱しており、今ここで飲み食いしているのか、単に片付けていないだけなのかは判別できない。
「一度、どんなヤツが店番してるか見てから来た方が良かったかな?」
「いや~、許婚が三人いるジェイがこういう店に来たら、目立つんじゃないかなぁ?」
「……そこまで有名にはなってないと思うが、知り合いに会ったらまずいか」
そんな会話をしながら奥に進んで行くと、もうひとつの倉庫が見付かった。
扉を消して中に入ってみると、大きな図鑑が所狭しと積み上げられた倉庫だった。
「これって……ジェイ!」
モニカが一つを手に取り表紙を開いてみると、中のページがくり抜かれ、例の角ドクロの短剣が収められていた。
大当たりだ。この店が『魔法使いになれる短剣』をポーラに持ち込んだのだ。
念のため図鑑を消さずに確認してみたが、他の図鑑も同じように短剣が入っていた。
一度外に出て、もう一度一人で来て証拠を確保するべきか。
そんな事を考えながら、他に密輸されている物が無いかを調べるために倉庫の奥へと進んで行く。見つかるのは短剣ばかりであったが、突然ジェイが声を上げた。
「こ、これは……!?」
明日香たちもそれに気付いてそちらを見るが、そこには何の変哲もない壺しかない。
「えっ、どういう事?」
大きく、少々派手な装飾が施されているが、モニカの目にもただの壺にしか見えない。
「これがどうかしたのですか?」
エラも、何故これに驚いたのか分からなかった。明日香もだ。
影世界ならば危険は無いだろうとモニカが壺を覗き込んでみると、中には土らしき物で満たされている。
「ねえ、ジェイ。これ何なの?」
「これは……『魔神の壺』だ……!」
「……えっ? ええぇぇぇっ!?」
モニカが驚きの声を上げ、明日香とエラも驚きの表情でジェイを見る。
しかし、彼女達の視線に晒されたジェイは、また別の疑問を抱いていた。
何故自分は、見た事も無いこの壺が、『魔神の壺』であると知っているのかと……。
今回のタイトルの元ネタはマンガ『Gの影忍』です。
ジェイナスの魔法『影刃八法』の由来は四字熟語の「永字八法」、書に必要な技法八種が全て含まれているという意味です。
音と「8」という数字が主な由来ですね。




