第1話 縁談トリプルブッキング
「本日はお日柄も良く……」
「え、あ……はい?」
思わずジェイナスは曖昧な返事をしてしまった。
約一月ほど前、ジェイナスがポーラに入学する前まで時は遡る。
突然渦中に放り込まれた彼は、三人の少女達を前に戸惑いを隠せないでいた。
彼等は今、アーマガルトの領主屋敷の一室で顔合わせをしていた。
テーブルの向かいには三人の少女が座っている。ジェイナスが一番左の縮こまっている少女に視線を向けると、彼女はそれに気付いて慌てだした。
「ま、まずはお互い自己紹介から! モニカ=シルバーバーグ、十六歳でふっ!?」
ゴンッと大きな音が響いた。席に着いたまま頭を下げ、テーブルに額をぶつけたのだ。
「モニカ、大丈夫か?」
「う、うん……大丈夫。多分」
そのまま机に突っ伏して悶絶するモニカに、ジェイナスが心配そうに声を掛けた。
実はこの二人、幼馴染である。彼女の実家は昴家とも縁が深い商会なのだ。
深緑の長い髪を二つに結っておさげにした彼女は、派手な美人ではないが愛嬌のあるタイプだった。性格の方も目立つ事を好まないという面がある。
そんな性格とは裏腹にドレスは豪華な物で、ここ数年で見事に成長を遂げた双丘を強調している。もっとも本人は恥ずかしいようで、彼女の緊張に拍車を掛けていた。
そんな二人を見て、右のスラリとした女性がクスクスと笑っている。
肩に届くぐらいの軽やかな銀髪。目鼻立ちも整い、仕草のひとつひとつが目を惹き付ける。ドレスはシンプルなものだが、それでも絵になるような「華」が彼女にはあった。
「それじゃ私も自己紹介しましょうか。エラ=冷泉=ダーナ、十九歳で~す♪」
その上品さとは裏腹に、彼女の自己紹介は軽かった。
「あの、冷泉って、ひょっとして……?」
「はい、その冷泉だと思いますよ」
「やっぱり宰相の御一族か!?」
ジェイナスが驚く様子を見て、うふふと笑う彼女。どうにも掴みどころがない。
しかし、そんな姿も様になるのが、このエラという女性であった。
そして真ん中でジェイナスに熱い視線を送る少女が、勢いよく椅子から立ち上がった。
「最後はあたしですね! 龍門伊織明日香、十五歳ですっ!!」
彼女はダイン幕府の姫だ。名前が二つあるように見えるが、伊織は官位名である。
そのままの勢いで頭を下げると、オレンジ色の長い髪がふわりと揺れた。
暖色系のフリルが多い可愛らしいドレスが、天真爛漫そうな彼女によく似合っている。
「まさか幕府の姫君とは……俺は、戦場で君の御父上と刃を交えた事もあるんだが……」
ジェイナスが十三歳の頃の話である。
「はい! 見事な武者ぶりだったと聞いています! それはもう、何度も!」
しかし明日香の方は敵意などは欠片も無さそうだ。話に聞いていただけだが、それでもずっと憧れていた人物を前にして目を輝かせている。
その様子はまるで人懐っこい大型犬の如し、もし彼女に尻尾があればブンブンと勢いよく振っていただろう。
三者三様の少女達。ひとつハッキリと言える事は、昴家が辺境伯の位にあるとは言え、本来ならば後者二人が訪れるような事は無いはずなのだ。普通ならば。
モニカはともかく何故宰相の孫が、敵国の姫がここに居るのか? それが分からない。
訳も分からぬままにここに放り込まれてしまったが、ジェイナスは嫡男だ。とにかくここは、失礼が無いようにもてなすしかない。
「えっと……公方様は、お元気ですか?」
「それはもう! 今日はこちらに来られなくて残念だと言っておりました!」
「来るつもりだったんですか!?」
幕府の将軍家が、このセルツ連合王国を訪問する。一体何が起きているというのか。
エラはにこにこ顔で微笑むばかりで、モニカの方はどこか落ち着きがなかった。
「何か隠してない?」
「えっ? その……ボク達……ジェイとの縁談のために来たんだけど……聞いてない?」
「………………はい?」
ここでようやく、ジェイナスはこれがお見合いだと理解した。
二人を見ると、エラはニコニコと軽く手を振って返し、明日香は頬を染めて俯いた。
明日香、エラ、モニカ。そう、三人だ。三人同時だ。縁談トリプルブッキングだ。
しかも相手が敵国の姫、王国宰相の孫、大商人の娘である。
どうしてこうなった。期待、好奇、戸惑い。色とりどりの視線を向けてくる三人を前にして、ジェイナスは瞬きも忘れて彼女達を見つめる事しかできなかった。
「お爺様、こちらですか!?」
ひとまず三人を客間に案内させたジェイナスは、すぐさま家族の下へと乗り込む。
家族も来るのは分かっていたようで、祖父の書斎に揃って待ち構えていた。
隠居である祖父レイモンドが、奥の机の席に着いている。ジェイナスは大股で近付き、机に力一杯両手を叩き付けた。しかしレイモンドは全く動じない。
白髪頭に白い髭をたくわえた顔。歴戦の猛将も寄る年波には勝てず、もはや戦場には立てない身だが、その大柄な身体は、まるでそびえ立つ古木のような存在感があった。
「落ち着け、ジェイ」
鋭い視線が突き刺さる。その宥めようとする反応でジェイナスは確信した。
「お爺様! その反応……やはり知っていたのですね!?」
「明日香姫に関しては、な」
ジェイナスは訝し気な顔になるが、すぐさま気付いてレイモンドの両脇に控えていた両親を見る。すると二人は揃って視線を逸らした。
「……どちらが、どちらを?」
「モニカちゃんは、私が……」
