第146話 百夜到来
「若! 神殿から連絡が来ました! 魔神に防衛線を突破されたそうです!!」
エラが思わず腰を浮かし、ジェイは慌てる事なく「数は?」と尋ねる。
「上陸したのは二体! 他の町には目もくれず、北上したとの事です!」
「ここを目指しているのか……? それにしても複数か、こうなると何体いるか分からんな……すぐに母上に伝令を出せ! 海の警戒を続けてくれとな!」
「ハッ!」
母上というのは、もちろんポーラの事である。
飛び込んで来た家臣は、すぐさま踵を返し駆け出して行った。
「あの、上陸した二体はどうするんですか?」
「俺が対処する。準備するから手伝ってくれ」
「えっ!? ……あ、はい!」
エラはまだ慣れたとは言い難い手付きだが、ジェイも自分でできる所はフォローして防具を装備していく。
動きやすさ優先で目立たない、隠密騎士のような装備だ。龍門将軍と戦った時と同種の、ジェイが本気で戦う時の装備である。
「大丈夫なんですか? アーロ海軍でも食い止められない魔神なんて」
「いや、元々魔神を食い止めるのは無理だったと思うぞ」
「えっ……?」
エラは思わず手を止め、ジェイの顔を見る。
「そういう規格外の存在だからな。魔神に関しては基本的には出ない事を望むしかないんだ」
魔法使いの全盛期であるカムート魔法国時代、当時の魔法使い達の中でも上澄み、いや超越者。魔神というのは、そういう規格外の存在なのだ。
小神殿長から聞いた話となるが、アーロ海軍はこれまで『死の島』からやってくるモンスター達から島を守ってきたが、魔神と遭遇した事は無いらしい。
そのため『死の島』に落ち延びた残党の中に魔神はいないと思われていたが……。
「おそらく落ち伸びて行った連中は『魔神の壺』を持ってたんだろうな」
魔神の壺とは、倒された魔神の魂が休息するためのもの。それがある限り魔神は倒してもいずれ復活してしまうのだ。
「今まで魔神が現れていなかったのは、魔神が復活していなかったから……」
「今になって教団に接触してきたのも、最近復活したって事だろ」
おそらく教団の高齢化問題など、想像だにしていなかったのではないだろうか。
魔神とはほぼ不老であり、倒されても復活する肉体、疑似的な不老不死を実現した存在なのだから尚更である。
「神殿も魔神がいるって事前に分かってたら、祭りを中止してたんじゃないかな」
おそらく、町から人々を避難させる事を第一に考えていただろう。当然、お祭りどころではなくなる。
ただジェイとしては『死の島』に魔神が眠る壺がある可能性は流石に低いと見ていた。
「ただ……もし魔神が現れたら、俺か母上が対処するしかないだろうなとは考えてたよ」
ケイに功績を立てさせるのに百夜祭を使おうとしたのも、いざと言う時は自分達で何とかしようと考えていたからである。
そんな話をしている内に準備が完了した。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
ジェイは軽く言うが、対するエラは憂いの表情だ。
彼が、魔神エルズ・デゥを倒した事は知っている。だが、魔神がどういう存在かを聞くと、とてもではないが心やすらかに送り出す事はできない。
「心配するな、アーロ海軍のおかげで俺は魔神に集中できる」
「でも……」
それでも安心できない。報告によれば、防衛線を突破した魔神は二体いると言うのだ。
「ポーラ様にも来てもらう訳にはいかないのですか?」
「海中を突破される可能性は否定できないからな。そっちは任せておけるから、俺は安心して行けるんだ」
「…………」
その時、エラは思った。こんな時、明日香やモニカならどうするだろうかと。
明日香はきっと、ジェイの力を信じて笑顔で送り出しただろう。
モニカはどうだろうか。彼女は、これまでに何度もジェイを送り出してきた。この件に関しては一日の長がある。
不安を感じても、それでも気丈に送り出していたのではないだろうか。
エラは思った。自分も慣れなければならないと。
メアリーの件で責任を取って縁談を降りるならば必要無い。だが……この時彼女は、確かに慣れなければと前向きに考えた。
一瞬後にその事を自覚し、俯いた彼女の頬が紅潮する。
今はまだ二人のようにはなれない。しかし今は……。
小さく息を吐いたエラが顔を上げる。
「いってらっしゃいませ、ご武運を」
そして努めて笑顔を作り、婚約者を見送る。
その言葉を受けたジェイは、背を向けたまま手を上げて答えると、部屋から飛び出して行った。窓から。
「そこから出て行かなくても……」
伸ばした影を使って木の枝を降り立ったジェイは、そのまま枝から枝へと飛び移っていく。
スピード重視なのだと思い直したエラは、その小さくなっていく背中を見えなくなるまで見送るのだった。
「――と若は申しておりました」
「なるほど……良い判断です」
一方、港で伝令から話を聞いたポーラは即座に動き出した。
ポーラは連れていた子供達を伝令に預け、港に向かって歩いていく。
結っていた髪が解け、着ていた浴衣が青みがかった闇のような色をした艶やかなドレスへと変化する。
良い判断と言うのは、ポーラを港に残した事だ。
彼女は人に近い姿をしているが、魔神とは本来千差万別の姿をしている者。どういう魔法を使うかが影響していると言われている。
つまり、上陸した二体以外にも海中を進む事ができる魔神がいる可能性も有るのだ。もしいたとすれば、それはアーロ海軍には探知すらできないだろう。
桟橋までたどり着いた彼女は、そのまま躊躇する事なく夜の海に向かって一歩踏み出す。
足は沈む事なく海面を踏み、そのまま海へと向かって歩き出す。
「……やはりいたようですね」
そう呟くと同時に巨大なサメ型のモンスターが飛び出し、ポーラへと襲い掛かる。
しかし彼女が事もなげに白魚のような指をした手を一振りすると、モンスターは開きにされて大きな水飛沫と共に海へと沈んでいった。
「なるほど、モンスターも通してしまいましたか……」
海中に魔神の存在が感じられる。しかし、それだけではない。こちらは多数のモンスターを引き連れて防衛線の下を潜ってきたようだ。
ポーラの足下には、彼女を中心に取り囲むように円を描いて泳ぐ、無数の大きな魚影が映っていた。
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