第172話 孤児院にて
フライヤの孤児院は、魔法国時代から存在する内都の旧市街にあった。
橋を渡って本土の内都に入る頃にはすっかり日も暮れており、魔動ランプに照らされた夜道を獣車が進んでいく。
魔法国時代の旧市街と言っても、建物がそのまま残っている訳ではない。
元々あった建物はほとんど廃墟と化しており、簡素な建物が多い。辛うじて残っている柱や壁を利用した家も有るようだ。
しばらく進むと、フライヤの孤児院『神愛の家』が見えて来た。未亡人となった彼女が、私財を投げ打って開いた孤児院らしい。
大きめの通りに面しているので獣車でここまで来れたが、もう少し奥まった所だったら途中で降りる事になっていただろう。
その時、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前じゃ話にならん! 院長を出せ!」
何事かと思いつつ近付いていくと、入り口の前に三人の男の姿が見えた。防具は身に付けていないが、腰には剣を差している。
扉の所では、太った男が僧兵相手に声を荒らげていた。先程荷物を持って先に帰った大男だ。
太った男の方は、身なりの良さから見ておそらく商人か華族。三人は太った男の護衛であろう。
「旦那様、どうされますか?」
「……そのまま孤児院前に」
尋ねてきた御者に、ジェイは引き返したり通り過ぎたりはせず孤児院前に停めるように指示。
対する三人の護衛は、突如現れて孤児院前で停まった獣車を警戒しながら近付いて来る。
一人が御者を相手に凄み、二人が車内を覗き込んで来た。詳しい事情は分からないが、やはり穏やかではない。
なお、御者は第五次サルタートの戦いを経験している兵。この程度では怯みもしなかった。
「まずは俺が」
ジェイは尼僧を心配して飛び出そうとするフライヤを手で制し、一人だけで獣車の外に出る。
「おっ、戻ってきたか! 獣車でお帰りとは良い御身……分……?」
振り返った男は、凄んだ相手がフライヤではなくジェイである事に気付いた。
「へ……へへ、失礼いたしました……」
実戦用制服のままだったためすぐに華族学園の生徒だと気付き、揉み手をしてへりくだった。
それを見たジェイは、危険は無いと判断。獣車の明日香に合図を送る。
「オリヴァーさん……」
「あっ、てめぇ……! あ、いえ……何でもないです……」
明日香から順に降りたところ、太った男はフライヤの姿に気付いて怒声を発した。すぐに状況に気付いておとなしくなったが。
この男の名前はオリヴァー、ジェイに対する態度から分かるように華族ではない。
彼は内都の商人であり、金貸しも行っていた。ここに来ていたのもその関係だ。
「あ~……フライヤさん? お金はできましたか? とうに期限は過ぎていやがるのですが……」
そう、借金取りである。頬を引きつらせながらも、ジェイと明日香の目を気にして極力丁寧な言葉を選んで返済を促している。
「そ、それは……」
言い淀むフライヤ。答えを聞くまでもなく態度で分かる。用意できていないのだろう。
それを察したオリヴァーは、大袈裟にため息をつく。
「今日のところは帰りますけどねぇ! いずれ耳を揃えて返してもらいますよ!!」
そして丁寧な言葉で脅しを掛け、三人を引き連れて肩を怒らせながら帰って行った。
その後ろ姿を見て、明日香が首を傾げる。
「あれ? ここは『邪魔するな、やっちまえ!』とか言って戦いになるところでは?」
「華族学園の生徒だってのは気付いたみたいだからな。敵に回すのを避けたんだろ」
「なるほど! 『アーマガルトの守護者』を敵に回す愚を避けたと!」
「それは何とも言えんが、知らなかったとしても避けてたんじゃないかな」
先日新アルマ子爵として凱旋したばかりなので、その時に顔を知られた可能性も有る。