「エラお嬢様は、僕が……」
母ハリエットと、父カーティスが、おずおずと白状した。いつもは強気なハリエットだが、今回の件に関しては申し訳ないと思っているようだ。
「ワシは陛下の密命を受けて幕府との和平を模索していたのだが……そこで龍門将軍から和平の条件としてお前と姫の縁談を求められた」
歴戦の猛将、なにげに自分の責任をかわしている。
「それが王宮で噂になったみたいでね、宰相から孫娘とジェイで縁談をと……」
「つまり、そちらの方が後だと……断れなかったのですか?」
「無理だよ。幕府との縁談『だけ』をまとめたら、家の去就を疑われてしまう」
確かに、昴家の意思とは関係無く「寝返りの布石か!?」と疑う者は出てくるだろう。
「モニカちゃんは、その、シルバーバーグ商会がピンチだったのよ」
「商会が? エドさんに何かあったんですか?」
「あの人、敵も多いから……」
モニカの父エド=シルバーバーグは、一代で行商人から大商会の当主まで成り上がった人物だ。その分妬まれ、恨まれもしている事は、ジェイナスも聞いた事があった。
「最近はモニカちゃんを狙って、商会を乗っ取ろうとする動きが増えてきたみたいで……そういう話を聞いたら放っとけないでしょ!? モニカちゃんが危ないのよ!?」
「それは、まぁ、分かります……」
ハリエットが興奮していつもの調子を取り戻し始め、逆にジェイナスはトーンダウン。昴家は一人息子なため、彼女はモニカを娘のように可愛がっているのだ。
縁談が持ち込まれた順番としては一番最後らしいが、そういう問題ではなかった。
「ジェイ……これらの縁談、断る事はまかりならん」
「経緯を聞けば理解できます」
明日香と破談となれば両国の和平は水泡に帰し、エラと破談になればやはり寝返るのかと疑われ、モニカと破談になればアーマガルトにも影響力が大きい大商会の窮地。
「逆に言えば、三つともまとまれば和平は成り、我が家も疑われる事なく、シルバーバーグ商会が和平の流れを補強してくれる。良い事尽くめなんだよ!」
ここぞとばかりカーティスが捲し立ててくる。
「……それ、誰から聞きました?」
「…………エドから。宰相も認めてくれたんだ」
やっぱりかとジェイナスはため息をついた。したたかなエドさんの考えそうな事だと。
商会が補強するのは、両国の経済的なつながり。アーマガルトも、その恩恵にあずかる事になるだろう。そして戦争をすれば、その利益が失われるという訳だ。
確かにこれならば、トリプルブッキングも全て和平のためと納得してもらえるだろう。
いや、おそらく四家の間で既に合意が為されている。ジェイナスはそう判断した。
「ジェイ、これはお前のためでもある……分かるな?」
「ならば、事前に教えておいてくれれば……」
「そうしたらあんた、逃げるでしょ?」
すかさずハリエットがツッコんだ。
「逃げませんよ」
「逃げないけど、巡回の予定が繰り上がりになったりしたんだろう?」
カーティスにもツッコまれ、今度はジェイナスが視線を逸らした。
「だから教えなかったのよ、ジェイ」
それ以上言い返す事ができず、ジェイナスは踵を返して執務室を後にするのだった。
一方それぞれの客室に通された三人は、エラの提案で彼女の部屋に集まっていた。
「お互いの事、も~っと知っておいた方が良いでしょ?」
彼女達も、この縁談が断れるものではない事を知っていたからこその行動である。
「そうですね! あたし、モニカさんの話が聞きたいです!」
「そうねぇ、私達は噂でしか知らないけど、モニカちゃんはそうじゃないみたいだし♪」
「あうぅ……」
主な目的は、ジェイナスの幼馴染であるモニカから話を聞く事のようだ。
「私も、彼の事は噂でしか知らないわ。龍門将軍を撃退したって聞いたけど……」
「あっ、それはホント、です。三年前」
「……その時、えっと十三歳よね?」
「はい、第五次サルタートの戦いの時、出陣の直前にレイモンド様が倒れて……」
「それでジェイナス君が……あら? 今の当主のカーティスさんは?」
「おじさんはダメ。へたれだから」
当主なのに酷い言われようだが、その時レイモンドが、十三歳のジェイナスの方がまだマシだと判断したのは事実である。
「それでお父様のいる本陣に、一人で斬り込んだんですね! お父様が褒めてました!」
「……龍門将軍が突っ込んできたから、やるしかなかったって聞いてるんだけど」
「『余のいるところが本陣だ!』って言ってました!」
「それダメな例だよね!?」
モニカは思わずツッコんでしまった。直後に相手が姫だと気付いたが、明日香は気にも留めていない様子だった。
どちらにせよ、初陣のジェイナスの活躍によって国境を守り抜けたのは間違いない。
逆に言えば、ジェイナスがいなければ守れない。そのため彼は国境から離れられないというのが現状であった。
「……なるほど、和平しなければ入学もできなかったのね」
エラが言っているのは、王都にある『ポーラ華族学園』の事だ。
卒業しなければ家を継げないため、王国華族の子女達は必ず入学する学園である。
両国の和平が成る事で、ジェイナスもようやく入学できるようになるのだ。
「あたし達も入学するんですよね?」
「ボ、ボクも婚約者になったら入学する事に……うわっ、恥ずかしくなってきた!」
婚約者という言葉に、モニカだけでなく明日香も照れる。
そんな二人の姿を、エラは微笑ましそうに見守っていた。