第155話 ゆうべはおたのしみでしたね
山の向こうから朝日が昇り、清らかな光が町を照らす。
港に続く大通りは、まだ後片づけも半ばの屋台が軒を連ねている。町はまだ静寂に包まれており、小鳥の声だけが響いていた。
そんな閑静な町を見下ろす『愛の鐘』亭。昨夜はジェイと二人で過ごしたエラは、彼の寝室のベッドで目を覚ました。
隣にジェイがいない事に気付いて身体を起こすが、自分が一糸纏わぬ姿である事に気付いて慌ててシーツで身体を隠す。
「おはよう、エラ」
その声は、思いの外近くから聞こえてきた。
エラが声の方を見ると、窓から差し込む光に照らされたジェイの姿があった。
ベッド脇のテーブルで仕事をしていたようだ。カーテンを少しだけ開き、エラの方は光が当たらないようにしながら。
「ご、ごめんなさい! 私ったら……!」
慌てて立ち上がろうとしたエラは、シーツを踏んで転びそうになった。ジェイが咄嗟にそれを抱き止める。
「慌てなくていい」
「え、ええ……おはよう、ジェイ……」
抱きかかえられたまま朝の挨拶をするエラだが、シーツが落ちてしまったので内心別の意味で慌てていたりする。
身体を離して背を向け、いそいそと着替え始める。ジェイは極力そちらを見ないように書類を読み始めた。
「……それは?」
「ついさっき届いた連絡の書類だ」
ゴーシュ小神殿の神殿騎士ダニエルが届けてきた物で、直接受け取ったのはジェイの家臣だ。
昨夜、ジェイとエラは二人きりで過ごしていた。家臣はそれを知っていたが、戦いに関する書類だったため、すぐさま届けていた。
受け取ったジェイも内容が内容だけにすぐさま目を通さなければいけないが、エラを起こすのは忍びない。
しかしエラが起きるまでそばにいてやりたい。それでジェイは、少しだけカーテンを開いて書類を見ていたという訳である。
エラの寝顔を見ていると気恥ずかしくなってくるので、意識を他所へ向けたかったという面もあった事は、ジェイだけの秘密である。
それはアーロ島南方の海上で行われていた防衛戦の結果について書かれていた。
代官向けの書類なので詳細は伏せられているが、モンスターは散り散りになって『死の島』の方へと逃亡。アーロ海軍の勝利に終わったと書かれていた。
モンスターが逃亡したタイミング、すなわちアーロ海軍が勝利した時間的に、モンスター達はポリュプス・ポルポの支配下にあったと考えられる。
おそらく彼が滅ぼされた事でその強制力が失われたのだろう。
「ひとまずは、一件落着だな」
「この後は、戦後処理かしら?」
「それは神殿の仕事かな」
その辺りは領主、アーロでは神殿の仕事である。今のジェイは代官代理なので、むしろ口出しできない立場なのだ。
恥ずかしいのはエラも同じようで、仕事の話をする事で努めていつも通りの雰囲気を出そうとしている。
対するジェイは書類を手にベッドに腰掛けているエラの隣に移動するが、いつもより距離が近い。
エラはどうしても意識してしまい、更に仕事の話に逃げようとした。
「むしろ、大神殿が報酬出さないといけないんじゃ? 魔神討伐分の」
「そこは王家と話し合うんじゃないか? 俺もいずれはセルツに仕える立場だし」
ジェイはセルツ華族の跡取り。連合王国とはいえ別の国、アーロ大神殿が彼に褒美を出すならばセルツ王家に話を通す必要があるという事だ。
「それよりも……帰る準備をしておいた方がいいな」
「やっぱりそうなりますか?」
学生を長期実習で送り込んだ先の国で戦いが起きた。即刻中止にして帰ってこいと判断されるのは当然であろう。
ましてや送り込んだのが辺境伯家の跡取りであり、隣国の姫も一緒だというのだから尚更である。
この辺りも含めて、セルツとアーロの間で話し合いが行われるだろう。
魔神討伐については基本めでたい話であり、戦いについては既にアーロの勝利で終わっている。特にもめる事も無いという意味では安心である。
「それにしても、百夜祭が無事に済んで良かった。ペスカバーガーも成功だったんだろ?」
「ええ、完売していたわ」
「そうだ、ケイにレシピをまとめておくように言っておかないとな」
長期実習は切り上げる事になるが、ジェイが帰る時にはケイとメアリーも帰る事になる。
ペスカバーガーのレシピは、ゴーシュの人達に託す事になるだろう。それがケイの功績となるはずだ。
その後、身嗜みを整えて一階ロビーに降りると、明日香とモニカがいて暖かい目で迎えられた。
ジェイとエラが出て来るまで、下手に部屋を訪ねられないという事で、二人がロビーで対応すべく待機していたそうだ。
仕事の話で誤魔化していたエラも恥ずかしさを思い出したようで、頬を紅潮させてジェイの背に隠れる。
「姫、明日は我が身ですよ?」
「そ、そんなつもりではないんですよ!?」
侍女に指摘されて慌てる明日香。慌てるという事は、そういう目で見ている事に、多少の自覚はあったようだ。
「昨夜何があったかはポーラママから聞いたよ……あと、ここの人からも」
ポーラがポリュプス・ポルポを引きずる姿を目撃した人である。
「すっごい怯えてた。しばらくタコ食べられないって……」
しばらくで済むなら、まだマシかもしれない。
ちなみにポーラは、念のためだと海を見に行ったらしい。
「――という訳で、長期実習は中止になると思うから、帰る準備を始めておいてくれ」
「あ~……しょうがないかぁ。アーマガルトでも、小競り合いの後は色々大変だったもんねぇ」
「お父様が出陣した時のような慌ただしさ……分かりますっ!」
似たような経験があったため、モニカと明日香もすぐに納得したようだ。
この事を取材班の方にも伝えようとしたが、『愛の鐘』亭に残っているのはロマティだけだった。
「ああ、班長が言ってましたよー。多分帰る事になるってー」
ジェイの長期実習を取材するためにアーロに来た彼等は、実習が中止になると一緒に帰らなければならない。
それは重々承知しているようで、それまでに今回の戦いの情報を集めるだけ集めておこうと朝早くから動いているとの事だ。
「……オードは?」
「先輩達と一緒に行っちゃいました。なんかもう取材班みたいですよ」
「何やってるんだ、あいつは……」
それはともかく、取材班は十分状況が分かっているようなので放っておいても大丈夫だろう。
「それじゃ、私も取材行ってきますねー」
ロマティは、そう行って出掛けて行った。彼女達取材班は、帰国まで忙しい日々を過ごす事になりそうだ。
その後ケイ達に帰還とレシピの件を伝えれば、ジェイ達は実習の中止が決定するのを待つばかり。
この宙ぶらりんの状況では自警団を手伝う事も自重しなければならないため、ジェイ達は『愛の鐘』で待機する事となる。
「つまり色々と……」
「お話を聞けるって事ですねっ!」
モニカと明日香が目を輝かせた。
「え、え~っと……」
エラは再びジェイの背に隠れるが、彼もまた話を聞く対象である。
「とりあえず、部屋に戻ろうか」
ジェイ達が起きてきた以上、モニカ達もロビーで待機している必要は無い。
話すなら部屋でゆっくり話そうと、ジェイは三人を連れて部屋に戻るのだった。
エラ、ある意味最大のピンチです。