しかし先程の態度を見るに、知らなかったとしてもオリヴァーはジェイ達を敵に回すのを避けていただろう。学生と思って甘く見ていると、大物華族家の子だったという事が有り得るからだ。
その辺りを判断する賢さは有る人物だとジェイは判断していた。大勢の華族がいる内都で金貸しをやっているだけの事はあると。
「院長……」
オリヴァー達が帰っていくと、僧兵の大男が近付いてきた。言い争い以上にはなっていなかったようで怪我はしていないようだ。
それを見てほっと胸を撫で下ろしたフライヤは、ばつが悪そうな顔をしてジェイ達を見る。
「あの、お見苦しいところを……」
「そこは気にしないでください」
「そ、そうですよ! ほら、子供達を安心させてあげないと!」
そう言う明日香の視線の先には、開いた扉の向こうで心配そうにしている子供達の姿があった。
「だ、大丈夫よ、皆!」
慌てて中に入っていくフライヤ。彼女は子供達への対応に追われる事になるだろう。
自分達の相手をしている暇はもう無いだろうと、ジェイ達は僧兵に挨拶をして帰る事にする。
「それじゃ、俺達はこれで」
「戸締り、気を付けてくださいね! あいつら戻ってくるかも知れませんから!」
明日香の言葉に僧兵は力強く頷き、「……感謝する」と小さな声で答えるのだった。
帰りの獣車の中で、明日香は難しそうな顔をしていた。
「……フライヤ先生の孤児院が気になるのか?」
隣のジェイがそう声を掛けると、明日香はバッと勢いよくジェイを見た。その目は「どうして分かったの?」と言いたげだが、丸分かりである。
明日香としては、特に子供達の事が心配なのだろう。
「その、借金って……孤児院って難しいんでしょうか?」
「そうだな、一概には言えないが……厳しい所が多いだろうな」
セルツ連合王国では、孤児院の運営は周囲の環境に依るところが大きい。子供達を食べさせていくためにもお金が必要であり、それをどこかから調達する必要があるからだ。
その方法は主に二つ、領主に支援してもらうか、寄付金を募るかだ。
運営者が私財を使って運営するというのも無くはないが、その場合は大抵が領主が運営者になっているパターンである。
「……あたしが寄付したいって言ったら怒ります?」
「…………注意する」
「注意?」
「領主が他所の領の孤児院にやるのはまずいんだ。人の領地の事に口出しするなってな」
ある種の内政干渉。その地の領主に対し「お前がちゃんとやってないから、俺がやるんだよ」と喧嘩を売っているようなものである。
それに領主はまず自分の領地に責任を持つべきなので、他所の領にお金を出す前にまずは自分の所にというのも正論であった。
「そっか……アーマガルトにも、アルマにも孤児院はあるんですよね」
「アルマの孤児院については、また調べておかないとなぁ」
先日の滞在時は、流石に時間が無かった。
「アーマガルトは?」
「アーマガルトは職人の工房が多いから、孤児院の子供って弟子候補なところがあってな……寄付が投資扱いというか、なんと言うか……」
善意よりも打算塗れ。しかしその分寄付が集まり、順調に運営できているというのがアーマガルトの孤児院であった。
「領主としても推進して、工作教室とか開かせるようにした」
それは孤児院の実態を知ったジェイの案だった。職人達も手先の器用な子供を早い内から見付けられるという事で、率先して先生役を買って出るようになっている。
そういう上手く行っている例も有ると考えると、やはり孤児院の運営は周囲の環境の影響が大きいのだろう。
「あたし達にできる事、何か無いんですか?」
「……どうだろうな」
あのオリヴァーの行いも、間違いという訳では無い。お金を貸しているのが事実であるならば。
高利貸しというならば話は別だが、その辺りは強かにしっかりしていそうだ。
商人としては手強い相手だろうなと考えつつ、ジェイ達は帰路に着くのだった。
翌日、朝の番組でオリヴァーが殺害されたというニュースが報じられた。




